何もないところへ向かいなさい
あなたは何を望んでいる?
目標や夢、幸福、願望
そういったものかな
いいかい
何もないところに狙いを定めなさい
小さなパーティは終わる
いつも終わる
だがそれも大きなパーティの中のイベント
あなたは何かを求める
それが死活問題であろうと
人生の意義であろうと
求め続ける限り
あなたは満たされない
あなたはそれらが絶対必要なもの
そう定義する
それが大きな間違いなのだ
あなたは水中に沈んだバケツ
バケツを満たそうとも
最初から満ちている
だから何もないところに
狙いを定めて生きなさい
意味のないものに向かい
意味を求めないものに向かう
それがそのままでいいという境地に向かう
あなたがどれだけ悲しかろうと
貧しかろうと
それでいいのだ
何が悲しいのか
何が貧しいのか
あなたがそうしているだけだよ
だからいつも幸せでありなさい
出来事はすべて素晴らしいものだ
怖いという観念を捨てれば
どんな出来事もなかなか悪くない
あなたが意味のあるところへ狙いを見る
それがすべての苦の始まりだ
損をした
失った
悲しかった
裏切られた
望みは消えた
それらをネガティブとしているだけだ
そこに気が付きなさい
あなたは何も失っていない
損をしていない
悲しくもない
奥底ではわかっているはずだろう
だから何もないところへ狙いを定めるのだ
何の意味もないところに辿り着きなさい
そこに住みなさい
Notes あなたの世界, ゼロ, 世界を変える, 無為自然, 生き方, 苦悩, 観念
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無理矢理不幸を幸せとしなさいと言ってるようにしか聞こえないです。
結局悟りって詭弁なんでしょうか?
全然納得いかないです。
清貧を推しているんですか?
良い、悪いはきもちで決めます。
フィーリングで。人に嫌われたりお金に困ったり理不尽な目に合うことの何が幸せなんですか?
>>罪悪感さん
無理矢理〜とすることは
あなたの言うとおり不幸そのものだ
だがそれらが起こっていること
つまりあなたの制御を超えた光景に関しては
あなたが無理矢理どうこうできるものではない
ただし、それらはあなたがいるから
起きているのだよ
その起こりを許すことが
「あなた」の消滅の第一歩だ
あなたが消えれば
世界に不幸は消える
それを不幸とするものがいないのだから
それらはあるがままに動き続けていく
かわいい小さなリスが
野犬に襲われ食われている
目のくりっとした可愛い少女が
セックスビジネスに売られていく
あなたが消えれば
それらはただそこにある出来事となる
あなたの解釈が消えれば
ただ水が蒸発したり凍ったりという
ただの自然現象となる
そこに喜怒哀楽はなく
ただ起こりがあるということになる
あなたが消えるとは何か
それはその解釈を捨て去るということだ
そしてあなたが消えた先にあるのは
小さなリスが野犬に食われている光景もなく
セックスビジネスもない
そういう世界だよ
いまあなたのいる世界は
あなたが作り出しているのだ
あなたは誰かに何かをされたらその人のせいにする
だがそれすらもあなたに責任があるのだよ
あなたが「その人」や「されたこと」ジャッジした結果
あなたにとって、その一連の出来事はネガティブという色をつけられる
こんばんは、横入りですみません
>そしてあなたが消えた先にあるのは
>小さなリスが野犬に食われている光景もなく
>セックスビジネスもない
>そういう世界だよ
これは逆に言えば、
例えば(例えばです)、
私が自分さんに悩みを打ち明ければ、
自分さんの世界から、そのことで悩んでいる私の書き込みがそのうち消えるということですか?
(「悩みが解決しました」「見性しました」「苦が苦ではなくなりました」等の幸せそうな書き込みになってくるか、または、諸事情によってこのブログにアクセスしなくなる・できなくなる等)
他人の世界との相互作用が気になったので書き込ませて頂きました
優しい音楽聴いてます、ありがとうございます
>>りおさん
>他人の世界との相互作用が気になったので
わかりやすい表現でいえば
意識とは究極の主観次元なのだよ
あなたの世界にはあなたしかいない
私のメッセージも
友人があなたに語りかける内容も
壁の落書きと同じ
「そこに書かれたもの」を読んでいるだけだ
誰がそれを読んでいるのかは、いまは置いておこう
そしてあなたから発するものも同じ
あなたは思考し、判断し、主義主張を持っていると考えている
だがそれは本当に思考や感情の柔軟な移り変わりなのだろうか?
