水面に浮かべた花びら

絵を描いたり物語を書いたりする人なら
みんな知っていることだが

どんなふうにそれを作り始めても
当初に考えていたものとは
どこか違ったものになって仕上がっていく

つまり”作られていく過程”によって
だんだん完成がみえてくるわけで

よく小説家たちが
作品の登場人物たちが勝手に語り出して
ただその起こるがままに任せるだけというのも
このことにある

絵画もそうだろう

そこに描かれる人物や差し込む光が
生命を感じさせるのは
“描かれていくことそのもの”に
画家がペンを任せているからだ

だから創作しようとした最初の時点では
ゴールはおぼろげにしかみえていない

もちろん完成の図面があるような工作品は
すでに出来上がっているものを
再び作っていく二重の工程にあるから異なるが

しかし絵画や小説のような創作品というのは
むしろ最初の時点で完成を決めてしまうことは
本当は生きようとしていた人物や風景の口を塞いで
死んだ世界を描き出しているようなものとなる

一見は色のある花も中身は枯れていて
人や動物は剥製としてある

たとえしゃべり出したとしても
それは作家自身がしゃべっているのであり
つまりその対話は閉鎖された世界を
超えることができない

ゆえに優れた作品とは
作品自体が自由に育っていくままに
完成されたものであって

つまり自我を介入させず
己自身を解放することによって
成されることになる

当然その過程では
予期しないハプニングも起こる

「彼女はこんなことを話してるけど
それからどうするつもりなんだ?」とね

しかし他の人物との関わりや
その世界のなかで
彼女は折り合いをつけていくだろう

彼女がうまくいかなくなるのは
その世界のキャンバスである”あなた”が
介入したときだ

いわばあなたはその世界の神であるけども
しかし日頃の”自分”も知ってるように
神は突然現れて助けてくれることはない

危機的な窮地に陥ってるときも
自力で抜け出さなきゃならなかった

だがね、そうして己が”自らの意思”で
進み続けられることこそが神の救済なんだ

なぜならそのたびに手を貸してもらっていたら
もうそれは”自分自身”ではないからだ

ここで間違えてはならないのは
作中の人物が「うまくいく」というのは
その人が幸せになるか不幸になるかのことではない

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