人と神
「自分は神だ、と思い上がった果てに酷い目に遭った」という神話や伝説が古来より語れてきた。
よくあるのは民を統治する王が思い上がるパターンで、その罰当たりな罪のせいで、王族だけでなく大勢の民も含めて悲惨な末路を辿ることになる。
これは現代の私たちにもいえることだが、はじめに頭にいれておかなければならないのは、たしかにあなたは”神である”けども、しかし”人間の姿”で神と肩を並べてはだめだということにある。
愚かで劣ってる世界
では現代に置きかえるとどういう具合なのか。
たとえばあなたが職場や家庭や友人グループのなかで、自分の意見を聞いてもらえるがゆえに、わがままになってしまえる立場にあるとしよう。
あなたは思い上がる。「ほら、私の思い通りなんだから」とね。
それはまさに神の”つもり”であり、そんなあなたは神の威力をもっと味わいたいし見せつけたいという欲求が抑えられなくなる。
その欲求はあなたの人格をどんどん歪めていくが、しかし当の歪んでるあなたからすれば、世界のほうが歪んでるようにみえる。
あなたのわがままを受け取ってくれる親や友人に対して「なんでそんなに”自分”がないの?情けない!」などと一喝したり、スーパーの慣れないレジ店員に「客の私を待たせてどういうつもり?」と苛立ちと怒りをぶちまけたりする。
つまり、自分の立ち位置によってただ優位なだけのことに気づかず、他人や世間が自分よりも愚かで劣っているとしかみえないわけだ。それゆえ余計なお説教をくどくど話し出したりもする。
真の罰はまさかの逆転によってなされる
そんなことをしていれば古来からの言い伝えのとおり「自分を神だと思い上がるとやがて天罰がくだる」のは容易に推測できるだろう。
“従順な民”があなたの王国からいなくなるのもそうだが、より重大なのは話したように「大勢の民も含めて悲惨な末路を辿ることになる」ということにある。
まあそうだね、王が思い上がった結果、国の管理も政策もいい加減なものとなり、飢饉などの天災を未然に防げなかったり、そんな隙をつかれて他国に攻め込まれたりする。
つまり己の思い上がりによって、日頃ともにいる家族や大切にしているものたちが巻き込まれ一緒に地獄へ引きずり落とされるということであり、それは言いかえれば、”己の人生そのもの”が悲惨な不幸でしかなくなるということだ。
そしてここで強烈な逆転劇が生ずることになる。
というのは、今度はあなたのほうが、その”愚かで劣っている人たちや社会”によって足を引っ張られ、どんどん不幸に巻き込まれていくことになるからだ。
わかるかい、あなたにとって愚かで不条理にみえるこの世で、そこから抜け出せないジレンマに陥ることになる。
自分がうまくいかないのは人々や世の中の”せい”であり、しかしそれらは己自身が生み出しているものだ。つまり己自身という罠にかかることになる。
それはまさにあなたが思い上がって人の気持ちを踏み躙ってきたことへの罰であり、もはや人々や世界からの復讐だともいえる。
そう、それこそが”神”からの真の天罰なんだ。
人間と神
さて、こうした人間次元でのドラマはその二重性に気づかねばならない。
それは良くも悪くも
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