人生を楽しむ方法、それはいますぐそこで始められる

散々やり尽くしただろう
やってみたかったスポーツも
欲しかったものも手に入れた
行ってみたかった場所にも行ったし
食べてみたかったものも味わった

さあ次は何をやる?

次は何をやれば
満たされるのだろうか?

それとも気がついてきたかね
散々やり尽くしても
何も残らないことに

その「瞬間」は確かに素晴らしい
手にした瞬間、到達した瞬間、
そこだけをあなたは求め続ける
その一瞬だけが
あなたのエクスタシーとなっていた

だから求め続ける
ただの一瞬を感じたいがために

 

ドラッグに手を出さない

あなたが次に見つけなければならないのは
興奮させる新しい音楽?
セックス相手かい?流行?
それとも自分探しの旅というやつかな

覚えておくことだ

あなたが外の何かで
心を埋めようとする以上
決して満たされない

「新しい何か」はドラッグと変わらない
効き目が切れたら地獄、
精神を高揚させたい、安定させたい、
だから新しい興奮を探す
そしてまた効果が切れる

しかも耐性ができてくると
「どうせ前と同じでしょ」という
虚無感すら生みだす
あなたは重症だ
こうなるとそのブツすら手にできない

目の前にあるのに
虚しさに駆られてしまう
酷い鬱症状の道を辿ることになる

「人生って何のためにあるの?」
「全部めちゃくちゃになったらいいのに」
そんなことを考えるようになる

他人の不幸を喜び
自分だけが苦しんでいないことに
安心を求めるようになる
または他人を攻撃する、不快感を与える、
そんなことをして足を引っ張ろうとする

だがそういう行為や思いが
さらに自らを深い不幸に
落としていることに気付いていない

あなたの見ている他人は実在しない
「あなたの見ている他人という風景」
があるのだよ

その風景とは何か
それはあなたの心の世界だ
つまりあなた自身である

あなたが他者に思いを持てば持つほど
あなたにそれが帰ってくる
すべては循環している

では「楽しさ」とはなんだろうか
新しい何かに触れた「一瞬」のことではない
つまり音楽でもスポーツでも
服でも旅でも食べ物でも
何でもないのだ

それらは「あるがままの素材」であり
楽しさを含んでいるわけではない

だがあなたが実際に楽しんでいるとき
一体何が起こっているのか

あなたが「楽しさ」を作り出しているのだよ
外側の何かに触れたから楽しいでのはなく
あなたが楽しいと思っているから楽しいのだ

 

楽しさは自ら作り出すもの

子供は何にでも興味を持つ
古い教えの中で
「子供のような心になりなさい」とある

それは「自らが遊びを作り出していること」
つまり「自らが世界を作り出していること」
を思い出しなさいということだ

あなたが楽しいと思えば何でも楽しい
最初は無理矢理思い込んでもいい
思い込むということに抵抗を持つのは
その理由を探そうとするからだ

だがね、思い込める、というのは
あなたの真の力なのだよ

理由を探そうとするのはマインドだ
つまり大人の理屈である

子供は道路の白線の上を歩くだけで楽しい
大人のあなたは
「これに何の意味がある?」
「こんなことやってる場合じゃない」
「他人が見たらおかしい奴だと思われる」

意味や理由を求め、
さらに他者の目で自分を見る

そういうことを一切しないことだよ
ただ楽しめばいいのだ

新しいものを見つけることなど
しなくていい
普段やっていること、
部屋の片付けや、歩くことも仕事も
何でも楽しめばいいのだ

「意味や理由を求め、他者の目で自分を見る」
そういうことをしないということだ
それが「楽しさ」の正体だ

自分の中に楽しさを見いだしなさい
何をやっても楽しかったことに
気が付くのだ

夢にまでみた豪邸に暮らせたとしても
それを手に入れた「一瞬」を
求めてはならない

ライフスタイルとは
「自ら作るもの」なのだよ

豪邸とあなたの楽しさは
まるで関係がないのである

 

あなたが永遠を作り出せる

外に求めると必ず飽きがくる
外のそれは、ただのそれだからだ

それ自体が楽しさや
永遠性を秘めているのではない
あなたが永遠なのだ
あなたの中に在る

釈迦が虚しいだけの豪華な日々から
悟りという外にあるものを求めたが
満たされることはなかった

目に見える世界はあるがままだが
心はあなたが無限に生み出せる
心が喜びに満ちていれば
その投影である世界は満ちたものとなる

 

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  1. より:

    >何をやっても楽しかったことに気付くのだ。

    これですね。それが出来ない。不安や恐れに支配され、生活を楽しむどころじゃなくなっており、スピリチュアルに救いを求めている。
    白線を渡りきり、ニコッと笑っていた時代が確かにあったのに。

  2. より:

    でも、そんな子供の頃でも、テストは楽しめなかったり、ゲームのような遊びは楽しめたりしてましたね。
    今でも、今はやらないですが、テレビゲームなどなら、白線を渡る小学生のように、一人で楽しめるでしょうから、本質は変わってないのかも。
    ある時テレビゲームを止めたのは、勿論、人生と言うゲームに挑戦しようと思ったからですが、ゲームと違って、全く楽しめないと言う。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      ひとつ良い方法がある
      非常に効果の高いメソッドだ

      それはまだ知識が乏しかった
      幼少の頃に意識的に戻ることだ
      その状態で意欲的に物事を体験していく

      つまり無知な自分になり
      先入観や大切にしている信念などを捨てる
      そういう「実験」を開始しなさい

      経験するすべてが「驚き」となる

      あなたの意に反する意見を誰かが話しても
      驚きの連続であることを忘れてはならない

      人々の言葉に注意深く耳を傾け
      目に映る平凡な光景ですら
      深く観察を続ける

      世界は謎でいっぱいだと感じてみなさい

      最初は軽い実験の気持ちではじめてみる
      そして徐々にそれを定着させていく

      本来の生き方に戻れるだろう
      そこには恐れはなく
      ただ自由が起こる

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