そこに青があるから
あなたは青と見解しているに過ぎない
過去に「これは青だった」とするから
これから見る何かを青と見てしまう
どこに柔軟性があるのだろう?
壁の落書きを読んでいるのと変わらない
釈迦が天上天下唯我独尊と残している
それはプライドの話ではなく
「私の世界に起こるすべては
私の中にある」という意味である
何を意味するのかといえば
「すべてが私だったのだ」ということだ
つまり、あなたの「生」の中に
本書やディズニーランドがある
青空や季節、動物やそれらの名称、
あらゆるあなたの知識や体験がある
日頃思い悩む思考(マインド)もある
すべてあなたの「生」という空間における
オブジェクトだ
ディズニーランドを建設したのはあなたであり
それを用意したのもあなた
先日行きそびれたのもあなた
一緒に行こうとしていた友人もあなた
ディズニーランド自体もあなたなのだ
あなたが「もしかして行けないかも」と思えば
ディズニーランドが来れない理由を作る
一緒に行く予定の友人に不都合が起こる
全部あなたなのだから
すべてに一貫して「行けないかも」が起こる
そして行けなくなる
なぜ究極の主観次元かといえば
それしかないからだよ
客観に値するものがない
すべてあなたの体内のお話
すべてあなたの中のお話なのだ
だからあなたが疑問に思えばそれは疑問になるし
忘れてしまえば忘れたことになる
明日外を歩けば
そこに道があり空がある
あなたがそれらを認めることで
存在を与えているのだ
あなたがすべての命の源泉なのだよ
このブログもあなたが存在を与えているからここにある
いつか他のことに没頭するようになり
このブログを忘れるときがくる
二度と思い出さないかもしれない
それは本書が永遠に失われることを意味する
だがあなたは言う
「それは私が忘れただけであって、ブログは更新されるはず」とね
そうじゃない
あなたが不在の世界など、ないのだよ
あなたは常に存在している
その周囲にあるものだけが真実なのだ
他人の世界があると思い込むのは妄想だ
そんなものはない
あなたの世界だけがそこにあるのだよ
あなたが意識を向けたものだけが
実在するのだよ
逆にいえば
実在とは、あなたが意識を向けることにより起こる
子育てで絶対してはならないのは
親が子を無視することだ
無視とは、存在の否定のこと
子がそれを解説できるならばこのように言うだろう
「あなたの世界に、もう私はいないのですね」
「私の世界にあなたはいるのに、あなたの世界に私はいない」
ここまでが理解のステップ1だ
長くなるがその先も書いておこう
いつか記事にするがね、
人もいなければ物もない
ただ、意識の向かう先に認識が起こるだけなのだ
それが固くて冷たいという情報ならば
そのように受け取っているだけに過ぎない
各感覚器官はHTMLソースを
グラフィカルに表示しているだけのこと
実際はそこにモヤっとしたものがあるだけなのだ
そうして暴いていくと
あなたの個人という枠を超えた
大きな何かが見えてくる
それはあなたや他人、
世界にあるすべてのものを生み出している
手を見なさい
指がある
親指と小指は形状も機能性も違う
だが、あなたの手だ
親指と心臓はまるで別のものだ
だが、あなたの身体だ
どこでひとつのものとして捉えよう?
どこまでを細かくカテゴライズしよう?
ただそれだけのことなのだよ
だから究極には超主観主義の次元がある
目の前で歩いているおばあさんも
あなたの一部だ
>他人の世界との相互作用が気になった
これでいいかね?
