隠されていないからこそ隠れていた

「人を外見で判断しない」というとき
それは正しいことのように思える

たしかにそうだね

怖そうな見た目の人でも
内面は全然違うかもしれない

仕草や言葉が乱雑でも
とても頼りになる人かもしれない

だから外見で判断したら
素敵な出会いを見落とすだろうし
その人との本当のつながりを掴み損ねるだろう

つまりいつも話してるように
“見かけ”として現れている姿は幻想であり

本当に触れ合わなきゃならないのは
人であれ物事であれ
その関係を通じて満たされる
温もりや充実感にある

 

すべてが共にあるからこそ

ところが「この世」という神秘だけをみたとき
それはまさに
この目に見えている幻想そのものにある

怖そうに見える人や
行為が雑な人もそうだし

もちろん優しい目をした人や
仕草が美しい人もいる

雨雲や凍える夜もあれば
虹のかかる晴天もある

かわいい動物たちや
できれば遠慮したい虫たち

生き物も出来事も
いろんな姿や形で織りなされている

むしろ存在するものすべてに共通するのは
他のものが存在するから
その自らが存在するということだ

不幸が存在しなければ幸福を知らず
幸福を知るから不幸があるように

美しいものや醜い物
爽やかな朝やじめじめした朝

すべてが均一に美しければ
「ああ、美しい」と感嘆することもない

つまり美しさが存在しない

だがここにこそ
この奇跡なる”見かけの世界”が現れてる
その意味があるんだ

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