いじめ、人間関係を超越して自由になる

先日コメントとして書いたものだが
手記として残しておくよ

人間関係の問題は年齢を問わず
普遍のテーマだ
本当の意味は後述するが
サルトルが「地獄とは他者だ」
と言ったように、

学校や社内
近所付き合い
親族間
人間が絡むところには
大小なりのネガティブが潜んでいる

あなたが人間関係で面倒な状況にあるなら
以下を理解すればすべての問題は抹消される
これを子供たちに伝えるのもいいだろう

ただし注意点がある

自分自身でこれを悟るには問題はない
その通りに理解すればいい

だがあなたが知った話を
子供なり別の誰かに伝えるときは
言い聞かせるようなやり方はしてはならない
あなたが苦しむことになる

 

自分でそうしている

さて前提にあるのはいつもの通り

「あなたがそうならばそうである」

これは人生の秘密を解く一番巨大な鍵となる
他人や社会があなたに対してどうであれ、

あなたが楽しければ楽しいのだ
あなたが悲しければ悲しいのだ
あなたが疑問ならばそれは疑問であり
あなたが地獄ならばそこは地獄である

つまり「あなたの世界」はあなたしか知らない
あなたの世界観がそこに現実として起きており
あなたはその中で生きている

例えば同じ料理を食べても
あなたと私ではすべてが違う

あなたが料理について感想を述べる
私が料理について感想を述べる

だがそれは各々が
「自分の話」をしているだけであり
料理そのものについて語ることはできない

これを人間関係に置き換えてみれば
他人があなたに何かを言うことはできない、
すなわち、あなたに影響を与えることは
できないということがわかる

でももしあなたが誰かの言葉に嫌な気分になったら
それは「自分が自分でそうしている」だけなのだよ

わかるかね?
繰り返しておこう

誰かがあなたに話をする
だが彼は「自分の話」をしているだけだ
あなたはまったく関係がない

だからその関係のない話に
あなたが影響をされたとするならば
自分でそうしているのだよ

状況を思い出してごらん
毎回自分の中でフツフツとやってるはずだ

想像力が膨らんで身体にまで影響を与えていく
「想像力」についてはまた別の手記で書くが
そのパワーはすさまじい

男性ならばわかるだろうが
性的な興奮とは想像力からスタートする
刺激だけでは勃起しない
また、不安を想像しただけで
呼吸や動悸が速くなるし
手足を震え出すことも可能だ
これは魔法そのものである

誰かが「自分の話」をしているのに
あなたは想像力を用いて嫌な気分に浸るわけだ
あなたも自分の枠を出ることはなく
自分の世界を自分で「嫌なもの」にペイントする
相手に塗られたのではない
それは不可能だ
すべて自分で塗り込んでいるのだ

もはや「料理」や「他者」も
そこにはないことがわかるだろうか?
あるのは「あなたの話」だけだ

だから人生を楽しいものにするか
不幸にするかは
単にあなたの責任となる

人間関係で嫌な気分になっているとき
それは自分でそうしているのだと
気が付くことだよ

 

誰もが”独り会話”をしている

もう少し話を深めよう

相手は”自分の中のあなたの話”を
“自分の中のあなた”にその話をしている

これは普段の会話でもいいが
話をしている相手をよく観察してみればいい
会話に夢中になっている相手に
こんな疑問を浮かべなさい

「いったいこの人は誰に話をしているのだろう?」

会話とは相手が目の前にいても”自己完結”する
話終えてDone、話終えてDone
その繰り返し

相手に話しているつもりでいるが
実際はそうじゃない
ひとりで延々と話している
つまり自分に向けて話をしているのだ
自分の中では相手を浮かべているが
相手そのものではない

考えてみればわかるが
そうでないと「会話」はできないのだよ
誰もが自分自身に話しかけている
それ以外に「会話」をする方法はない

2人が顔を合わせて会話をしているのに
相手そのものは両者には必要ないのだ

もっと解いてみよう

誰かとの会話中にこう自問しなさい
「いったい私は誰と話をしているのだろう?」

あなたは”対象”に対して何かができる
いつもそうしてきた
見えるものがあれば見えるし
聞こえるものがあれば聞こえた

だがそもそも
その”対象”とはなんなのだろう?

そこに白いコップがあれば
白いコップというあなたの認識ゆえに
白いコップを見ているのだ
白いコップというあなたの見解は
あなたの世界ではその通りだが
本当はどんな姿をしているのだろう?

