テレビを磨いて中観派

すべてのものは固定した形を持たず
常に変化している
これを諸行無常という

植物がわかりやすい

種から芽
芽から茎
茎から葉
葉から実

見た目はどんどん変わっていく
あなたが見たタイミングは
それは変化の過程のワンシーンだ

そのとき”それ”は
種かもしれないし
木かもしれない

人も同じ
精子、胎児、
幼児、成人、老人
そうした肉体的な変化もそうだが
日々重ねられる経験や知識が備わり
内面的なものも常に変化している

1分前といまとでは
気分が違ったりもする

つまり固定的な「あなた」は存在せず
常に変化中のワンシーンだけが
そこで映っているだけなのだ

物体だけではなく出来事もそう
何でも刻々と変化している

さてこのように書けば
「終わりに向けて進行している」
と受け取るだろう

だがそうではない

そう受け取ってきたから
あなたは悲劇的な人生にいるのだ

喪失
破綻
絶望

それらは「終わり」が前提にある
栄枯盛衰
そのドラマを人々は生きてきた
「やがて枯れゆく世界」を拒み続けてきた
その苦悩、努力が不幸を生んだ
自身の心もそうだが
それにより他者を支配しようとした
侵略、戦争、いじめ、優越

また、お金持ちになりたい
安定した暮らしを送りたい
そうした、希望や願望、願い、
その裏側には
「諸行無常」から目を背けたいという
意思がある

それらすべては
「終わりに向けて進行している」という
観念が発端となっている

いいかい
始まりも終わりもないのだよ

あなたの解釈での「始まり」すら
ずっと続いてきた変化の途中
そのワンシーン

「終わり」も同じ
何も終わらない

それまでがそうだったように
そのまま変化していくだけのこと

では一体何が変化しているのか
終わりがない、というのはどういうことか
これを前提に話をしよう

 

アイスはどこへ?

いま手にアイスクリームを持って
それを食べているとする

5分前には持っていなかった
そして10分後、
アイスは食べ終わって手にはない

あなたはアイスを持ってきて
そして食べ終わり、なくなったとする

そのように捉えるから
いつかまた欲しくなる
そこに「ない」からだ

アイスへの思いが募る
そこに「ないもの」への妄想が膨らむ
あなたにとって
アイスは生まれ消えゆくもの
つまり「思い」に心が支配される

だがこう理解してみなさい

アイスという実体はなく
五感というテレビ画面があなたの中にあり
アイスはただその画面に映っているだけ

画面上に表示されたか
されていないか
そのどちらか、となる

 

あるがまま

「表示されたか
されていないか」

このシンプルな捉え方を
「あるがまま」という

「ほしい、食べたい」そういう
「思い」がないからだ

これが仏教でいうところの中観

「思い」が起こると
仮観、つまり愛別離苦な
幻想世界へウェルカムだ

見た目(視覚)
匂い(嗅覚)
歯の感触(触覚)
かじった時の音(聴覚)
舌で感じる味(味覚)

そうした「アイスという情報」が
あなたの中のテレビに映っている

さらにそれを逆転させてみよう

情報が先にあり
あなたはそれをアイス(観念)だとする

実際のテレビ放送は
映像や音声の信号が変調された電波に乗って
テレビ局から家庭へ届いてくる
その電波情報をテレビがデコードし
お馴染みの世界が画面に表示される仕組みだ

つまり、五感が何かを受信する
それをあなたは経験や知識から
情報に照合させていく
そうして「アイスを食べている」となる

この話でいけば
情報に記憶が照合されるスピードは
とても瞬時となるわけだが
それは違う

以前の手記でも伝えたように
あなたがそこで経験していることすら
記憶を見ているに過ぎないのだ

いまそこで起きている指先の感触ですら
「起こったもの」を「受け取っている」のだ

では「いま」とは一体どれぐらい前なのだろう?
いまアイスを持っている、とすれば
当然あなたは
「そりゃいまですよ、ほら、いま持ってるし」
そのように言う

だが、数万年前の記憶を
いまそこで読み取っていたら?

光には速さがある
シリウスの輝きは8年前のものだ
アーラヤ星が5万光年向こうにあれば
あなたのいまの体験は5万年前のものとなる

反対に、テレビ側のデコード性能もある
家電売場の地デジテレビのコーナーでわかるように
機種によって表示のタイムラグがある
電波は同一タイミングなのに
テレビによって放送のずれがある

つまり、あなたと誰かが観光名所に来ているが
その誰かは数年前にそこであなたと過ごした
だがあなたはやっと今日その電波が解禁された

これらは単なるユーモアだがね─

まあそれどころか
情報を受信しているだけなのだから
「いつのものか」など無意味となる
つまり「時間」はただの概念であり
絶対的なものではないという扱いになる
「光の速さ」など何の力も持たない

 

画面がそこにあるだけ

このようにして世界のカラクリを解いていくと
あなたは生まれてもいないし
死ぬこともないことがわかる

すべては生まれ消えゆくように見えるだけで
ただテレビ画面の表示が変化しているだけとなる

人間的な解釈で捉えると
諸行無常という言葉は
虚しさや儚さを感じさせるが
それが観念だ

諸行無常という放送内容が
画面に映っているだけのこと

世界には大したものなど
ひとつもないし
逆にすべてがあなたの画面を和ませる
大切な表示物なのだ

だからテレビはキレイに磨いておきなさい
その画面が「いまここ」だ
決して表示された内容ではない
そんなものに囚われるから
5万光年先まで飛ばされるのだよ

「いま、これが映っている」
それがすべてだ

悩むことなどひとつもない

 


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  1. 匿名 より:

    あらゆる出来事が番組の内容ならば、それを映し出すテレビはどこにあるのでしょう?

    • 自分 -涅槃- より:

      匿名さん

      それを見つけなさい
      それがマハラジのいう「私は在る」だ

      探求者はそのテレビ画面を見つけてきた

      あなたが画面を見つけるとき
      すべての光景は画面とひとつになる

      遠くのものはそこにあり
      過去のものもそこにある

      すべてを映し出す画面
      それがあなたの本性だ

      とまあ
      こんな難しい話は辛いだろうから
      少しずつ探っていけばいいだろう

      例えば
      何か目の前を見てみなさい
      そして目を閉じなさい

      目を開けば光景が見える
      だが目を閉じれば真っ暗だ
      光景は見えない

      視覚は閉ざされた

      だが目を開いている、
      そして閉じているということを
      「見ている」感覚がある
      それは視覚を超えたものだ
      これは聴覚も触覚も同じ
      それら五感を目撃している何かがいる

      その辺りを探ってみなさい

コメント・質疑応答

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