山の向こうではなく地図を持つその手を信じる
あらゆる不幸は
期待からはじまる
どんな小さな期待も
必ず不幸にかわる
期待とは未来のこと
未来が悪いわけじゃない
あなたがいまを見失うことが
いけないのだ
ほんの一瞬でも
目を離してはならない
予定が立っても
山の向こう側に
思い馳せるのではなく
地図を持ってる
その手を信じなさい
いまある自分を生きることだ
ならば予定は予定にあらず
未来はここにある
あらゆる夢はすでに叶っている
Notes あるがまま, いま, いまここ, タオ, 不幸をやめる, 唯我独尊, 幸福, 生き方, 生命, 自己想起, 自由
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先日書いた某芸能人の交流会に参加しようと出掛けたら、たまたま会場の入り口で、ばったり本人に会ってしまいましたよ
やっぱりシンクロニシティってあるのかな
そりゃ会場の近くに居れば会う確率は高いでしょうけど、バッチリそのタイミングで会うとは
匿名さん
あなたが不意に思い描いたこととは無意図に思い描かれたことであり、それは目の前で起きた出来事と同じものだ。つまり脳裏に浮かぶことも体験する現実もすべて、そこで起こる流れをあなたが許したときに起こる。
ふと浮かんだものを一切の思考の色付けをせずに、その通りに流してごらん。するとすべてその通りになっていくことがわかるだろう。だがそれは「思考が現実化」したのではなく、すでに起こる出来事を知っていたに過ぎないのだ。そのように生きていけば自ずと理解するようになる。人生とはすべてがシンクロニシティなのだよ。
この匿名は私なんですが(名前入れ忘れた)
ふと思い描いたことって良いことばかりじゃないですよね。誰かが死ぬとか、誰かに嫌われるとか、余り流したくないこともあるじゃないですか
それこそ、自分が死ぬようなイメージが生じたりする場合もあるわけで、それすら流せる?(許せる)
つい、良いことだけ、選択して流しちゃうよなあ
aslanさん
出来事に関してそれが良いだとか悪いだとか、そういう判断が起きている時点で思考が働いている。いいかい、すべてに於いてあなたは無力なのだ。たとえどんな小さなことに於いても、何もすることはできないし、何もすることはできなかった。あなたが自分の生だと思っているのはどこをどう切っても、すべて大いなる循環のある部分に過ぎず、それは善悪や価値観を超越したものだ。
だがあなたが選り好みをすることで、その流れから隔離されてしまう。つまり肉体や精神がダメージを受け続ける。
>誰かが死ぬとか、誰かに嫌われるとか、余り流したくないこともあるじゃないですかそれこそ、自分が死ぬようなイメージが生じたりする場合
思考が判断する直前にインスパイアされたものについて、それらは悪いところへ向かわせることはない。ただ起こるがままに起こるのだよ。なぜそれを避けようとするのかは、思考の予測によるものに過ぎない。つまり人生は思考以上の広がりを見せることはないということだ。
判断を捨てて飛び込むことだよ。人生が変わる瞬間とは、必ず「自分」を捨て去るときに限られる。
本日は朝から俺流ミートソースが余っていたのでオムライスを作る。卵とご飯とミートソースと粉チーズを混ぜてからフライパンで焼いた。
それから御寺に向かう…。
今週は彼女の四回目の命日だ…。
小塔婆を捧げてから、何時もの護魔修行に参加する。
修行を終えてから国立博物館に向かった…。
途中で珍しく早めに昼食をとる…。
朝からオムライスを食べたのに洋食屋が目に入ったが行列で並んでいる…。やめた…。
hardlockcafeにてハンバーガーを頼む…。
アメリカンな味付けだ…。
一人なのにど真中の席に案内された…。
どかんと座りハンバーガーを貪っていた…。
目の前の席に女性が一人で座った…。
うつむいた顔が彼女に似ている…。
思わず見つめていた…。
目があった…。
行くか?