それはあなたには決してわからない
白いコップとしている以上
それはそうなのだ

これは”他者”も同じ
「あなたの中のその人」となる
だからあなたが他者と会話をするとき
非常に滑稽な様子が起きている

ありもしない相手に
その「ありもしない相手の話」をしている
ずっと独り言を繰り返しているのだ

白いコップならいい
コップは返答しないからね
白いコップは本当は違う姿でも
あなたの一方的な受け取りだけでいい
真実は葬られる

だが対象が人間となればミステリアスだ

相手は「自分の話」を自分の中でしているのに
あなたは「私に言っている」としてそれに返答する
返答しているときのあなたも相手と同じく
自分の中で「自分の話」を繰り返す

奇妙な光景が起きている

2人が対面しているが
それぞれが独り言を続けている
話終えてDone、話終えてDone
いったい何を納得し続けているのだろう
互いに「自分の中の相手」を作り上げ
演説を続けている

これはつまり他者は実在しないということ
「あなたの他者」がそのように見えているだけで
そこには誰もいないのだよ

だから人生がハッピーだろうがダークだろうが
世界に影響を受けてそうなるのではなく
すべてあなたが自分でそのようにしているのである

そこに気が付きなさい
あなたはあなたの中にいるのだ

魅力的な異性がそこに歩いていて
あなたは目を奪われるとする
だがそれは異性があなたを惹き付けたのではない
何度も言っているように
他者はあなたに影響を与えることはできない

あなたを惹き付けたのではなく
あなたが惹き付いたのだ

誰かがあなたに意見をする
その話を聞いてあなたが頭にきたとき
その誰かがあなたをそうさせたのではない
あなたが自分でそうしたのだ

このトリックを見破るとき
あなたは他人から自由になる

サルトルが言った言葉とは
他者が地獄という場所なのではなく
他者に自分を合わせてしまうことが
地獄なのだということだ

その他者とは実在せず
すべてあなたの作り出した幻想なのだ

 

誰かに伝える

子どもたちに対するアドバイスだが
いかにして「あなたは自分の世界を見ている」
ということを伝えられるかどうかだ

注意しなければならないのは
あなたが聞かせる時点で
「我が子に我が子の話」をしているつもりが
「自分の話を自分にしている」オチになることだ

それを見破らない限り
いくら話を続けようとも
エゴにしかならない
あなたが苦しむ結果となる

つまり、子どもに伝える前に
あなたが最も重要なことに気付かなくてはならない

私が「愛する妻も幻想だ」と日頃記しているように
あなたの愛するお子さんも
あなたの心が生み出した幻想なのだ

その理解の上で
タスクを進める必要がある

幻想が現実を作っている──

棒で頭を殴れば痛い、というのも幻想のひとつ
いずれ死というイベントを通じて夢からは覚める
すべての幻想は消え去る

だから幻想を見ている間は
そのメカニズムを理解して
ポジティブなものへ変換していくことが
今世でのあなたのたったひとつの仕事となる

ダンサーインザダークのような名画もあるが
私としては「天使にラブソングを」の世界の方が
好ましいからね

少しアプローチを変えてみよう

誰かが徒党を組んであなたのことを
笑っていたとしても
彼らが笑っているだけで
あなたが笑っているのではない

そこで起きている世界に
わざわざ同調する必要はないということだ
つまり”自分が主体にあるかどうか”を
常に意識することが重要課題となる

この見解では
「私が笑っているのではない」という箇所で
意識が自分に向いている
光が内側に灯されている

いじめに限らず
人間関係がネガティブになる原因は”無明”だ
つまり意識が外に向いてしまい
あなたの中が真っ暗闇となっているときの状態
あれよあれよと世間に翻弄され
すべてが理不尽に思え
すべての人間が自分勝手で横暴な悪夢に映りだす
これがサルトルの地獄だ

自分でそのようにしているからそうなるのだが
ことの発端は”無明”からきている

仏陀も伝記の中で無明のときが残されている
彼は基本的に思考的な人だった
だから時代を超え多くの人に愛された
無明がなんであるかを知っているからだ

闇がなければ
光が灯っている様子を悟れないし語れない
最初から悟って生まれてくる人はいない
それは生まれてくることそのものに反するからだ
逆にいえば
死は光明であるといえる

