本当の豊かさに到達する

今回は「豊かさ」について話してみよう。

少し前に「灰と夢」という手記を掲載してたくさんのメールをいただいたのだけども、そこでも話しているように、ここは本当は一面の灰(つまり「なにもなさ」があるだけ)にある。

そして「夢のなかにのみ私たちの世界が存在している」という観点に立ってみれば、つまり「豊かさ」とは、この夢をいかにして創造するかということになる。

あなたにとって豊かな光景とはどんなものだろう?

高級な住まいかもしれないし、緑あふれる自然に豊かなものを感じるかもしれない。愛しい人と一緒に過ごす時間、または好きなことに没頭している一人の時間もそうだろう。

だがそれらは観念の産物であり、すべて心の世界に描かれたものだ。

つまり「ここにある本当の世界」ではない。だけども「世界」という概念さえも夢の産物ゆえに、ここにある本当の世界と示している時点ですでに的は外れているが、簡単に進めるために、いまはそこまでの土台は崩さないでおこう。

 

“豊か”であるための基本

というわけで「豊かさ」とはあなたの精神の豊かさにあるわけだ。心の情景、つまり「心=この世」というわけだね。

だから豊かさ(心の豊かさ)が薄れるときに、ぽっかりと口を開けたような「虚無」が露わとなる。

実際そのような光景や状況に直面するだろう。荒れ果てた山林、廃墟となった建物、秩序のない散漫な暮らし、そして不幸に遭遇したときの絶望や喪失に浸された心もそうだ。

冷たい闇のなかに放り出されたような気分、寂しさや惨めさに窒息しそうになる。そしてそこから逃れたいために、その虚しさを他者や自己への憎悪へと転化する。

そうなってくると人生は、ぽっかり口を開けた「死」への恐怖か、それとも世の中への憎悪かのどちらかでしかなくなるわけだ。

もちろんそこに「豊かさ」はない。

言いかえれば「そうではない方向」を進めばよいわけで、すでにある世界に依存するのではなく、つまり他者の評価をもらうことや、世間的な幸福の基準などを心の拠りどころにするのではなく、世界そのものを創っていく感覚で毎日を正しく使っていかなければならない。

 

男性と女性のちがい

しかし世界を創っていくとはどういうことだろう?

これはあくまで一般な傾向として参考にするけども、たとえば男性と女性で世界の捉え方、あり方は「真逆」にある。

女性は一般的に世界を外側に作る。自分の楽しみたい世界を外側に眺め、その世界の演出として、つまりその世界を崩さないように、自分の清潔感や美しさを保とうとする。言い方をかえれば、同調性を重んじる傾向にあり、つまり自分だけがそこから外れることを嫌う。

男性はその逆で世界を内側に作る傾向にある。自分の楽しみたい世界を内側に眺め、それを他者に邪魔されることを嫌う。

よく比較されるように、たとえば男女それぞれがパソコンを持っているとして、女性はパソコンのデスクトップ内のアイコンやファイルは無秩序に散乱しているが(スマホもそうかもしれない)、しかしパソコンを置いているその部屋は可愛く飾られていたりする。

逆に男性は部屋は散らかり放題であっても、パソコン画面内部は整然としていたりする。

極論をいえば、女性は中心には無関心であり外側に関心があり、男性は中心に関心が向けられ外側には無関心であることが多い。頭はボサボサで同じ服ばかり着てるが、こだわっていることだけには几帳面だったりする。

繰り返しておくが、これはあくまで一般的な傾向であり「私はそうではないよ」という人ももちろんいるだろう。社会はだんだん性差がなくなってきているゆえ、単に「男だから、女だから」という比較は通用しなくなっている。

だがこの話の論点はそこではない。読み進めればわかるが、”どちら”でもいいんだ。対比するものならばなんでも構わない。

大事なのはこうして自分の傾向を知ることで、己が備えていない逆の視点を補うことにあり、その先に「豊かさ」がみえてくることになる。

 

個的な世界を現実空間そのものに変えるには

たとえば自分の内側世界だけを大事にしている男性からすれば、女性は表面ばかりを着飾っているようにみえる。そこに空しいものを感じる。たとえ同性であってもお洒落をしているような人をみれば、なんだか中身がないように思えてしまう。「自分はあのようにはなりたくない」といった軽視や反抗心が生じてくる。

だがそれは彼が「自らの枠組み」でその人をみているからにほかならない。

彼が豊かさを実現するのに必要なのは、むしろその女性の視点であり、

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