今日はやめとこ…。笑
博物館にて国宝の十一面観音を閲覧した…。
ふくよかな、お顔だ…。
帰宅中にエレベーターに乗る…。
赤ん坊連れの夫婦が飛び込んでくる…。
ドアを押さえて安全を図る…。
エレベーターのなかで赤ん坊が、じーっと俺の顔を見ている。目を離さないで見つめている…。
ふくよかな顔だ…。笑
途中で眼鏡屋にも寄ってオーダーで老眼境も作った、気に入ったフレームが目に飛び込んだからだ…。
帰宅してから買い物に出掛けた…。
なんと渡り蟹が安かった!
思わず購入した…。
渡り蟹を、どうやって食べるか思いを巡らせる…。
和風か中華かイタリアンか…。
てな 訳で、本日は現在にも未来にも過去にも飛び回った忙しい休日であった…。
色即みっちゃんさん
>本日は現在にも未来にも過去にも飛び回った忙しい休日であった…。
あなたがどれだけ未来や過去に飛び回ろうとも、そのコメントに書かれたことだけしか起きていなかった。見たもの聞いたものだけだ。どこぞで「未来について考えた」というなら「考えた」ことだけが実際にそこで起きていた。だがいま考えているだけだということを忘れて、空想の世界に入り込んでしまったものは、そのコメントには記されない。「〜このように考えた」という実際的な事実は記されたとしても、考えていた内容が記されることはない。書くことも可能だが、それだけで数十万字という膨大なものになるだろう。そしてそれは何の価値もないものだ。
つまりひとは実際的であることに重点を置かなくてはならない。ちゃんと書き記せるような生を送らねばならないのだ。思考の世界に入るこむほど、人生はそれだけ短くなる。80年生きたところで、実際に存在してたのは1年にも満たないかもしれない。
今日も摩訶不思議な1日だった。
長年会いたいと思っていた人にバッタリ会うし。逆に余り人に見られたくない部分もばれてしまった。
どちらも、どこかで自分が望んだ事なんだろうな
自我崩壊のスカっと爽やかな感じってあるな。
もう、ネガティブもポジティブもどんどん起きて下さい。抵抗しないぞ、もう
自分の立場や社会的イメージが壊れるのを恐れている自分やイメージの崩壊を恐れない自分を演じる自分が居る。全てを超越している自分と言うイメージに固着したりしている。
イメージで無いもの。それはこの手か足か、スマホを叩いている手、呼吸、それは、もはや自分=思考とは言えない。
自我ではない。手や呼吸になり続ける。
しかしねぇ。思考に比べて、何で五感の観察は「つまらない」んだろうね。
思考を捨てるよりは、まだ思考して嫌な思いを感じる方がましという。
今、にあると、苦しみもないが、楽しいも無いと言うか。ジェットコースター的な無思考の感覚的な楽しみはあるかも知れないが、小説を味わうようなじわっとした楽しみは余り感じられない。
逆に思考は、じっくり繰り返し味わうので、嫌なことも繰り返し味わうので、ストレスになる場合もあるけどね。それでも、思考のイリュージョンの世界の方が、数息観をしている時の退屈の苦痛よりはマシなので、そっちを見てしまう。何もないよりは、ホラー映画の方がまだまし見たいな心理ね
aslanさん
>小説を味わうようなじわっとした楽しみは余り感じられない。
これについてはまた記事にするが、小説は自ら作り出すものだ。そこにあるものを探して楽しむものではない。つまり現実を変えようとするのではなく、あなた独自の世界観をそこに見るということだ。実際にそうだろう?だがそうであることを忘れているのだよ。あなたがこの意味を知るとき、自分自身が生きるということを理解するだろう。ならば人生はいくらでも変えられる。「そうであること」を思い出すだけだ。
いまにある努力をしようとしてしまうなぁ。
とりあえず五感を意識して感じてみるか。
新さん