ここまで書けば勘付いているだろうが
幻想、すなわち現実そのものが無明を意味する
だから世の中にありながら
それに翻弄されない状態が悟りなのだ

あなたが子どもに教えるとするならば
「意識の向き」を伝えてあげることだ
常に自分に向けるということ

そして

すべては自分の中の幻想を見ているということ
誰もがそうだということ
世界を幸せに思えるようにできるのは
自分しかいないということ

どんな異性があらわれても
どんなカッコイイ車が登場しても
それらが自分に花を咲かせるのではなく
自分の思いが花を咲かせるということ

つまりすべて自分の見方だということだ
視点変化による見え方の話ではだめだ
それは単なる努力や克服になってしまう

克服するものなどないのだよ
そこに壁があるように見えるのは
自分がそう見ているからだ

人々があなたに影響を与えることはできない
あなたが自分で影響を作っているだけなのだ

自分の内側に光を灯すことができたならば
どんな相手も社会も
あなたを惑わすことはできなくなる
つまりあなた自身が惑いを作り出さない
良いことをしても悪いことをしても
それはただそれをしただけであり
何の意味も持たなくなる
本当の自由を知る

社会の中でこのような教えは
当人にとって逃避になるかもしれない
だが逃げても
どれだけ逃げても
それは己の世界の中であること
それをいかに伝えられるかだ

生きている限り
ずっと自分の中にいる

それをあなたのお子さんという姿の
あなた自身に伝えなさい

 


Notes , , , , , , , ,

コメント・質疑応答

必ずお読みください
・会員記事のコメントはログインしないと表示されません。
・会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名を希望の方はこちらで申請してください。
・連続投稿する時は自分の最初のコメントに返信してください。
・記事に無関係な投稿は禁止です。良識範囲でお願いします。
・規定の文字数に満たない短文、英文のみは表示できません。
・他の利用者を勧誘する行為、扇動するコメントは禁止です。その意図がなくても事務局でそのように判断された場合はその箇所を修正削除させて頂く場合があります。予めご了承ください。
・個人情報保護法により個人情報や会員情報に関する箇所が含まれている場合は該当箇所を削除させていただきます。
・投稿内容に敏感な方も多くいらっしゃいますので、他の利用者様へ影響を与えそうな文面はお控えください。
・スパム広告対策にセキュリティを設定しております。投稿後に承認待ちと表示される場合がありますがしばらくすると表示されます。

  1. より:

    暴力を振るう人間は自分の中の相手のイメージを殴っているのですね。
    しかし、悪口と違って、ナイフで 刺されると物理的に被害が出ますね。気にしないことはできるでしょうが。
    焼き討ちにあった快川和尚も気にしない上に物理的にも燃えなければ最強でしたがね。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      暴力やナイフで傷付けてくるのは誰かね?
      そして傷付くのは誰だろう?

      そこに気が付けば
      あなたは暴力やナイフで傷付くことが
      あなたが求めない限り起こらないのだよ

      リンゴをかじること

      それと同じ

  2. M子 より:

    自分さん、現象は私の映し鏡だということは今までも頭ではわかっていたのですが、今回戊ログを読ませていただいて深いところで腑に落ちました。
    でも、それから逆に減少現象としての現実世界での出来事が混乱したような出来事が起こっています。
    ただ、今までと違い私自身の何かが静かなのでぶれない場所があるのですが、それでも、今までの染み付いた考え方のパターンが起こり、考えに集中してしまったり、ハッと気がついて静かになったりを行ったり来たりしています。
    今までのパターンが話し続けている時は、ただ、聞いているだけでいいのですか。
    何か、ソワソワと落ち着かず、胸のあたりがむずがゆい感じです。
    今までよりも鮮明に頭の喋り声が聞こえて今までよりも吸引力が強いように感じます。で、頭痛もします。
    ただ、もう誰のせいでもないということだけは腹の底で分りました。
    アドバイスをください。

    • 自分 -涅槃- より:

      M子さん

      あなたが内奥の存在に意識を向けるとき
      マインドのざわめきは大きくなる

      大きくなるというよりも
      もともとそれぐらいのノイズだったのだよ

      スマホでもいいが
      音声を録音できる機械を持ち歩きなさい
      そしてどんな小さなことでも
      脳裏に過ぎったことを
      すべて口に出して録音してみたらいい

      後で聴けばわかる
      24時間、あなたは思考という轟音の中にいた

      轟音そのものだったから
      それがうるさいかどうかも気付かなかったのだ

      いまはその背景に意識が向いている
      だからその異常さがわかるのだよ

      いまは気になって仕方ないだろうが
      いずれただの過ぎていくものとして
      眺めるようになる

      覚えておきなさい
      そのノイズがあなたを捉えていたのだ
      あなたの見ている全て
      あなたが自分だと思っている全ては
      まったくの嘘っぱちだったのだよ

      いつも静かでありなさい

      静かであろうとする姿勢が
      その場所をさらに広げてくれるだろう

    • M子 より:

      自分さん、ホントにありがとうございます。
      思考の録音をしてみます。
      涅槃の書を教えてくれた友人と、涅槃の書と、この縁に感謝です。

    • 自分 -涅槃- より:

