生きとし生けるものたち

人が植物を育てるとき
枯らせたくないから
最高の環境を与えることになる

陽の当たる場所に移動したり
水やりの頻度も適切だったり
室内なら温度管理も万全かもしれない

もちろんそれは
人間が自然界を表現してあげているわけだが
しかし実際の自然界の植物といえば
そんな最高の環境で育っているほうが稀であって

それでも育って成長していくのは
植物自らが環境に合わせていける柔軟さを
持っているからにある

言いかえれば
刻々と変化する条件のなかで
いちばん無理のない形を選んでいくんだ

 

1

さて、この”自然のあり方”の理解は
とても重要でね

普通「自然」といえば
抵抗するものがなく
あらゆることがスムーズに流れるような
そんなイメージがあるだろうけども

大事なのは抵抗があるところに
“存在”が生ずるのであって

それが自分だったり
自分がみている他者の姿だったり
人生の出来事として認識される
日々の物事だったりするわけだ

つまりあなたにとって
なんら抵抗のないとき
そこには自分もいないし他人もいない
出来事も生じていない

すべてはただ過ぎていくだけで
その意味では「自然に」ある

だが話しているように
それだとあなたに世界は存在しないのと
同じであって

少なからず心に留まるもの
すなわち、感動したり関心を向けたり
また苦悩したりする抵抗があるからこそ
あなたの世界(つまりあなたの人生)が姿を持つんだ

 

2

植物が生まれ落ちた場所で
なんの抵抗もしなければ存在できないだろう

まあそうだね

陽の当たりが悪く雨も降らず
過酷な環境でそれに適応できなけりゃ
枯れて消えていく

そもそもは”適切な環境”で育つDNAが
備わっているからこそ
不適切な環境に抗う反応が起こるわけだが

しかし風や動物によって運ばれる種子は
どこで落ちるかは不確定であり
また気候変動などで同じ地域でも変化してしまう

つまり自然界が与えたDNAが
まさにその自然界の内的変化によって
それに適応せざるを得ない

すると自然であるとは
なんなのかがみえてくるわけで
同時に不自然であることは
それ自体が存在性の証明であることもわかる

職場や人間関係であなたが自然であるのは
当然その環境によるストレスに負けず
むしろ自らをそこに合わせていけるからであり

またあなたが人生の意味や価値を見出したり
大切な人や物を守りたいと思えるのは
あなたが他とは違う”抵抗”をそこにみているからだ

生きることがそもそも自然淘汰への抵抗にある

そうしてみれば
自分も家族も街の人も
犬や猫や鳥や虫たちもみんなが
自然界という潮流に抗いながら
ここに存在しているのであって

自他の関係上での感情を捨て去れば
どんな存在であれ
その姿には深い感銘があるんだ

そしてもちろんその存在が
あなたの認識に映っている自体
それはあなたが”その姿”として
そこに存在していることを意味している

なぜならあなたが認識する世界が存在してこそ
あなたはここに存在しているからにある

 

3

それを踏まえて重要なことは
あなたが価値ある人生を体験するためには

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