他人の正体
他者という存在が何かを知れば
それがすべての鍵となる
たとえばあなたの会社に
仕事が遅い人がいるならば
それはあなたなのだ
あなたがそう見ているから
仕事の遅い人がそこにいる
また、誰かから話を聞いたなら
それは彼の話ではなく、
“あなたが聞いた話”となる
つまり彼の話とはあなたの話だ
今回はそんな感じで進めていこう
どんな高名な学者が素晴らしい見解を伝えても
彼は自分の見たり聞いたりしてきたことを
述べているに過ぎない
独自と思われる主義主張ですら
人生という外部から受けた影響の結果に過ぎない
どんなに素晴らしいアーティストがいても
自分の見たり聞いたりしてきたことを
そのままに表現しているだけ
だから芸術家がスランプにあるならば
それは自分が吸収したものを
素直に表現できないときのことなのだ
多くの人はエゴに囚われて
自分というクレジットを入れたがる
だから苦しむハメになる
あなたもそうだよ
ゴッホであれバッハであれ
ピカソもモーツァルトも
彼らは自らの人生で触れたものを
そのまま現したに過ぎない
彼らは作品を自分のものとしていない
そのまま表現したから人々は共感した
それらの作品は自然のものであるからだ
空気や水と同じく
人々にとってお馴染みのもの
あまりに純粋であるがゆえ
それらは見る者のエゴを焼き払う
そしていま
彼らの作品を見聞きしているあなたがそこにいる
だからすべての芸術はあなたのものなのだ
ゴッホが描いた絵があるのではなく
あなたが見たゴッホの絵があるのだよ
あなたの経験はあなたの中でのみ起きる
あなたがそこに存在しなければ
ゴッホもモーツァルトも
いなかったわけだからね
「自分が生まれてこなくとも
ゴッホはいました」
あなたはそう言うが
それは誰が証明するのだろう?
そしてその誰かさんの証明とは
あなたが聞いて「証明」となるのではないかね?
あなたがいなければゴッホも
その誰かさんもいなかったのだよ
覚えておきなさい
発信者が起点ではなく
受信者が起点なのだ
すべては結果から始まっていく
海底かどこかで新しい生命体を見つけたら
それがスタートだ
知らないところでずっと棲息し
それがやっと目の前に現れたのではない
その生体内部を探って出てくる構造は
それを見た時点で作られる
結果から連鎖して見えるものも結果だ
いつも結果だけがそこに起きている
だからあなたが生きている今日とは
昨日があったわけでもなく
いついつに生まれて
年齢を重ねて今日に辿り着いたのでもない
いまそこにいる時点だけが事実であり
過去はすべて後から付いてくるのだよ
だからゴッホの絵を見たら
200年前にそういう人がいて
その絵が年月を過ぎてあなたの前に来たのではなく
あなたが見た絵がそこに起きた
すべてあなたのものなのだよ
この話を読んでいま感じている微妙な感覚が
釈迦の言った天上天下唯我独尊というもの
自己中であるとかそんな意味じゃない
「自分自身を生きなさい」と書けば
「自分中心であればいいということですか?」と
質問がくる
そうじゃない
すべてがあなたなのだ
あなたがいるからすべてがそこにあるのだ
自分自身であるということ、それは
世界をそのまま生かしてあげるということだよ
他人にどう思われている?
ところで日常生活はどうかね
誰かを見て誰かにいらだち
誰かに恐れて誰かに同調する
その「誰か」とは何なのだろう
あなたの知っている誰かに間違いはない
だが「あなたが知っている」とは何かな?