      M子さん

      いずれわかるが
      その友人もこのブログも
      全部あなただ

      あなたが見るものは
      すべてあなたなのだよ

      色々な経験をさせてくれている

      だから自分を愛してあげなさい
      自分自身に感謝を贈りなさい

      >「自分さん、ホントにありがとうございます。」
      それでいい
      それが最高だ

  3. より:

    例えば、仕事で、「ちょっと自分の実力では対応が無理だな」思うミッションに際しては、何故か、土壇場で、余りに都合よく先方からキャンセルが入って、やる必要がなくなったりする現象が、日常的にあります。

    逆に言えば、そのようにして、いつもの日常が展開されます。
    いつもの日常や自分自身の継続を望んでいる限り、必ずそうなるように世界が展開しているかのようです。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん
      そのコメントの通りだ

      さらに、そのコメントをトータルに捉えてみなさい

      ひとつの塊として見るとき
      時系や関連性、運や流れ、
      そういったセオリーは崩壊し
      ただそうだったという、当たり前のことになる

      その出来事があったのだろう
      だが思い出して書いているから
      バラバラの出来事のようでありながら
      集合という単体であることは理解に容易い

      その視点をいまに向けてみなさい

      すべてはあなたというパッケージであることが
      わかる
      時間は過ぎていないし
      恐ることはなにもない

  4. 普通さん より:

    「無明のとき」ですかね。無名と又、変換ミスしそうになりました。
    「虚しい」

    • 普通さん より:

      ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9D%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%82%92%E6%AC%B2%E3%81%95%E3%81%B0%E3%80%81%E6%88%A6%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%82%99%E3%81%88%E3%82%92%E3%81%9B%E3%82%88

      少しゆっくり休みたいが本音。

    • 普通さん より:

      ttp://www.t3.rim.or.jp/~kyamada1/wagakami.html
      イエスの十字架への歩み

      こんなの読むと「あんまりでないか?」ひどすぎないか?とか。
      問いは山ほどでても納得がいかない。だから宗教は嫌いですね。
      涙でてくる。

  5. openarms より:

    >それをあなたのお子さんという姿の
    あなた自身に伝えなさい

    子供達にやっとの思いで何かを伝えても、本当は何も伝わらず、結局自分に言ってるだけじゃないかと思う時があります。相手が理解してもらえないとかのレベルではありません。それは誰に対しても同じです。
    夢と現実の違いが何かと考えたりすると、現実は完璧すぎる物質が広がっているだけで、さほど変わりがないと感じてきているものの、それがあまりにも完璧すぎるがゆえに、それが未だ認められない疑問が残ります。揺れる木々、肌に染み渡る冷たい風、夜空の星達…あまりにも完璧すぎます。
    この自分の中の世界は自分一人で創造しているのでしょうか?愛する人も子供達も優しく手を差し伸べてくれた人々も全部自分が創造したものなのでしょうか?
    歩いている人達、ここにコメントされている方々、そしてあなた様も、私自身が創造し私が問いかけ私が答えているのでしょうか?
    だとしたらとても寂しすぎます…それでも認めないといけないのでしょうか?
    せめて、個々の肉体も含める物質など存在せず、個々のエネルギー又は思考だけでも存在しないのでしょうか?

    • 涅槃の書-自分 より:

      openarmsさん

      やあ、はじめまして。

      あなたが質問していることへの返答が、涅槃の書のすべての手記、そしてすべてのコメントで私が返信している内容となる。

      だからまずはじっくり読み進めてみることだ。

      理解できないものがあっても構わず進めていくといい。後で同じ手記を読み返したときに「理解できている」ようになる。

      そうして理解が開いていくプロセスこそが、閉じ込められているあなたが手にする「鍵」となる。

      たとえばあなたのメッセージはとても美しい。

      >それがあまりにも完璧すぎるがゆえに、それが未だ認められない疑問が残ります。揺れる木々、肌に染み渡る冷たい風、夜空の星達…あまりにも完璧すぎます。

      その「あまりにも完璧すぎる」というあなたの世界、つまりあなたがそのように美しい感嘆を語ることのできる世界とはなんだろうか。

      >それでも認めないといけないのでしょうか?

