理解を超えたものが目を開かせてくれる

銀河の壮大な映像をみて
自分の苦悩のちっぽけさに気づいてみたり

先立った友人の墓に手を合わせて
いつか自分も死ぬのだから
毎日を大切に使っていこうと思えたり

つまり私たち人間というのは
思考では理解できないものの力を借りることで
ようやく”人生を理解すること”ができる

いったい己はなにを苦しんでるのか
いったい己はなにをためらっていたのか、とね

逆にいえば
この世を理解しているつもりでいるほど
この世をまったく理解できていないんだ

どうせ人間なんて腹黒くて腐ってるだとか
海外旅行なんてしても疲れるだけとか
ほかにもいろいろあるけども

だがそんな人は
なにを理解してるつもりでいるのだろう?

 

“現実的である”ということ

たとえば神や仏を信仰するのでもいいし
奇跡や愛を信じているのでもいい

「たとえ損をすることになっても正直者でありたい
なぜそう思うのか自分でもわからないが
そうでありたい」といった感じで
何にも寄りかからない信念を大事にするのもいい

そのように人間の世界においては非合理であり
現実的に理解し得ないものこそが
“現実”を正しく理解する手助けをしてくれる

むしろそうして
理解できないものを知ってる人こそが
真に”現実的な人間”なのであって
誰に対しても親しみや思いやりを持つだろうし
どんな小さな出会いも大切にするだろう

だが理解できるものだけを理解してる人
つまり現実を理解したつもりでいる人というのは
実際はこの現実がなんであるのかを
まるで理解していないのであって

たとえば他人の目に映る自分を妄想して
心が振り回されたり
先の未来の実現ばかりを追いかけて
いまここにリアルに現れている”現実”を
生きたことなどほとんどないんだ

 

“現実”を生きていないことの虚しさ

犬や猫を撫でたときの
柔らかさや温もりの”その奥にあるもの”を
感じたこともなく

大気が常に全身を包んでいることにも気づかず

はじめて会った誰かと会話してるとき
相手が同じことを知ってたときのその”不思議さ”に
偶然以上のなにかを感じることもない

つまり”この現実”がなんであるのかを
その人は知らないのであって

それは言いかえてみれば
自らが何者であるのかを
その人はずっと勘違いしたままで
世間と渡り合ってるつもりでいる様子にある

そのような人生は虚しさしかない

なぜなら”非現実”を生き続けているわけで
“現実的な理解”を通じてでしか
この世をみていないからにある

愛しているはずの恋人を前にして
しかしその人は何をみているのだろうか

どうして自分の思い通りにしようとするのだろう?

つまりその人にとって”己”とは
この世をさまよう自分以外の何者でもない

その自分は常に何かを失う恐怖や
さまざまな不安に苛まれ
また苦労してつかんだ幸福は束の間に過ぎ去り
永続する安らぎなどどこにもみつからない

本当の幸せや安らぎというのは
理解できないものを通じてでしか
みることができないからだ

 

現実を変える”バグ”

たとえばマリオはプログラムされた行為しかできず
またその世界の見え方しかもたないがゆえに
ひたすら戦い続けている

彼の世界はそれが真実であり
人生はそのように戦いの日々以外にない

だけどももし彼が
その日々が真実ではないと気づくならば
たしかに”マリオの世界”として
プログラムされた活動しか存在しないのは同じだが
彼はその労苦から解放されるだろう

むしろその世界を楽しむだろう

そうしてプログラムされた世界や
その世界の自分に気づくには
その世界を超えたもの
引き上げてもらわなければならない

なによりプログラムの外に飛び出すからこそ
世界は他者に振り回される自分によって保たれていた
その現実的な構造を緩めて隙間が現れるわけで
それがやがて世界そのものを変化させることになる

つまりそれまでありえなかった展開(バグ)が
新しい世界プログラムを築きはじめるのであって
その変化した世界に立ってる自分もまた
まったく違うキャラクターになっている

だがこの変化は
これまでもずっと繰り返されていたんだ

あなたが現実にとらわれないとき
いつもそうして”全体”が変化していた

ところがあなたが
キャラクターに同一化しているがゆえに
その変化に気づけないでいた
キャラクターが持つ”過去”や”記憶”も
その世界にプログラムされているものからだ

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