私たちは何者なのか(3)
さて前回までに私たちは知らずのうちに西洋的な支配のなかにあると書いてきた。だがそれは洗脳などではない。なぜなら洗脳というならば「洗脳されていない状態がある」ということになるからだ。ここが最も注意すべきポイントとなる。つまり私たちは生まれながらに「西洋そのもの」なのである。
斬新な何かを思いついても、どのように見方を変えても、すべてこの時代に踊らされているだけでしかない。私がいまこれを書いていることもそうであり、私が何を話そうともすべて時代に用意されたものとなる。だから現実世界で「問題」が起きて、そこから解放されたいと望む「どのような試み」も、ただの悪あがきでしかない。なぜならそれを問題とするならば「最初からすべてが問題である」といえるからだ。常に100パーセントの問題のなかを私たちは生きているのである。
私たちとは実体を持っていないもの、いまここにある「時代」が反映されている存在でしかない。よって時代が苦しみだせば、私たちも苦しみ、それについて解決を求めるようになる。私たちは社会生活や人間関係のなかで生きていると思っているが、本当はこの世界が私たちなのだ。「西洋的な社会のなかに生まれた私たち」とは何者なのか、今回はそれについてもう一歩深く考察していこう。
逃れられない不幸
まず西洋という大きな枠組みがあることを常に頭に入れておこう。西洋的、それは「個人」という考え方を主体とした世界観のことである。前回にこの西洋支配の手段にキリスト教をローマが利用したと話したけども、学問にしろ文化にしろ、現在もやはりその世界観が根底にある。紀元以降の2000年ほどの時代の進歩とはその大きな基盤のうえで「小さな土台」が変化を続けている様子にある。
私たちは常に「目的と手段」の途上にいる。それは直線的な時間の概念、すなわち過去から未来へ、つまりいつも「レールの上」を歩いている。たとえば何かを「学ぶ」ということにしても、その知識を吸収し理解が深まるという「学び終えた将来」を目指している。もちろんお金を得るために働くこともそうであるし、幸せに満たされたいからお金を使うこともそう。たとえどんなに純潔に思えるテーマに取り組んでいても、そのことへと駆り立てる欲望がある。つまり目的に向かおうとする欲望がぎらついている。よって打算的となる。ゆえに常に焦りや不安と隣り合わせにあり「所有と喪失」「成功と失敗」などといった概念が現出し続けることになる。
つまり私たちの感じている幸せや不幸というのは、この西洋的な基盤によるものなのだ。そもそもそれを「民衆に植え付けるため」にローマはキリスト教を利用したわけなのだから当然そうなる。それは中世も現代もかわらない。テレビや雑誌をみれば羨ましい商品で溢れかえっている。あなたはそれらに夢をみる。そして人生を雇い主のために奉仕し続けるわけだ。
そこでまずは宗教についての理解を深めておこう。
2つの宗教
この地球上にある宗教は大きく2つに分けることができる。一つは世界宗教と呼ばれるもので主にキリスト教がそれにあたる。世界宗教は専ら人間の魂をテーマにしており、この世でいかにその魂を浄化し、そして正しく神に救われるかという「理由と目的」が理念にある。経済も学問も人間関係も恋愛ドラマにしても、社会は「理由と目的」が大前提にあり、逆に言えば理由や目的なしには、何も見いだすことはできない。
人は理由も目的もないものをただ空虚なものに感じてしまう。さらに求めるだけの世界に浸かりすぎていると「意味なきもの」を認識すらできなくなる。目の前に苦しんでいる誰かがいても、まったく視界に映らない。前回までの話を理解できているならば、それは事物が虚しいのではなく、そうした「空虚に感じてしまう」という時点ですでに西洋に染まっているということがわかるはずだ。
西洋の哲学者は「なぜ私は存在するのか」という問いを目指して、数々の素晴らしい見解を示してきた。だが「なぜ自分が問うのか」についてはあまりよく探れていなかった。問うている自分がいるかぎりそのパズルは解けないからだ。つまり彼らは巨大な水槽のなかで「問いながら泳いでいる」にすぎず、もちろん水槽という概念をみて、それをひっくり返そうとはしただろうけどもその「思いつき」でさえも水槽のなかによるものであり、いくらひっくり返しても、その外側にはより大きな水槽が出現するだけなのである。彼らには哲学するという「理由と目的」が前提にあったからだ。早い話がどれだけ見事な哲学的推論を並べても世界宗教の「なか」の登場人物にすぎないということだ。自分はそこから「はみ出ている」と叫びながらね。
原始宗教
そしてもうひとつの分類は原始宗教と呼ばれるものとなる。近年の代表的な存在といえばアメリカ大陸の先住民(インディアンやインディオ)がそれにあたる。原始宗教においては自然と人間は「ひとつのもの」であり、草原に花々が咲いているように「人間もただ存在しているだけ」という見方ができる。だけどもこの見解も私たちの西洋的な視点であり、正しくは「自然と自分」といったような自他分離の境界を払拭した世界観が彼らのベースにある。自然を神として崇拝するけどもそれは世界宗教のように「救われるため」ではなく、交流としてのものだ。
彼らにとっては自然も宇宙も人間を含めたあらゆる生物も「ひとつの具体」であり、自然を愛しそして自然と共に生き続けている。だがそれは西洋的な「自然を大切にする」などの環境に対する考え方とは根本的に異なっている。彼らは自然とひとつであることの意識性から「生贄」や「超常的な儀式」を行う。つまり自分たちが食べていくにはその分だけ自然という神々にお返しをしなければならない、イーブンな関係性を保たなければならない、という自然の循環に則った理念がある。
だから彼らは個人という概念を持たず、つまり個人的な目的のために生きることはしない。表向きにはそのように見えるけども、それはそのように見ている私たちの西洋的なまなざしがあるからであり、それは彼らがそうであるのではないのだ。
目的を持たずにただ自然と同化する、つまり直線的な時間のなかで生きているのではなく、同じところを無限に循環しているような共時的な世界で暮らしている。定住地を持たずに遊牧する民族が多いのもそのためだ。目的を持たない生き方ゆえに西洋的な不幸や幸福もなく不安や焦りもない。ただし私たちとは完全に別の意味での生物的な困惑を感じるからこそ、彼らは自然と「再びひとつになる」ための努力、すなわち自然崇拝をするのである。
西洋の文明がまだ2000年程度、しかも現代のような利便的な時代になったのは、ついここ200年程度の話であるが(それでもすでに危機的状況にある)、インディアンたちは16世紀以降に西洋に支配されるまで、数万年という長きにわたり存在してきたのである。つまり彼らの世界観は私たちを解放する最も大きな鍵となるのである。
時代の変化
さてこのように私たちは紀元後以降の西洋的な価値観という大きな枠組みのなかにいるわけだが、その上で見かけの世界(時代)は常々変化を続けている。 それが私たちが時代の進歩や文明の発展と呼んでいるものとなる。だけどもいったいなにが変化しているというのだろう?
便利な時代になってきたし、科学や医学なども古い時代からの偏見などは解消されて、物事はよく見通せるようになったと私たちは感じている。だが本当はそうではないのだ。別に何も解消されてなどいないし、何も良くなってもいない。
時代の変化というのは「まなざしの変化」つまり見方の変化にすぎないのである。こうした表面的な変化の「本当のところ」を理解することも解放へのヒントが含まれているので、いくつかの例をあげておこう。
固定観念の世界
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