あらゆる努力を捨て去ったときに「いま」が起こる。それは到達するものではなく、余計なものが崩れ落ちたあとに残るものとなる。ゆえにそれは言葉を超えたものだ。
アドバイスを送るならば、雲で覆われていた夜空に時折月が顔をのぞかせるように、まずはその月を目指すといい。ならばいずれ気が付くだろう。自分はずっと月を目指していたが、その背景に広大な空が広がっていたことにね。それが「いま」だ。
自分さん
わかりました。私の中の月を見つめてみます。ただ見てみます。ありがとう。
METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN
ttps://www.youtube.com/watch?v=tfYJyltB4sQ
ttps://www.youtube.com/watch?v=xgf0mRCQqH4
「高慢と偏見とゾンビ」日本語予告
無意識にでてくるのが隻眼と無双が多すぎてエンタメ系は似たような話ばかり。ヒーロー系は典型的な「理想と現実は違う」から、あくまでエンタメの域はでないけど何の意味かは解らないが隻眼にやたら気づくのは気持ち悪い。そして無双のほうに無意識が引かれるのなら。そっちはエンタメ専用、2次専門でと思いますね。
現実は少しでも楽したい、寝ていたいなのに、こんなハードなのが現れたら困る。善悪はそんな分かりやすいの現実に見たことないですけど漫画や映画ででるような悪人やら善人なんてミックスあっても見たことない。
だけど「痛いの嫌がる人」は善人悪人関係なしに現実でも皆みます。
だからネガティブは怪我に結びきやすいから本能的に避けたくなる。
自我崩壊したら「言葉なんてでない」文字なんて書けないと思うのですがどうなのでしょう。
本当に「崩壊」すれば病院入ってるかもしれないですね。
物覚えは悪くとも穏やかで優しいお年寄りと話す機会は仕事で電話であるけれど、自己主張をあまりされないだけで自我はきちんとあられるから…。
それと自分にとって都合の悪い人、行為、好き嫌いはあるけれど…。映画や漫画以外で「善悪」ってリアルでお目にかかったことないのですよね。
夜の繁華街で見た目の「ならず者」に近い人なら見たことあるけれど…。
ちょっと嫌われてるワンマン成金っぽい社長見ても喫茶店でウエトレスに横柄な口は効かないし「金が全てとか言わないし」大抵のリアルな人は、お金の話をすると「お金が一番でないのは解ってるねんで。ただ生活がな」とか
ネタで儲かりまっか的な笑い話はするけど、「下界の者どもよ~」と片手にワインもって帝国の椅子の上で足組んでるサウザーさんみたいな人、事実としてお目にかかったことないです。セリフ廻し。いうことは格好良くて面白いですけどね。「退かぬ、媚びぬ、省みぬ~!」とか「お師さん…」とか会社の企業理念なんて無茶苦茶、立派だけど、そんな志高い人にも事実、巡り合ったことも無い。
生活感強くてリアル感と精神論がどうしても分離する。
普通さん
>だけど「痛いの嫌がる人」は善人悪人関係なしに現実でも皆みます。
だからネガティブは怪我に結びきやすいから本能的に避けたくなる。
本能というのは、肉体の持つ知性のことであり、それは自己修復機能や消化、心臓や呼吸などの生長的な運動のことだ。それは思考とはまったく関係のないものだよ。
あなたの問題は、思考が事実を大きくうわ回らせていることだ。植物が自然に従うように、肉体が避けるべきことは肉体が勝手に避けてくれる。だが思考の誇大妄想はあなた自身が超えなければならない。思考はその影響に縛られてしまう。つまり避けるべきでないときに、常に筋肉を硬直させ、血管を収縮させてしまう。その肉体的な作用は精神へリンクする。その悪循環の糸を断ちなさい。
まず肉体を感じ取ることだ。肉体の声を聞くこと。次に肉体は全体とともにあることを学びなさい。あなたの意図を超えた流れのなかにあることを知るのだよ。そうした生命の循環性に於いてはどこにも思考の出番はない。
