愛の箱庭

いま私はこの文章を書いているが
なぜいま書いているのか
その理由を私は知ることはできない

それは執筆だけではない

なぜこの椅子に腰掛けているのか
なぜここにいるのか

そして私の人生はどこに向かっているのか

つまりなにもわからない

気づけばこうなっていたのであり
私が選んだといえばそうだが

しかしそれは選べるものが
あらかじめあったその少ないなかで
選ばされてきたにすぎず
むしろ選ぶ自由などなかったともいえる

すると私は何者なのか

ひとつ言えることは
この”自動人形”は
たとえば先日も近所の婆さんの
年末掃除を手伝ったりと
他者の役に立つことがあるということだ

そうしてみれば
私に「選ぶ」という分岐点を次々と通過させ
私というコマを進めさせているのは
この世界そのものだということになる

選ばされる選択肢には
極めて個人的なものもあるが
損得勘定を捨て去れば
世界が選ばせようとしてるものだけが浮上する

しかしそれをあえて選ばないのは
いつかそれを選ぶしかないという気づきに至る
その苦行の道も用意されているからであり
結局は世界に導かれている

これはあなたも同じ

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