きれいにたたむ
本来自然というのは
とても整然としていて秩序のあるものなんだ
熱帯地方の密林がカオスのようにみえるのは
至近距離でそれをみるからであり
時間的や空間的に距離をおいて眺めれば
すべての生命がきちんとルールに沿って
秩序ある形成がなされていることがわかる
DNAの螺旋構造や雪の結晶
美しい銀河や海洋の生態系なんかにも
まさに神の業としか言いようのない仕事を
みることができるね
野生の動物たちもまた
自分で毛繕いをしたりして
綺麗な姿を保とうとするのは
それは彼らが神の指示の通りに
ちゃんと従っているからにほかならない
だから「自然である」というのは
凛と引き締まって
スケジュールも緻密に厳守されていて
見た目も活動にしても
余計なものがない美しさで溢れている様子にある
人間は不自然が自然だと思ってる
しかし人間はどうかといえば
そうした自然の使命に従おうとしない
部屋は散らかり
髪や爪が伸びっぱなしだったり
だらだらと過ごしていることが多くて
同じサイクルを保持できなかったりする
ところがそのような無秩序が自然そのものだと
誤解しているのもまた人間であり
逆に規律ある暮らしなんてのは
不自然で息苦しいものだと思い込み
怠惰で無気力であることこそが
自然なあり方だと勘違いしている
まったくそうじゃない
むしろ洋服タンスの引き出しのなかで
きちんと衣類が畳まれていることこそが自然なんだ
友達の家やどこかのお店でもいいが
そうしてちゃんと整理されていたら
その整然さに心が落ち着いたり
安らいだりするだろう?
それはまさに”自然”だからにある
だから紳士や淑女の気品というのは
堅苦しさから放たれるものではない
実際そうだね
“自然”な仕草や品格だからこそ
人によい印象を与えるのだから
ゆえに住宅街にあるような空き地が
荒れ放題にみえるそれは
本来の自然の現れではなく
住宅に取り囲まれて
どうにもいかなくなった
不自然な様子にある
荒れ放題になってしまうのは
そのわずかな領域だけでは
自然はその本来の仕事ができないんだ
癒しの力と大いなる加護
さて清々しい朝の空気に包まれたり
生気に満ちた新緑をながめたりして
心身が癒やされるのは
己もまた自然の現れであり
つまり”癒し”とは
不自然な人間世界のあり方から
本来の自然な様子に戻ろうとしたときに
実感するものとなる
だからといって公園や海辺に
いつも出向かなければならないわけではない
話しているように
“自然”は毎日の生活のなかにあるからだ
衣類を畳むこと、
きれいに角が出て、きれいに四角いことにこそ
癒しの光が溢れ出ている
玄関の靴を並べたり
季節に応じた生活品が
揃えられていることもそう
そもそも物事に対して丁寧だったり
大切に扱おうとする姿勢自体が
“自然”な営みにある
人付き合いや健康管理もそうだね
また定刻通りに起床や就寝したり
物事も後回しにせず
テキパキとこなしていくとき
あなたは自然の流れそのものになっているだろう
そこにはもはや己という行為者さえいない
そうした”自然な暮らし”は
神の使命を体現しているのであって
かならず宇宙の加護に恵まれることになる
なぜなら自然であるということは
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