死を連れて歩きなさい
目覚めるとは思考の世界から出るということ
未来、過去、起こった出来事への妄想
「いまどう思われたんだろう?」
「この花って綺麗だな」
常に纏わり付いているその思考世界から出る
それが目覚めだ
面倒な出来事が起こる
あなたはそれに直面する
そんなとき
一度自分を物のレベルまで落としてみなさい
事実そうなのだから
ただの物理のぶつかり合い
物理的な変化
フィジカルは幻想世界のコアを成している
あなたも気付けばただの物体だ
ただその通りにそれを感じ取る
その中で生きる
ただその通りに生きる
ただその通りに歩き
ただその通りに食べ
ただその通りに見る
それが目覚め
あなたが目覚めたとき
その世界を見るがいい
人は誰と話しているつもりでいるのだろう
人はどんな自分でいるつもりなのだろう
みんな一人で話し
勝手に動く身体に引き摺られている
その世界の中で何かを見ているのだろう
だがそれもあなたが見ている世界
何もないが
想像できるものだけがそこにある
望んだ人生を生きようとしないことだ
起こるがままの人生を生きなさい
望んだ世界は思考の中を抜けられない
風が肌を触れる
ただそれだけを生きなさい
ひとつだけ確実なことがある
それは死ぬこと
あなたは必ず死ぬ
死を常に意識しなさい
死は素晴らしい
死だけが教えてくれる
それだけが絶対的なもの
あなたは死ぬために生まれてきた
唯一確実に訪れるものだ
明日の出来事なんてわからない
だが死は必ずやってくる
死は友人
あなたと常に一緒にいる
だから
風が肌を触れる
ただそれだけを生きなさい
死を友好的に迎えなさい
常に一緒にいるようにする
風が肌を触れる
ただそれだけを生きられるようになる
あなたが死を連れて一緒に生きるとき
いずれ気がつくだろう
「一体何が死ぬのだろう?」とね
見たら、見える
この悪趣味染みた現象が本質だ
何もないのだよ
だがあなたの「見た」があれば見えてしまう
なぜ目を瞑っても視界が浮かぶのか
なぜそこにいない誰かの声が再現できるのか
味も匂いも感触すらも
何もかも、そこになくても
そこにある
「いま」に深く留まることができれば
意識したものだけが世界に出現していたことに
気がつくだろう
思考に囚われていればそれがわからない
覚えていないのだ
あなたが「リンゴ」を意識すれば
ふと目をやった先にリンゴがある
だけどあなたは気がついていない
あなたがそこに創り出したことを忘れている
それが眠りの状態、つまり思考の中
時間は実在しない
あなた自体が時間そのもの
23時24分にどこかへ行くんじゃない
その時間に何か予定を起こすんじゃない
時間が動いているのではない
動いているのはあなたの方だよ
あなたがリンゴを見た
それが23時24分だ
その瞬間がただそこにある
リンゴがあって、2324という数字がある
あなたが時間だ
いいかい動いているのは時間じゃない
あなたの方だ
あなたが時間だ
時間はただの記号、支配されるものじゃない
あなたが23時24分だ
23時24分が訪れるのではない
あなたがどんなことが起ころうとも
その通りに受け取って生きていくと決心をする
自分の都合などいらない
23時24分に在る
それが目覚め
望みを叶える人生を生きてはいけない
思考の世界から抜け出せない
起こるがままを全身で体感する人生を行きなさい
忘れそうになったら
死を呼び込みなさい
死を連れて歩きなさい
死を連れて食べなさい
死を連れて仕事をしなさい
死神があなたへ様々なリアルを教えてくれる
別に誰も目的などないのだよ
生きてきた意味も目的もない
だけども誰もがその世界を創り出し
その中で生きている
それが思考の中だ
記憶という快楽生成装置に騙され続けて
アイデンティティや望みを持つ
だがそれは一体何なのかね?
