不確実の向こうに確実なものがある

「またやってしまった」と
落胆する気持ちを繰り返すたびに
自分を責めてしまう

それが立ち直るきっかけになればいいが
大体は自信を失ったり
惨めな気持ちを埋めるために
他の気晴らしで誤魔化す悪い習慣ができたりする

その落胆はもちろん
物理的なことであれ人間関係であれ
予測してたのとは違うことになってしまい
自分の間違いに気づいたからだが

そうして自分の思っていたのとは
反したことになったときの私たちは
ひどく動揺してしまったり
心に深い傷を負ったりする

だが逆にいえば
予測通りであれば
あなたは自分を責めることはなかった

つまり自信を失うこともなかっただろうし
悪習慣を持つこともなかったわけだ

 

1

かといって
強情に「自分は正しいのだ」と
他者や物事に押し付けるのは違うだろう

その”間違い”に
いつか気づいてしまうゆえ同じ結果となるからだ

じゃあ何をやっても
結果を完璧に当てられるような
予言者のようにならねばならないのだろうか

しかしそんな人はどこにもいないし
目の前のどんな小さなことであれ
その後どのようになるかなんて決してわからない

すると人生は落胆の繰り返しを
受け入れるしかなくなってしまうね

未来を言い当てる方法なんてないのだから

 

2

ここで少し発想を変えてみよう

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