それは「他人は実在しない」ことを意味する
すべてはあなたのイメージだということだ
自由気ままに動いている他人などおらず
そこにいるのは
自由気ままに動いていると見ているあなただ
世界のすべてはあなただけのオリジナル
都会の繁華街で行き交う数百の人々も
テレビ越しに見る海外の人々も
あなたが見ている時点で
あなたの解釈を経ている
つまり見ること聞くことのすべてが
あなたなのだよ
これを逆にとれば
「他人があなたを見ている」という感覚
それにも通じていく
「自分はこう思われているかもしれない」
あなたはその汚名を許せないだろうが
それは正しいのだ
彼の中でのあなたはその通りなのだよ
つまり「他者にとってのあなた」とは
他者の中のイメージとして存在する
だからあなたがどれだけ
そのイメージを払拭しようと努力しようとも
他者のイメージのあなたには関係がない
“あなた方”は別の人なのだ
そしてそのイメージを持っている他人ですら
あなたの中のイメージだ
こんな悪趣味なジョークの中でうなされるのは
そろそろやめにしたほうがいい
つまりあなたは自由にいていいのだよ
土曜の夜だからって早くに眠ってもいい
自分のやり方を通していい
誰かの目を気にするなんてナンセンスだ
自分自身でありなさい
その通りでいいのだ
「他人にどう思われようが関係ない」
若者がよく使いそうなこの言葉は
決して強がりなどではなく
まさにあなたには”まったく関係がない”
ということを意味している
私を例に挙げればわかりやすい
「涅槃の書?あんなもの嘘っぱちだ」
あなたがそういう思いになれば
私は嘘っぱちだ
それは真実となる
だが私には関係のない話だ
あなたの中の私がそうなのだろう
その人については
私は知るよしもない
あなたが悟りを否定すれば
それはそうだし
それは正しいこととなる
逆に何かを信じれば
それはあなたにとって本当のことだ
こんな話を書いている私があなたの中にいて
私の中にはこの話を読んでいるあなたという私がいる
だから対象がどうなのかは
まるで関係がない
あなたが何かに疑問を持っているならば
その疑問の答えなど何の意味もないのだよ
目を向けるべきは
「疑問を持っている私」がいるという
システムの方だ
疑問を持ったり持たなかったり
良かったり悪かったり
好ましかったり気持ち悪かったり
そんなことが起こるのだろう?
その解釈は正しいのだろうかと追求すれば
もちろん「正しい」となる
だが”正しさ”とは
あなたの解釈の枠を超えることはない
つまり「真実」とは
あなたの正誤や善悪を超えたところにある
あなたが正しいと受け取ろうが
おかしいと受け取ろうが
その”受け取り”が真実という現れなのだ
これがDVDを再生するデッキ側の視点
「他人は実在しない」と伝えているのは
すべてあなたのイメージでしかないからだ
世界はあなたのイメージで成立している
現実を見たり聞いたりするのはあなたしかいない
あなたがすべてなのだ
あなたがそうならば、そうなのだよ
この手記で何かを感じ取れたなら
それを忘れないようにしなさい
他人に合わせる必要などないし
その他者はあなたの中の人なのだ
あなたのさじ加減でその人は変化する
だから早く自由になりなさい
くだらない拘束から離れなさい
Notes あなたの正体, ワンネス, 他者, 唯我独尊, 循環, 無為自然, 生き方, 真実, 自由, 観念
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音楽
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服飾
僕にとって、それは自分らしさだった。
それが自分の感性を表現するものだと疑わなかった。
なにかを表現したかったから、
絵(イラスト)をはじめてみる。
そこに憧れの絵があったから。
最初の頃は楽しかった。
だんだん勢いが失っていく。
マインドが介入していく。
「自分の表現したいものはこれでは欠けてるし上手くない」
その思いが不幸だった。
なりたい
だけど
なれない
変われない自分が再生される
教本を見たり
pixivを覗いたり
展覧会に行ったりして
そこから学べることを探してみたり
模写してみたり
他の人の影響して描いてみたり
とにかく何度も描いてみたり