      認めるというより、あなたが「己の世界に対する”誤解”を解く」ということにある。

      だがあなたが「己の世界」を”完璧すぎる”と気づけているのはとてもよいことだ。その寸分の隙もなく太刀打ちしようもない「自分と現実との関係」を掘り下げていくことで、あなたは深い気づきに到達するからだ。

      つまり手記を読んでいくうちに、現実に対する認識がどんどん変容していくけども、やがてそのようにコメントで質問していることについても「なぜ自分は以前にこんな問いをしていたのか」と疑問に感じられるようになる。

      もちろん「これこれの理由でそう考えていたからだ」というのは思い出せるが、そうではなく、(未来のあなたが)いまこのように開いている理解にどうして当時は気づかなかったのだろうかということ、それはずっとここにあったはずなのに、なぜそれが見えなかったのかと不思議に思うことになる。

      その図式はこの現実世界のすべてがそうなのだよ。あなたが「完璧」とするこの苦しい世界には、どこにも出口はみえないだろう。だけどもそれはずっと目の前にあるのだ。

      とはいえ、いまの時点ではその「理解ある自分」を想定することはできないから、”逆向け”に言いかえておこうか。

      上の質問を書いたあなたは「自分がなぜこの質問をしているのか」を”知らない”でいることはできないわけだが、それはなぜか。

      “あなたが”その質問そのものであるからだ。

      つまり質問の答えがどこかにあるのではなく、質問そのものが変容することこそが、質問の「真の答え」となる。

      これは頓知問答をしているのではなく、実際これまでの人生を振り返ってみれば、その繰り返しにあることがわかるはずだ。

      あなたの問いは、自分を取り巻いている世界にだけ注意が向けられているけども、己がいまそのように思い浮かべること自体も、その現実によって創造されているもの、つまりあなたが自発的だと思っているすべての思考や行動は、すでに現れている「この現実の反復」でしかない。

      だから以下のあなたの観点は180度ひっくり返さなければならない。

      >歩いている人達、ここにコメントされている方々、そしてあなた様も、私自身が創造し私が問いかけ私が答えているのでしょうか?

      あなたがそのように質問しているのは「この世界があるから」だろう。じゃあその質問は、本当に「自分が」疑問に思っていることなのだろうか?

      この世界があるからこそ、単に鏡のように反射しているだけではないだろうか。

      となれば、自分とは一体何者なのか。あなたはどうしてこれを読んでいるのだろう?

      つまりあなたは”自分”ではなく、この完璧な世界のほうなのではないのかな。

      本書には数多くのキーワードが出てくる。たとえばこの返答に沿うなら「私とは”私たち”という私である」という具合にね。

      混乱しないように、なるべく同じ言い回しをいくつもの手記で繰り返すようにしているけども、すべてのタームにおいて貫かれているのは、逆説を通じた向こう側に「それ(=あなたが探している答え)」があるということだ。

      つまり「この現実こそがあなた」なのであり、よってあなたが「この現実の”住人”」である限り、問いは解決が不可能となる。

      どのような崇高な教えであろうと、どのような科学的根拠であろうとも「直接的な答え」は、すべて「あなたの現実」に上塗りされたものとなる。

      なぜならあなたが浮かべるどのような問いも「この現実」の構成要素として用意されているものであり、たとえその”答え”を手にしても、それはまた別の問いを手にしたのと同じであるからだ。

      だからこそ、私はあなたに「変容のプロセス」を起こすための鍵を提示し続ける。

      その鍵によって、昔関心を寄せていたものが、気づいたらいまはそうでないように、現実そのものの「模様替え」を促すことができる。

      「この完璧な現実」に閉じ込められるのではなく、その完璧さを賞賛するように一歩退がって俯瞰しているとき、つまり現実内の物事への執着を解かれたときに変容の促進が起こる。

      それは「AがBに見えるようになる」という単純な程度の話ではない。

      そこにAがある時点ですでにこの現実認識によるものであり、そこにあるのがAではなくCであるとき、あなたはAを「そもそも知らない」のだ。

      つまりAはあなたの現実に存在しないばかりか、Aについて考えることもできない。知らない色は想像することさえできないのと同じ。

      こうした信念体系の変更が「模様替え」であり、現実はあなたの内的なものも「含めて」ガラリと変わる。

      言いかえれば、内的なものが変わるからこそ外の世界が変わるということであり、つまり内と外は同じものなのだよ。

      この意味は重要であり、己はこの世界のなかにありながら、己のなかにこの世界があるということだ。だから「鏡」となる。

      この返信だけでは理解できないだろうけども、その「理解できない」という自体に注意を向けること、その理解できない自分が何によって規定されている存在であるのかという提起をすることだ。なにより手記やコメントを読み進めることだ。

      やがてこの返信が”正しく”理解できているようになる。だがそれは単に「言ってることはわかります、けど・・」ということではない。それもまたこの現実に閉じ込められた解釈にすぎない。

      正しく理解できたとき、あなたはこの現実が”いまとは違うもの”としてみえている。

コメント・質疑応答

  関連記事