人間なんて大嫌い

私たちは
常に他の人間と関わり合うことになる

働いていても買い物をしても
電車やバスに乗って移動するときもそうだね

わからないことを電話で案内してくれるのも
学びのために読んでる本を書いたのも
やはり他の人間にある

そしてもちろん
私たちが苦悩するのも
他の人間と関わっているからだ

職場や家庭、その他いろんな関わりのなかで
腹を立てたり恨んだり不安を覚えたりする

たとえ自分ひとりで背負った
大病や負債なんかにしても
平穏に暮らす他の人と比較するからこそ
それが苦しいものだと認識し続けることになる

この地球に人間が自分しかいなければ
病気をしていることは自然の摂理として
受け入れるのみだろうし
そもそも負債などもないだろう

 

人間の世界

そんなわけで私たちは常に
他の人間に苦しみを与えられるが
ところがその苦しみを癒してくれるのも
他の人間だったりする

会社帰りに同僚と居酒屋で笑いあえるのは
その店を経営してくれている店主や
理解しあうその友がいるからであり
ゲームやその他の趣味に熱中できるのも
それらを制作してくれた人がいるからだ

疲れた体を安らげてくれるベッドや柔らかい布団も
誰かが造りそして誰かが売ってくれたわけで

YouTubeなどの交流サイトで人気者になったりして
承認欲求を満たせる手立てがあるのも
他の多くの人間がいるからこそにある

もちろん人肌を求めるのも
その温もりを人間が持っているからだし
あんな風に生きてみたいと憧れる人には
勇気や希望をもらえたりする

 

神の庭

そんな具合で
人間に悩み、人間に困り、人間に苦しむが
しかし人間によって癒やされたり喜んだりなど
救いを与えられる

そうして私たちは常に
“私たち”と関わり合っているが
しかしそれはどういうことなのだろうか

たとえば職場で嫌な思いをした帰り道
ふと向こうの通りをみれば
優しそうな雰囲気の人が歩いている

「いいなあ」とあなたは思う

もちろん叶うわけではないが
その人に慰めてもらいたい
包み込んで欲しいなと願ったりする

しかしそれというのは

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