思考はハサミや自転車と同じく、道具として使うものだ。あなたがそのハイスペックな思考機能を「使う」というあり方に向かうとき、自在に世界観を描き出せるようになる。だがいいかい、それはそこにあるものをどう見立てているか、という話だ。AをBに変えるという努力のことではない。
ハッピーでありなさい。
普段は誇大妄想なんてしてないですよ。
だからシンクロが「迷惑」なってきた。
うちの家族も怪我なんて「オーバーな」や「もっと大変な人がいる」が口癖のような人多かったから。ただタイミングやら。隻眼も何の意味があるから解りませんよ。別に無双かぎらず片目を銃で撃たれたワニが現地の男性と仲良くなって、爬虫類と人間がありえない仲良さの「ほのぼの」系でも片目をなくしたやらケガしたやらでてくるので。タイミングと連続したものが興味関心として意識して3回以降でてくると、やっぱり気になってきますよね。どんなに鈍感な人でも「おかしい」となると思う。
だから自我意識でシンクロこい!とか自我意識で片目が格好いいとコレクションするやらなら誇大妄想に繋がるけど、自我意識でコントロール出来なくて。ありゃ?おりょ?げげ?なんで???になるから妄想大になるんです。
興味関心として意識して3回以降でてくると→興味関心として意識せず。
職場でも以前の「ぼく40までに死にたいんですよ。未来に希望もてない」とか口でいいながらシャキシャキ働いて年配の人含めた皆に教えてる27歳の若い男の子も、一か月前ほど気になること言ってましたし。例のもう辞めはった自営のPC不得意のファイナンシャル系の資格もったオジサン、マニュアル読まずにPC打ってたから、その人の愚痴をよくいってたけど「僕、マニュアル読んでから質問しない人嫌いなんですよ。書いてあるやんと。僕、猿は嫌いなんです。人間に進化した人でないと」とか。
むっちゃ平常運転リアルでも休憩いけばポケモン進化進化とスマホやりながら和気あいあいにしろ語ってるし。あとで「あれ?」なんか会話のネタででてくる単語、進化やら未来やら多すぎでて、おかしいとか。
その場で妄想なんてしてない。さらっと通常運転の会話の一つとしてしか意識してないです。
普通さん
>普段は誇大妄想なんてしてないですよ。
あなたのいう「誇大妄想」は何か限定された意味づけのものだ。そうではなく、あなたの話すこと、考えること、受け取ること、つまりあなたの「自分」というそのすべてが誇大妄想だと言ってるのだよ。それは肉体の知性、つまり自然の循環とは何の関係もないものだ。だがその妄想に全体の「あなたという一部分」はダメージを受ける。
肉体には自己免疫作用がある。それと同じであなたが己にダメージを与え続ける限り、全体はあなたを”免疫”する。
シンクロニシティをそれだけ体感しているならばそれに従えばどうかね。自分でもわかっているだろう。「わたしは考えすぎる傾向にある」と。それがすべての可能性を阻害していると。
>>それに従えばどうかね
いや…、ですから…。仮にDNAに入ってる戦いたい人がでてきたら面倒くさそうだし、しんどそうだから…。(まあ、これは妄想だけど)
人間て本当、感情ひとつとってもミックスされてますから。
はっきり一色と感じられる時って「憎悪」と、「ほのぼの」のどちらか。
普段はだいたい混ざってる。ダルイなと楽しそうだなやら不安と期待と冷静と、この感情は何!とすぐ特定できないくらい、大抵はダルイ、面倒くさい…迷彩よりグレーゾーンよりなんですが。「無意識」はコントロールできないし。簡単には…。瞑想だけなら寝てしまいますし…。
自分が死んだり、家族が死ぬ事を死ぬ事をネガティブに捉えるのは、思考でしょうが、それが大いなる循環なら受け入れるしかない、つまり死ぬしかない?
