良い父親であることの要件
親子の関係についての相談がいくつかきているのでこちらにまとめておくよ。
ただし親子関係といっても幅広くなりすぎるので、父と子の関係について限定し、その観点から妻は夫と子の関係をどう捉えるべきか、そして当人である父親はどのように我が子を捉えるべきかについて、スピリチュアルと人間学の観点から考察を与えることにする。
実際、我が子にどのように接していいのかわからない、姿をみるのも億劫だという父親は多い。また父子の不和を苦悩する妻も多い。
そこで「そもそも親子の関係とはいったい何であるのか」を探りながら、どうすればこの苦悩から脱せるのかについて進めていこう。
母と父
さて、母親とその子どもの関係は肉体的なつながりがあるけども、父親と子どもの間には遺伝子は別として、そうした生物学的な連続性はなく、精神的なつながりのみとなる。
精神的なつながりとは、いわば道徳や倫理といった社会的な関係だということだ。
本書ではよく「私たちの世界は大いなる流れの次元(自然の次元)と、人間文化の次元(言葉の次元)の2つが重なっている」と伝えるけども、つまり母子の関係とは前者であり、父子の関係は後者の現れだといえる。
つまり子は、父と母のいる家庭に生まれ育っていく過程で「この世の2つの真実」を自ずと経験しているわけだね。
社会の縮図
では父子の関係にスポットを当ててみよう。
子からみた父親というのは、社会的な関係以外の何ものでもない。血の繋がりや絆といった言葉はあるけども、やはりそれは制度的な表現であり、母子のような根源的で一体的な連続性はそこにはない。それゆえどこか希薄ながらも、ある種の思い込みが柱となっている。
たとえば勤め先の社長や学校の先生が父親のように思えたり、また寺の住職にそれを感じたりするのと何の違いもない。
となれば、父子はどのように折り合っていかなければならないのだろうか。
ここで父親の観点からみてみよう。
父親が子を持つとき、それはどういう心境なのか。話しているように、父親としての自覚というのは母子のような根からある繋がりではなく、社会制度的に従っているものにすぎない。
それは言い換えてみれば、自分が毎日働いたり、法律や常識などのルールを守って生活していること、その規範と同じものが父子の間で結ばれていることになる。
堅苦しいと思ってはならない。それだからこそ、子は社会的な素養を身につけるのだからね。
人間の世界
キリスト教圏では「父」とは神のことであり、そしてその代理人として「神父」がいる。だから父は主に社会規範そのもののメタファーとして語られることが多い。つまり人間世界が父であるわけだ。
父とは社会の絶対的な準拠であり、ゆえに精神分析学などでよく比喩されるような「父殺し」というのは、自分の実父を手に掛けるということではなく、社会制度そのもの、人間世界そのものに従わないということを意味する。
これは脱サラして独立開業したり、望みの人生を社会で歩んでいくということではない。
父殺しというのは、人間世界では決して犯してはならないタブー(殺人や近親相姦など)をはじめとして、己が人間世界では存在できないことの表明であり、つまり“人間”ではなくなるということだ。
それゆえに父親の存在というのは重要であり、また母子家庭であっても、子は”社会という父親”に育てられなければならない。
父親の”父”とは我が子のこと
ということは、子を持つ父親であっても、やはり”人間世界の子”であることになる。ここでひとつの矛盾が生まれる。
つまり我が子に対して良い父親であろうとするとき、それは同時に「社会の規範を遵守する」ということにある。簡単にいえば、自分が「良い父親」であろうとするには、己自身が「良い子ども」である必要があるわけだ。
そして最も理解しなければならないパラドクスは次の点にある。
それは、その父親が従う父(つまり人間社会)とは、まさに目の前にいる”その我が子のこと”だということである。
ゆえに父親は永遠に父親になることはできない。己はずっと子として、”父”に学び続けていかなければならないんだね。
父親が遵守すべき規範
だからもし父親が我が子を”尊敬”しないとき、そこで不和が生じることになる。前述した”タブー”を犯していることになるからだ。
ゆえに良い父親であるには、我が子を己自身の規範として捉えていなければならない。その意志によって、我が子への尊敬の観念が生じてくる。
己を”支えてくれる”大切な家族であるという実感、つまり父子の絆ができる。家族を支えるために切磋琢磨していることは、同時に人間としての己自身を”支えてもらっている”わけである。
もちろんあなたが女性であっても、社会制度のメンバーとしては常に”子”であり、人間世界という父に従っていく必要がある。だからその意味で、母親は我が子に対して二重のまなざしを向けることになる。
ひとつは父親と同様に、己自身が”人間であること”の支えとして。
そしてもうひとつは、人間世界を超えた「生命の次元としての揺るぎない安らぎへの入り口」として我が子を愛しはじめる。この愛とは、我が子を通じて広がる向こう側を実感することによるものだ。だから我が子をまっすぐに尊敬の眼差しで見つめるとき、自ずと愛に満ちてくるようになる。
それは人間社会という表層の世界が、自分や我が子といった個別の存在のない、ひとつのつながり、ひとつの連続した流れのなかに現れているということへの実感である。
絆の向こうに大きなつながりがみえてくる
じゃあ男性は我が子を通じて愛が開かないのか、ということではない。
その逆で、父親は我が子との関係を正しく結ぶことで、すべての人類の背後にある「ひとつのつながり」を発見することにある。だからプロセスが違うだけだ。
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