人生に起こるすべてがプレゼントだ

世間から随分と遅れをとってしまったかい?
世間とは何か?
遅れとは何か?
失敗とは何か

昨日意気込んで始めようとしたことが
今日はその気にならないかい?
意気込みとは何か?
始めるとは何か

あなたが実社会で置かれた現状に
納得が行かず
満足せず
不安になり
虚しくもなり
何かを始めないと終わってしまう、
でも何から手をつければ良いのかわからない
そんなことをいつも考えているのかね

釈迦も同じだった
彼はその焦燥感から
次の快楽を求め続けた
修行、荒行、悟りへの道

だがスピリチュアルでは
「あるがまま」「そのまま」
「何もする必要はない」と教えられる
ますます不安になってくるだろう

あなたがスピリチュアル本や
この手記のようなものに
何かを求めているのならば
理解することはできない
求めている限り「それ」は見えてこない
水中でバケツに水を
汲もうとしているようなものだ

現実とは何だろう?
あなたは一体どこにいて
何をしているのだろうか

あなたは幼少から現在まで
なにひとつ変わっていない
肉体は成長し老いているだろう
だけども
見たり聞いたり考えたりする肉体、
それを認識する意識は
成長もしていないし
知識が増えるということもない

ただあなたという人間が体験するすべてを
「体験している」だけだ

体験とは何か?
それは発生だ

例えば歩くとき、
地面と靴、足、体重、
気温、視界、聴覚などすべてが混じり合う
だがそれらは「歩く」という行為のための材料だ
材料があるから「歩く」が発生した
歩く、それは何か?
行為という材料の中で何かがあることがわかる
それは「感じたこと」だ
その感じたことを、人間界では「歩いた」と言う
すべては心だと表現もできる
あなたは歩いていない
人間言語で「歩いた」として認識しているだけで
そういう「感じたこと」が
それがあなたに発生したに過ぎないのだ

歩くも立つも座るも怒るも不安も夢も快楽も
すべて、その対象とその行為者の結果ではなく
「心」があるだけなのだ
心が先にあり、その人間的な認識をするために
対象と行為者、そして感情が用意されるが
事実は「感じたこと」があるのみである

寒いとき
気温と肌の感覚などから
あなたは「寒い」とする
だが「寒い」をよく分析してみなさい
本当に寒いのかね
寒いって何だ?

その奥深く、
寒いという人間の言葉を超えた「それ」が
ただ湧き出ただけなのだよ
つまりすべては「それ」だ

「それ」があなたの実体だ
あなた自体が水中そのものなのに
どうして「自分は水中にいる」と知ることができる?
前提中の前提として
その中で生きるドラマが繰り広げられるから
水を理解できない
だからスピリチュアルや古代宗教、禅があるのだ
だからすべての美や芸術、生物、自然があるのだ
だから常に何かがあり、何かが起こっているのだ

失敗とは何か
喪失とは何か

それはすべてプレゼントなのだ

あなたが知った物事、
出会った人々、聴こえてくる音楽、会話、
理不尽、憂鬱、快適、不安、欠乏、
すべてあなたのプレゼントなのだよ

だから「ああ、このままでいいんだ」と
いま、ここにあるプレゼントを
すべて貰っておきなさい
対象でも行為者でもない、
それらはお膳立てだから
心に生まれた「感じたこと」を貰うのだよ
理由や意味付けなどない
それがだからどうなの?って考える必要もない
ただ「感じたこと」を貰うのだ

なぜならば、後にも先にも
それしかなかったんだから

何か始めたくなったら
「対象」「始めること」「行為者のあなた」を
すべて取っ払いなさい
心に生まれた「感じたこと」だけを貰いなさい
もう思考に振り回されないだろう

後は流れに流れていくその様子を
眺めているだけでいい

あなたの本性は「感じたこと」だ
決して「行為をしているあなた」ではない

感じ続けるから
あなたは輝きだすのだよ

 

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コメント・質疑応答

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  1. さばみりん より:

    この手記、ひいてはこのサイトに書かれているすべてを読んでいるわたしはすべてを忘却していました。
    ゆえにすべてでした。いまに在りました。
    とても素敵なプレゼントをいただきました。

    ありがとうございます。自分さん。

  2. -自分- 涅槃 より:

    さばみりんさん

    対象やその対象に対する行為者に
    あなたの意識が向いておれば
    現実というパズルに
    雁字搦めにされてしまう

    あなたから「あなた」が抜け出ているからだ

    だから外部に囚われず
    行為を流れるがままに流すこと
    それが極意となる

    それを無為自然という

    どうすればその境地に入るのかといえば
    自分の内側を意識で満たすことだ
    自分を存在させることだよ

    するとあらゆる行為の中に入ることができる
    つまり「行為者」は消え
    純粋に行為だけが起こる

    逆もある

    行為がないのに
    行為に入ることもできる

    例えば眠っているとき
    あなたが意識で満たされておれば
    体は安らいでいるが
    意識は目覚めている

    つまり宝物は
    あなたを包み込んでいる意識そのものだ
    意識があらゆる体験を与え
    その世界を感じさせている

    だからいま生きていること自体が
    感謝なのだよ

    • さばみりん より:

      ありがとうございます。
      常に抜け出ているばかりなので(笑)、意識を自らの内面に向けていきたいと思います!

  3. 愉快 より:

    昨日身内が事故に逢い、勝手に自分が移動したり手を動かしたり手続きしているのを眺めていました。

    すべてはシーンでした。一コマ一コマ。

    まる一日、そういうふうに物事が目の前に起こっていて、誰かが怒っていたり苦悩の表情を浮かべていました。わたしの中にも感情が起こりました。その感情のままに言葉を発している自分のことも眺めていました。

    気がついたら自分が自分ではないような処理能力で軽々と何もかもをやり終えて、翌朝起きてみればいまやることはただタスクとしてメモに書いてあります。

    メモに書いてある通り、また今からややこしくて負担になる (と、誰かが気遣ってくれる) なにかをしに出かけるのです。

    頑張って頭で考えていたときはうまく行かなかったことが、頭を使わなく (使えなく?) なった昨日、今日、は、いつの間にか終わっています。思い出すことしかできないのです。まるで過去の回想シーン。ほんとうにそうなのでした。

    電車の中で、目の前に居る大勢の人や窓から見える景色、わたしを包んでいる空間、移動する車体。わたしはじっと目をあけて、自分の中を見つめながらああこれでいいのかーと妙に納得しました。

    たまたまこの記事がクリックされたので、涅槃の書のことを忘れて過ごしていたことにも今気づきました。

    この書がひとつのアートであること。
    それを喜び、楽しんでいます。
    読んでいない時も楽しんでいます。

    コメントされている方、読んでいらっしゃる方、自分さん、すべての方々に感謝!LOVE!

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      >この書がひとつのアートであること。
      >それを喜び、楽しんでいます。
      >読んでいない時も楽しんでいます。

      よろしい

      ひとつだけ注意をすることがある
      このコメントを読んでいる
      多くの方にも場を借りて伝えておこう

      アートを現実や日常から
      かけ離れたものとカテゴライズしては
      ならないよ

      あなたの人生に起こるすべては
      あなたのことなのだ

      フィクションを映画を観ているあなたは
      ノンフィクションであり
      すべてはあなたの中に起こるもの

      だから現実も夢も同一線上にあり
      他者が経験した出来事も
      あなたが”聞いた”という出来事なのだ

      つまりあなたのご親族が
      事故に遭ったことも
      それはあなたの経験なのだよ

      あなたはその「背景」に
      薄々気が付いてきている

      すべては主観的なものであること
      その意味を深く知れば
      あらゆる境界は消える

    • 愉快 より:

      ありがとうございます。

      以前、すべての時が輝いて見えた時期がありました。
      どん底の時でした。

      その後、もっと向上したいと自己啓発的な取り組みを続けていたらその感覚はどこかに行ってしまいました。前よりも状況は良くなっているのに、もっともっと○○になりたい、とキリがないことに愕然として、やさぐれることもありました。

      家事の最中自分の手が動いているのをみている時、バスが来なくて一緒にいる人が苛々している時、喫茶店に座ってスマホを取り出して指を動かしているこのいま。どれも等価?というか、うまく説明できませんが、先日の自分さんの「だから毎日が躍動する」というのを思い出しました。

      たったいま、目の前の椅子を見て笑いそうになりました。理由は説明できませんが、やはり、愉快です。

    • 愉快 より:

      喫茶店から出たとたん、近くのバス停からバスが発車するのを見ました。

      それに対して、ガッカリするでもなく、かと言ってプラス思考みたいな考えをするでもなく、なぜかハハッとなりました。フラット? 諦め? とはまた違うような。

      説明しようとすると逃げていきます。ただ、この身体の疲れとか、足の痛みとか、周りの気配、視界、肺に入ってくる空気、湿度、風、などを満喫しています。頭はあまり働かない感じなのに必要な用事はどんどん片付いていく。面白いです。

    • 愉快 より:

      ひとつ思い出したことがあります。

      以前、忙しい時や非常時に一時的に非現実の世界にいるような錯覚の中にいて、多分それは離人症?みたいなことだろう。と医師に言われた事がありました。

      でも今の感じはそれと違うのでした。現実感があり、目や皮膚で周囲のものを直接触っているような。それでいてわたしひとりしかいないような。時々感情がやってきます。斑に記憶が途切れます。ふと思い出すとやっぱり今日も回想シーンです。直前のことさえ回想シーン。

      階段を降りながら電車がホームに滑り込んでくるときに集中線のようになった車体のライン。それを目で掴んでいるような感じがしました。

      疲れが取れだ時、また元に戻ったらそれはそれで良いです。ただ、ご報告したくなってしまって。

      ありがとうございます。

    • 愉快 より:

      電車の中で人の汗の匂いを嗅ぎました。いま、コーヒーの香りを感じています。

      場面、各コマ、に良いも悪いもありませんでした。

      指は勝手にスマホの上を滑って、身体は荷物をまとめ終わって支度を終えていました。最初からこうすることに決まっていたからそうなった、という結果を見ているだけのように、今朝も過ごしています。

      そういえば、アートとは日本語で技術という意味でしたね。腑に落ちたような、まだわからないような。でもわからない今の状態も楽しいのです。

      ありがとうございました。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      たくさんの報告をありがとう
      あなたという視点は
      多くの人を導くだろう

      私たちは本来ひとつのものだ
      それが多面的な視野を
      持っているに過ぎない

      自分ひとりでもそう
      いまとさっき
      こことあっち
      それぞれ多面的な別の視野だ

      だから自他もなければ
      過去もない
      すべてはワンネスの包摂にある

      私たちは同じ世界(意識)にいながら
      別々の光景(アート)を生きている

      すべては意識が織り成す宝物なのだよ

    • 愉快 より:

      >だから自他もなければ
      >過去もない
      >すべてはワンネスの包摂にある

      はい。全くそのとおりでした。

      事故に付随してややこしい問題が起こっていて、誰かが感情的な言葉を口にする場面にいました。それに加えて地震に関しての心配不安をもっとすべきだというような発言をあちらこちらから投げかけられました。わたしは今朝、防災リュックの点検と高い所のものをおろしてきたのでそのことは思考の外にいったん置いていたのです。

      立て続けに複数の出来事が起こるうちに、わたしはそこに同一化して無意識の状態に引きずり込まれました。

      でも、数分後にふとまたおととい?か、いつだかからか忘れましたが、とにかくわたしにとって新しい感覚であるこの「感じ」に戻って、なんだこれ、と、この視点、このポジション (名付けることができません)」 に戻っていました。

      視界に入るあのひとも、このひとも、全部わたしだ。それどころか過去に栄華を誇った王侯貴族も物乞いも戦士も女こどもも全部自分だったのかなともチラッと思いました。

      ワンネスというのはどういうことなのか詳しくないですが、体感として、なぜそう言い切れるのか説明はできないけれどそうに違いないとわかる、みたいな不思議な確信が訪れました。

      感動しています。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      あなたは出来事の度に
      自分の意識状態をちゃんと確認している
      後で気が付いても構わない
      その姿勢が素晴らしいのだよ

      どんどん現実から距離ができていく
      いずれすべては「回想」となる

      >不思議な確信が訪れました。

      その確信を大事にしておきなさい
      理由や根拠はいらない
      それがあなたを導いてくれるだろう

      最後には愛だけが残るようになる
      この次元で謳われる
      表現としての「愛」ではなく、

      自分が見るから見えるということに
      あなたは愛を感じずにはいられなくなる

コメント・質疑応答

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