人生の作者になる

表紙に何も書かれていない本が
目の前に置いてあるとしよう

あなたはその本を手に取り
パラパラとページを開いてみれば
すぐにそれがどんな本なのかを知る

たとえば
かぐや姫みたいな童話だったり
ライトノベルだったり
または数字や記号ばかりの科学の本や
小難しそうな哲学書だったり

「ああ、そういう本ね」と
大体の雰囲気でわかるわけだ

 

白い紙に文字が並んでるのは同じ

だけどもどうして
それが「どんな本であるのか」を
判別できたのかといえば

もちろん白い紙に文字が並んでいるのは
童話も学術書も同じだけども
しかし書かれている言葉の選び方や
単語の並び方が違うからにある

たとえば恋愛小説や推理小説なら
それぞれある程度パターン化してる語彙や
配列の仕方がある

童話や科学書なんかは瞭然だね

哲学書もまた専門的な語句を用いて
いかにもな雰囲気を漂わせている

 

考え方の違いはどうやって表現されるのか

ところで哲学書というのは
その著者自身の考え方を述べたものだけども

同じ時代の著者ならば
大体は似通った単語を用いながら
オリジナルな思想書として仕上げられていく

では本のなかで
いったいどのようにして
“違い”を持たせているのだろう?

言いかえれば本それぞれに
違う考え方が述べられているわけだが

しかし白い紙に同じような言葉を使って
書かれているだけのものが
どうやって考え方の違い、内容の違いを
表現しているのかといえば

話したように言葉の配置の違いだけなんだ

たとえばある哲学者の本から
単語だけをバラバラに抜き出して
それをまったく別のように組み替えれば
違う思想になるようなもの

つまり彼らが捻り出した独自の思想とは
いかに頭のなかで他人と被らないように
“言葉”の並べ替えをして
だけどもそれが矛盾のないように
理路整然となるように配列させたからこそにある

 

世界がガラリと変わる

そういえば先日
車のラジオでこんな話をしていた

女子大生が
「夜はキャバクラで働いてる」と告白すれば
なんだか残念な感じがするのに

キャバクラ嬢が
「昼は大学に通ってる」と語れば
なんだか素敵なことに思える、とね

もちろん社会的な軽視や差別的な意図はなく
人間の認識や価値観なんてのは
こうして前後が入れ替わるだけで違ったものになる
という話者本人に帰する話だが

哲学者の思想の違いにしても同様に
言葉の配列によって
その世界観そのものが変わるのであり

もっといえば
それまでなかった新しい世界が生まれる
というわけだ

 

“あなた”という本の著者になるために

つまりこういうことだね

あなたの人生という”本”の内容は
たとえいま持ってる言葉しかなくても

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