他人はあなただ
だから他人はいない
その質問は愚問といえる
あなたは自分と自分との相互関係を気にしている
本書も著者もあなたなのだ
だからあなたが得ようとしているものが
必ず用意される
あなたが疑問を持つとき
本書はあなたに疑問を与える
全部逆転させなさい
壁の落書きを読んでいるのは
その空間
落書きが落書きとして発生している現場
その現場に落書きが起こっている
空間とはその「起こり」のこと
それがあなたではないあなた、
本当のあなたなのだよ
お返事ありがとうございます
たくさん書いて頂いて申し訳ないです
私の世界には私しかいないって、
もう何度も何度も教えて頂いてますが、
時々、物凄い反発心が起こっています
思っていたよりも根深いみたいです
見つめたら消えるんですけど
>ディズニーランド
私がディズニーランドに行きそびれてから、
よくお付き合いさせて頂いてる家庭が次々とディズニー旅行へ・・・笑
子宮を全摘出した女性とばかり縁があったり(私はしていません)、
いい事も悪いことも、他人にみえる私が代わりに体験してくれてるのかな、と思うことがあります
>このブログを忘れるときがくる
>二度と思い出さないかもしれない
そんなこと絶対ないです、って言いたいんですが
初めて自分さんからレスを頂いたときに、
「この先5年10年たっても、私と関わりがあったことを憶えておけるように」と言われました
以前お世話になっていた方からも、
「ペテロは3度嘘をつく」
と、言われたものです
自覚がないのですが、
私にはどこか恩知らずで薄情なところがある、と
見る目のある方はそういうものをすぐに感じられてしまうんですかね
なんだかちょっと凹みました
今に在る時間が増えてきてます
続けて努力します、ありがとうございました
>>りおさん
「見つめたら消える」
それでいい
目を反らすから事実がわからなくなる
よくあるのが
ある人のことが「憎い」ときだ
ひとりで部屋にいると
その人のことが脳裏を過ぎる
気が付いたら妄想の中で討論が始まっている
そこにいないその人と壮絶なバトルを繰り広げる
あなたの思いが優先されたもの
だが根源的なネガティブは根底に流れたままだ
そういうときは
その事実のみを見つめることだ
見つめるということは
そこに同化していないことを意味する
手にしたコップを見つめている
あなたはコップになりきっていない
なぜ私は自由に動けないのか
本当は暖かい飲み物に触れたいのに
なぜ冷たい水ばかりが注がれるのか
コップはそんなことは考えていない
考えているのはあなただ
あなたの投影がそこに起こる
ではあなたという存在
その肉体、その思考
そして誰かとの人間関係
そこにネガティブを起こしているのは何か
それは奇跡とも取れるほどの
あなたのクリエイティビティだ
1枚の紙にすらすらとマンガを書いていく人がいる
キャラクターやストーリーを作り上げる
読む人はその世界に取り込まれる
続きが気になる
だがそこにあるのは1枚の紙だけだ
あなたが「これは1枚の紙」として見つめるとき
そこに同化はしなくなる
日常の不可思議なシンクロニシティ
それもあなたがそのように見ているから
そのように受け取れるのだ
注意してみれば
どの瞬間もなんらかの関係性があることに気が付くだろう
連鎖して創り出してループしているということでしょうか
>>罪悪感さん
ごくシンプルに言うなれば
あなたの経験していることが
あなたそのものであるということだ
つまり経験があなただ
だが経験をしているのは
あなたではない
じゃあ仮に
そこにいるあなたに不幸が起きたとしよう
なんでもいい
突然誰かが嫌なことを言ってきた
家族があなたを利用している
大金を失った
大病にかかった
ではそのとき
その経験があなたであり
経験をしている人がいないのであれば
どこに不幸があるのだろう
不幸を感じている人がいないのだから
不幸そのものが消える
でもこれは
先のあなたがいうように
無理矢理不幸を転換しているものではない
ただその起こりだけがある
実際はそうなのだ
だから金持ちの世界になっても
戦争の世界になっても
どこにも幸福や不幸など存在しないのだ
それを経験する人が
それを感じるのだからね
その世界そのものになるということだよ
すみません。世界が壮大なジョークだとしても・・・。ここだけ解せないのが。
例えば洗脳も何も無い赤ん坊のころでも
ネガティブな刺激が起こると泣き叫ぶ。
それは当たり前の現象。
目の前に何か嫌いなものがでるとそれを避ける。私は幼少時、蛇も爬虫類も大好きだった。団子虫も平気で触っていた。
揚羽蝶の幼虫の芋虫もミノムシも大好き。ハエは好きではないが気持ち悪いと
感じなかった。だけども蜘蛛と毛虫とムゴキブリとムカデは駄目だった。今は爬虫類以外と揚羽蝶の幼虫以外は殆ど苦手。大人になって苦手になった物は周りからの影響かもしれない。
が、物心ついた時から蜘蛛やゴキブリを苦手としていたのは何故だろう。
真空というものを探し回るように確かに私の周りは色んなものに満たされている。空気に家族に猫に周囲には欲しいものが陳列されているデパートやらスーパーやら。私の周囲の密度は濃い。すっからかんの部屋にいても気持ちは爽快感に包まれるが部屋という奥行きに包まれている。
でも意識を外側に向けそれが私と定義しても感覚は個にある。頭が無心であろうと明日の事を考えていようと今ある物質、空気、湿気や喚起、寒さ暑さに包まれていると感じていても、つまづいて怪我をした時、その怪我にしか注意はいかない。まずは痛いとうずくまる。そして程度が軽ければバンソウコウ、酷ければ病院に。その時は個におきている体の異常をなんとかすることしか頭に浮かばない。ある意味、悩み事も今晩の御飯も全て忘れて怪我に集中する。
それくらい体の快、不快、痛みの感覚は強烈なんですね。前からヤクザが歩いてきたらヤクザが好きとか嫌いとか正しいとか悪いとかの判別でなく、まず絡まれて暴力振るわれたら、言いがかりつけられたらどうしようと避ける。
もし避けなくて、「おまえ根性あるやつだな、気に入った!」と新しい分野の友達が出来るかもしれない。が、普通は毛虫を本能的に避けるように怖そうな人は本能的に避けますよね。
本能とされてる部分もいずれ気にならなくなると思われますか?