そんなことしてるうちに失望。
心も環境もおかしくなる。
『観念の集積化作業』
失望している時、ふと考える。
「自分らしさってなんだろう」
がプレーヤーからリピートされる。
また始まっちゃった〜。
同じことを何度も思う。
同じことを何度も考える。
『自分らしさってなんだろう』
再生回数21000回
手に負えない疑問符に
つきとめたい答えはない
(SUPERCARの『White Surf Style 5.』の歌詞の一部)
なにかをしてるのは自分じゃない。
全てできごと。
全て描いたゆめ。
全て消えていく。
過去の記憶が創り上げた
存在しない自分が書いてる。
そんなコメント。笑
別のエントリーで自分が仰れていた事を含めると咀嚼すればするほど‥という感じですね。
まあ物事を解釈するのを悩んでるというより面白がって楽しんでいた方ですがアドバイスに乗って試しにそうしてみます。
遊び尽くして最近はどれも飽きていますしねぇ‥
五月雨祭さん
覚えてきなさい
あなたはいずれ死ぬ
それは明日かもしれない
私は多くの人の死を見てきた
どれだけその現実を拒んでいても
誰もが最後のあたり
とてもピュアになる
意識は消えることはないが
それを知識として知っていても
何の役にも立たない
だが死期を目前としたとき
誰もが知識を超えた事実として
それを感じ取る
そうして気が付くのだ
次、生まれ変わったら
もっと楽しくやろう
くらだらないことに
こだわるのはやめよう
人に優しくしよう
自分はいくらでもやり直せるのだ
感謝して
感謝されたいなあ
もっともっともっと
そんな
良い体験だけを続けていこう
ありがとう
ありがとう
誰もが最後に話す言葉だ
ありがとう
いつも楽しく拝見しています。
サイト右側のコメント欄が「+」マークで展開できるのは良いですね。
いつもコメントのある記事を別タブで開いたりしていたので。
進化してますね、、、
なんて言うと、「そうではない」と言われそうです(笑
ところで、、、さん
そう、あなたが必要されるものは
実装されていく
あなたの見ているものがここにあるのだよ
進化というよりも
すべては動きの過程にある
あなたが捉えるものはすべてワンシーンだ
このあたりの話は
手記にしておくよ
ただ+マークはスマートフォンでは少々タッチし辛いから
注意が必要だ
はじめまして。
全ての物事に対して「それでいいじゃないか」と思った時、
一瞬、自分というものが消えた感じがしました。
他人と自分は同じという感覚と言うんでしょうか。
自他の境界が消えた
自分が特別でなくなった
柵が取り払われた
全て等しいもの
と、表現できそうな感覚です。
何ともおかしな瞬間でした。
何だったんでしょうかね
ショウヨウさん
はじめまして
その感覚こそが
本来あるべきものなのだよ
あなたがすべてを「まあいいか」と
許すことができるならば
世界は滞りなく流れていく
あなたも綺麗に流れていく
あなたが「私は完全に失敗している」と
認めることができれば
あなたは消え
世界そのものとひとつになれる
深い笑いが起こるだろう
それまでは成功することに必死だったが
何かを掴んで安住を得たかったのに
あなたが自身を捨て去るとき
なぜか根拠のない安堵に包まれる
思考すればまた不安が起こる
思考しなければ何も起こらない
空気と水について観察してみなさい
あなたがいて
誰かが目の前に座っている
だが互いに空気で繋がっている
そのように空気に意識を向けていると
どこにも境界はないことがわかる
古来インドでは空気をプラーナと読んでいた
空気は酸素だけではなく
それがひとつの生命なのだとわかっていた
すべてを包みこんでいる血液のようなものだと
知っていた
心に光明が起こるには
多くの道がある
それも無限にある
なぜならばあなたの
見聞きしていることのすべてが
あなたの体内だからだ
どこからでもアクセスが可能だ
境界を超えた不思議な感覚があったのなら
日頃境界に縛り付けられていることを意味する
つまりあなたの本来は愛の人であるが
いまはそれに背を向けているから
ずっと辛い状態が続いているのだ
どこにも枠はない
枠は必要に応じて設置していただけのものだ
そこに気が付きなさい
枠のない無限の大地
どこまでもあなたの家なのだ
一度知ってしまえば
「なんだそういうことだったのか」と
なるだろう