のんびり暮らすには
「のんびり暮らしたい」と誰もが望んでいる。
仕事や家庭の用事や人間関係、さらには生きていく問題の解決に追われているわけで、こんな毎日の苦しみから解放されてこそ素敵な人生がはじまるはずだと、つまり「のんびり好きなことをやって暮らせるはずだ」と信じている。
ところが仕事や生活の問題が一切消え去って「もう何もしなくていい」という毎日に放り込まれたとき、あなたは決して「のんびり好きなことをやって・・」のようには暮らせていない。
だらだら過ごしているだけ、毎日のリズムは不規則で睡眠も浅くなり日中も頭が働かない。その鈍重でモヤモヤした己をどうにかしようとするが、食べ物や娯楽を貪るしか手段が浮かばず、その結果ますます重たい自分を作り出してしまう。何かを成すこともなく、あっという間に1日が過ぎていく。
忙しかった頃は「いつか解放されたら毎日いろんなことに挑戦してみよう」と胸を踊らせていたのに、実際そうなってみれば、まったくその気にならない。
のんびりというより、体も頭もどんよりしているだけで、当初の想定とはかけ離れているわけだ。
忙しいほどのんびりできる?
ところで「のんびり過ごす」というのは、実は毎日が多忙なほど実現するという逆説にある。
つまり「のんびり好きなことをやって暮らしたい」というのは、いますぐに実現可能なんだ。
私も毎日やるべきことで埋め尽くされているが、それでもたとえばオーブンでお菓子を焼いたり、コーヒーを飲む時間や雨音を聴きながら読書をしたりという時間は欠かさない。後述しているように日中も合間をみてはたびたび安眠している。
言いかえれば、やるべきことがあるからこそ、そうしたひと時が輝きを増すことになるわけだが、しかしこの話は単にスケジュールを調整してそこに詰め込めという話ではないから注意しなければならない。
それだと「一番大事なもの」が欠けてしまうからね。
それは何かといえば「のんびり」という“現実”から解放されている実感のことだ。
「のんびり」の真実
そもそも「のんびり」とはなんだろうといえば、それは上述したように「何もしなくていい」という虚無な空間に放り出されることではない。
もちろん何の用事も予定もない毎日ならば、いつお菓子を焼いてもいいし、いつ読書をしてもいいのだろう。たしかにそうかもしれない。だがその時間を自分で決めなければならない。
この「自分で決めなければならない」という”無からの努力”から解放されることが「のんびりしたいな」というあなたの願いだったはずだ。ところがその願いが叶って、まったく自分で決めなくていい毎日に浸かってしまうと、なにをするにしても自分で決めなければならなくなるというパラドクスにはまる。
それは多忙な頃よりも過酷な毎日となる。何をするにしても、それはまるで静止している車を後ろから押し歩こうとしているようなものだからだ。
その重苦しい努力に疲れ果てて何もする気が起きないうえに、さらには何も”自然”に為されていかない。そうなってくると「生きていることの意義」を完全に見失ってしまうことになる。
ここに最初の要点がある。
人生が充実しているというのは「自分で何かをしているつもりはないのに、すいすいと為されていく」という無為にあり、このような虚無空間で必死に泳ぎ続けなければならない有為とは真逆にあるんだ。
無為の力を借りる(=他力本願)
わかりやすい例として、たとえば苦手な相手に電話をしなければならないとき(面接の電話なんかもそうだね)そのことを前にして立ちすくんでいたら大変に辛い状態に陥ることになる。
だがこれから友人と遊びに出かけるとか、欲しかったものを買いに出るその直前に、つまり玄関のドアを開けてこれから外に出ようとするそのときに、その流れの勢いに乗って電話をかけみれば心の負担なく、簡単にことを済ませることができる。
そして多くの場合「電話しておいてよかった」という安らいだ結果となるだろう。
つまり大事なのは、流れるプールに身を委ねるように、その水流(=力)をうまく自己世界の創造や解決に活かすことにあるわけだが、「のんびり」というのも実は何もしていないわけではなく、同様に流れに乗っている様子にある。
だからこそ「のんびり」できるんだ。このことを見落としてはならない。
言いかえれば「まったく何もない毎日(=人生)」というのは、流れから外れてしまっているわけであって、なんであれ行為を実現するためには、まず自力でパドリングしなければならなくなる。つまり二重の努力が必要となるわけだ。電話の前で立ちすくんでいるようにね。
無職生活が長引くほど身動きができなくなるのはこのためにあるから注意しておこう。
失業手当の給付期間がまだ残っていても活動の勢いから外れてはならない。その勢いに乗って次の仕事をみつけることが大事であり、なにより「流れ」が次の新しい仕事を出現させてくれる。
あなたが「のんびり」でない最大の理由
さて、ここまでを踏まえたうえで「のんびりした暮らし」をいまここで実現するために最も重要なポイントがある。
Notes あなたの世界, 不幸をやめる, 充実感, 幸せになる, 心, 生き方, 自由, 豊かさ
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