解決するものとしないもの

誰かに対して恨みや憎しみを向けているとき
もちろんあなたは
「相手のここが悪い、どうにかしてほしい」
そんな考えでいるというけども

しかし本当にそうだろうか?

 

その怒りはどこに向けられてるのか

これは心の習慣にすべきことだが
そうして他人に対して怒りがあるとき
自分のなかにある怒りが
そもそもなんなのかをみつめることが大事となる

というのは
その相手と言い合いになってるときや
また少し時間が立って
許せない気持ちがフツフツしてるときもそうだが

その納得いかない感情は
相手がどうであるかではなく

「自分の言い分が伝わっていないのではないか」とか
「あのとき勢いで余計なことを言ってしまって
それをそのまま受け取られたら癪だ」とか

つまり自分の行いについて
怒ってるだけじゃないのかということだ

 

相手を利用してる自分に気づく

たしかにはじめは
なんらかの揉めるきっかけがあったのだろう

だけども途中から
相手がなにをしたという問題ではなく
自分の問題の解決のためにわざわざ相手を通じて
それを解消しようとしていることに
気づかなければならない

たとえばひとりで部屋にいても
相手のことが頭から離れず
心のなかで相手との言い争いが展開しているとき
その空想のなかでも
あなたは相手を打ち砕こうとする

相手を攻撃するのは
もちろん自分を守るためだ

しかしなぜ”自己防衛”をするのだろう?

「そりゃ相手がわかってないからですよ」
「私は悪くないからに決まってるじゃないですか」

そういうだろうけども
そのセリフをよく眺めてほしい

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