あなたは誰になろうとしているのか
どういう服を着ていようとしているのか
この誰もが「目的」とやらに錯覚した小宇宙の集合
それがこの現実という理想郷だ
快楽(記憶)の集合体
その服を脱いだときに
何の意味もなく何の目的もなく
ただ漠然と「世界があった」ということがわかる
いつも死を連れて歩き
決して望んだ人生を生きようとしないこと
あるがままにそこに在りなさい
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もう不幸でもいいや。だいたい生まれてから不幸なんだから、幸せなんてわからんし、思考自体が不幸なんだから、幸せになろうなんて考えたこと自体が不幸の始まり。死に近い寝ることが幸せでOK。明日が来ませんように。
スーパーリッチさん
>思考自体が不幸なんだから、
そのように考えている思考が不幸なのだよ。あなたは「思考」そのものであるから、他のことを考えることができないだけだ。つまりあなたのその見解や納得は、いまあなたを支配している思考が話している。そしてその思考によってあなたの生きている世界は決定している。
私の話を聞いているのも、それについてなんらかの反応を示しているのも、いまあなたに憑依している思考である。だから私はあなたとは会話をしているのではなく、あなたの「飼っている思考」と話をしていることになる。
ちなみに私もそうだ。だが私はそれを知っているから、思考に話を「させて」いる。
だから人生を変えたいのならば、思考から離れる必要がある。別のものに入れ替えるということだね。
「思考」はその限られたなかで思考することしかできない。よって現実世界は思考の産物ゆえに、その支配から逃れなければ新しい世界は構築されることはない。
さて、ではどうやって思考から離れようか。
思考を切り離すには、思考の「うら」をつくのが一番だ。そこでこのようなアプローチはどうだろう。
たとえば昨日の昼は何をしていただろうか。どこかの場所でなにかをしていたね。それを思い出してみよう。では3時間前はどうかな。そして5分前だ。
いまあなたの脳内でそれらの光景が、記憶として浮かび上がっている。
なぜ人生には儚さが漂っているのかといえば、そのように「すべて記憶」だからだ。親しい人たちも、街の光景も、あなたが置かれている状況もすべて実体はなく、夢を見ているにすぎない。
いまこの文章を読んでいることさえも記憶を脳裏に浮かべ続けているだけ、つまり完全なリアルタイムというのはない。たったいま指先でなにかを触れたと察知していることすら記憶なのだ。
いまそこで少し歩いてごらん。それは流れる光景を「思い出している」にすぎない。この話を聞いて光景がいつもと違うように意識されているならば、このアプローチは成功となる。
では「人生のすべての光景」が記憶の再生であるならば、本当の「いま」は何が起きているのだろうか。
あなたの「完全ないま」という地点には、生から離れた領域が存在している。そこには現実の光景はなく、もちろん五感からの刺激もなく、何もない空白がある。それが死だ。
だが死は、単に「生ではない」ということであって別に忌まわしいものではない。つまり私たちは常に「死に続けている」といえる。死の領域にずっといるわけだからね。そこから記憶を思い起こしているだけでしかない。
わかってきたと思うけども、その再生内容が思考なのだよ。つまり現実(記憶=思考)は入れ替えることができる。
ここで注意点をあげておくけども、この注意点自体が理解の鍵となる。
それはたとえば、記憶だからといって犯罪行為をすれば、あなたの「知るとおり」に、その記憶のなかで裁かれるということだ。
以前もどこかで書いたが、犯罪の自覚がない場合は捕まることはない。だがそれは犯罪を犯罪ではないと思い込むことではなく、それはあなたが肉料理を食べることになんの違法性も罪責も感じないようなこと、つまりあなたの信念世界のなかで「そもそもそうである」ということである。
ここが重要なのだ。いまあなたが望みもしない現実を生きていて、そしてどうやってもそれ以外に変わっていく兆しがみえないのは、それはあなたが「その世界しか知らないから」なのだよ。
よってまず第一のポイントは、もっと多くのことを学び、知識を拡大していくことだ。あなたは自分の知った世界しか「見ること」ができない。友人が知らない店で珍しい料理を勧めてくれたときなどは確かに小さな拡大はあるが、そのような偶然性に頼るばかりじゃ人生はほぼ変わらないまま終了する。
だから自発的に己自身の視野を拡大していくことは基本原理となる。学びといっても様々ある。勉学や交流、体験など、とにかく自分の知らないことをどんどん経験し吸収していくことだ。衣食住に関する変革も大きな発展となる。
そして次に大事なこと、それは「いまある思考」が思考するわけであって、たとえばいま私のこの話を受け入れられないと感じるならば、決して受け入れられないということ、それを「理解すること」にある。
すなわち、先の「すべて記憶」と悟ったときのように、思考から距離を置いた状態を習慣化しなければならない。そのためには人間関係や金銭問題などあらゆる現実の物事への執着を捨て「反応的な感情で対応をしないこと」を癖づける必要がある。
そのための本書なのだよ。
長くなってきたからまた手記にするけども、ここまででも十分だろう。繰り返し読み直し、あなたが「自分とは何者であるのか」を追求するならば、現実はあなたの「考え」を「遥かに超えた展開」によって大きく変わっていく。
なにより、儚さゆえに、あなたはこのかけがえのない世界を愛するだろう。感謝の意味を知るだろう。