100の世界はひとつの世界

“一者”とはなんですか?
そんな相談が度々寄せられるのでこちらで答えておくよ

とはいえ
答え方にはいろんなアプローチがあるので
今回はあえて”個的な自分”からみた尺度で
進めてみよう

 

1

ところであなたは
自分がどんな姿なのか知ってるかな
もちろん「知ってますよ」と答えるね

鏡をみれば瞭然だし
日頃の性格やこれまでの出来事から
自分がどんな人間なのか知ってると言うだろう

だが100人いれば
100人のあなたがいるんだ

100通りのあなたがいる
嘘だと思うならみんなに聞いてみるといい
それぞれ異なった見解を述べるはずだ

ゆえに”あなたが知ってる自分”もまた
そのうちのバージョンのひとつにすぎない

それとは逆に
あなたは100人の他人を知ってる

あなたにとって
親は紛れもない親だけども
別の人からすれば
あなたとはまったく違う存在にある

それは立場的なものだけでなく
その容姿も存在の価値も違う

たとえばあなたのお母さんは
私からすれば大勢の女性のひとりでしかない

もし繁華街の群衆のなかにその人がいても
女性とすらもみえておらず
人の群れの塊でしかないかもしれない

だが私と一緒に歩いているあなたは
「お母さん!」と呼びとめるわけでね

すると”塊”のなかから
ひとりの女性が現れてくる
特別な意味をもった存在が
私の視界に生み出されるわけだ

だがそれでもあなたのみているその人と
私のみているその人はまるで違う存在にある

話を戻してみれば
自分の姿は100人いれば
100通りの姿があり
あなたが知ってる自分もそのひとつにすぎない

そしてあなたもまた100人の姿を知ってる
だがそれは無限の姿のうちのひとつにすぎない

 

2

じゃあどれが本当の姿なのだろう?
いいや、本当の姿などありはしないんだ

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コメント・質疑応答

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