そして確かに自殺は好ましくない事だし簡単に出来ない事だけど快不快に感じる自分がいなければ世界はかわらず平常運転なのだから。感じ判断する自分が死んでしまうほうが苦痛を超えるより簡単そうな気もするのですが。そしてジャッジを無くしてしまうなら自殺すら肯定もされる。
>>困ったさん
同じ返答になるが
今回のあなたのコメントも
すべてマインドが書いているものだ
つまりマインドがそうなのであるから
それと違う風になろうとするのはナンセンスなのだよ
ヤカンがワイングラスになれないように
ヤカンはヤカンだ
もう一度伝えておくから
よく熟考しなさい
まずあなたが自分と思っているもの
それは、そこに置いてあるマインドだ
それはあなたではない
そして虫やヤクザの話、
それらの対応の話、
すべてがマインドの記述通りだ
それはあなたではない
ヤカンが「私にワインを注いでもなぜかワイングラスにならない」
そのように聞こえる
いつも伝えているように
「何かになる」だとか
「進化や成長する」というのは
マインドの話でありそれは要点を逃している
ヤクザが怖いのならば怖がればいいのだ
マインドがいろいろな判断、思考、
そういうものを浮かび挙げてくれば
それを眺めていればいい
あなたはマインドを自制しようとしている
そうじゃない
イメージしなさい
目の前に本が置いてある
本の内容は
今日あなたがしてきたコメントが
そのまま記述されている
あなたはそれを読んでいる
だがそこに入り込んでしまい
「書かれている通りじゃだめだ」と
本の内容を変えようとしている
いいかね
本を置きなさい
好き嫌い、善悪の判断をするとかしないとか
そんな言葉すら浮かびもしなくなる
ヤカンをヤカンのままにしておきなさい
マインドをマインドのままにしておきなさい
だがそれらはあなたではない
映画が私、観客が私のマインドならフィルム変えたいんですよ。フィルム。
センサーついてるのマインドのほうだから。どんな怖い映画やつまらん映画が流れていても(そこには知れるべき全てがつまってる映画)マインドの私がグースカ寝てれば映画の上映時間と終了時間は一瞬で何にも感じない。字幕であって英語であれば余計、内容もわからない。
これが本当に映画なら。私の出来事一生が映画で上映されててマインドがつまんねえ、不快と映画内容に呟いてても映画館の快適な空調に包まれポテトとジュースをつまみ飲みながら絶対の安心の元に観れるのですが。なにしろ映画として上映されている私の一生は観客に直接主人公役のセンサー繋がってるから。
こうなるとマインドを超えるという以外やり方あるのかな・・・と思ってしまうのです。
>>困ったさん
フィルムを変えることはできない
なぜならば、変えようとするものがフィルムそのものだからだ
右手で右手を掴もうとするようなものだよ
あなたは一切の罠に気が付かなくてはならない
いまそこで話しているのはマインドだ
あなたではない
マインド自体にやらせなければ
フィルムの差し替えはできる
だがマインド、つまりあなたには無理だ
マインドが別のマインドに差し替わるのは
それはヤカンがワイングラスに変容することを意味する
唯一可能なのは
それが差し替わること
それはあなたが
あなたを辞めることだ
あなたがあなたである以上
何も起こらない
すべてがそのままとなる
だから本を置くのだ
あなたをそこに置くのだよ
その後に何が残るのか
ご自身で確かめてみるといい