死ぬのが悪いと思うのは確かに思考の勝手な意味付けですが、もうあの世にいかなきゃならんのでしょうか
。(゚ロ゚
aslanさん
要点を逃してはならないよ。善悪も生きるも死ぬもすべて、それが何であるかとあなたが「考えてること」だ。生まれてきたことも死ぬことも、いま耳に飛び込む屋外の音ですらも、あなたには一切の制御権はない。
いまあなたが疑問に感じているのは、思考に描かれた疑問を読んでいるに過ぎない。それを超えなければならない。そうでなければ人生は痛みを知り続けるだけのイベントでしかない。私が話していることを、そのベクトルで受け取る以上は、何の答えも見出すことはできない。
>もうあの世にいかなきゃならんのでしょうか
あなたは生まれてもいない。世界からあなたを引き算してみるといい。すべては無意図に動いているだろう。それが生だ。生とはあなたのものではなく、全体のものなのだ。あなたは全体という生を受け取り、その生命を感じている。それはあなたが生きていることではないのだよ。つまり誰が死ぬというのだろう?思考は全体の流れに危惧して死=己の消滅を作り出す。だが思考の存在とはなにかね?
思考はあなたではない。思考もあなたもすべて全体に含まれるものなのだ。
書でよくでる「思考」というのが自分のイメージで食い違いがあってよく解らないのです。先に「感覚」ではないですか。職場で映画の話題で場は微笑ましくて漫才お笑いでもネタにしてるのはアクションやホラーでて頭で想像したり、それについて評論してても、感覚は「怖くも熱くもない」ほのぼのーとリラックスしてますし。暇で心地良くはなくとも強い痛みや暑さ寒さが無いとりあえず平和なな時は刺激を求めて、上記のような予告のスリルも楽しめますし…。「思考」ならクリスマスの、イルミネーションの綺麗な映像が頭に浮かび、なんとなく気持ちが軽くイベントに美味しそうなケーキにワクワクしてたのにスッパリ指きることないでしょうし…。
私独自の世界を見る事と個人ではピクリとも動かせない全体の流れは同時成立しますか?
全体の流れに任せるだと、独自の世界を構築する気もなくなりますが、独自の世界を構築する事を含めて全体の流れなのか?
昨日、芸能人にあったのは、私を通して全体の流れがインスピレーションとして現れたのか
しかし、こう言った出来事が、全く個人の意志と無関係にも思えないんだよね。
aslanさん
あなたの話していることは、現実のなかでの解釈に過ぎない。ゆえに判断に迷うのであり、そしてそのコメントのような疑問ばかりが浮かぶのだよ。地球にいる限り朝や夜が来る。あなたにはそれが常識的かつ絶対的なことだ。だが宇宙からすれば地球はただ回っているだけに過ぎず、朝や夜とは地球が見ている単なる夢であることが判明する。
巨大な地上絵がその場所に立っていても何も理解できないのだよ。上空から見下ろさなければならない。あなたの疑問には逐一答えることはできる。もちろんそれはわたしの知り得た知識の範囲としてだけだ。車の構造について問うなら、わたしの知ってる限りの車の構造を返すだけだ。
だがそれが何の解決になるのだろう?何が解決されるというのだろう?
この最後の一文を超越のステップにしなさい。
昨日今日と余り物事に進展がないので愚痴っぽいこと書いてしまうが
エンドロールが無い映画を延々と見ている感じ。
自我が死なねば、同じところをグルグル回るだけなんでしょうね。
次のシーンに行きたい。
いや、行く。(所詮、自分の心の中としても)
家族も死も先に進まないも自分が考えている事です。
思考が生み出している夢です。
思考が無ければ夢も生じません。それはそう。
では仏教で言う順観、逆観の瞑想をしてみるか
1 思考によって世界が生まれ苦痛や焦りが生まれる
2 思考が無ければ世界もなく苦痛も焦りも無い
これでも駄目ならお釈迦様でも救いようが無い馬鹿だな。
ただ、思考は、煙草の火を消したかなとか、トレーニングシューズ持ったかなのような、点検機能も果たしているので消滅させる訳にもいかない。
CIAのような必要悪だからたちが悪い。
理屈では解りますけど、とんでもない恐怖感と生命の危機感覚と直面すると思えば大抵の人は躊躇すると思うのですが…。
結局、生と死は頭がなければ本来無いものなんだから、それが理屈でしかわからなければ実際「死んじゃえば?」ってことなんですかね。思考が意味づけてるから死は怖くないものだからと。そういうことが仰りたいのですか?と尋ねたくなるのですが。