お金持ちを真似してお金持ちになる?
今回はいつも相談の多い
「貧乏から脱してお金持ちになりたい」
についての回答となるけども
だが原理は同じなので
他の願望実現へも読み換えることができる
まずは以前の手記から少し引いてみよう
──
人間はなんらかの演技をしなければならない
なぜなら演技をしていないとき
あなたは「存在していない」のであって
つまり人間の世界とは演劇の舞台にある
ある男性は会社の部長であり
昼食に出れば常連客
街では溶け込む通行人を演じている
家に帰れば夫や父親であり
ひとりで部屋にいるときは
趣味に興じる少年に戻っている
男であるという自覚さえも演技にある
──
このように私たちは”常に”何かを演じている
幸せな人の役
不幸な人の役
家族を大切に思う役
思わない役
犬を散歩している人の役
サラリーマンの役
駅員の役
映画の監督の役や
映画の役者の役
そしてもちろん
お金持ちの役から貧乏な役まで
まあいろいろある
こうして「役になり切る」というのは
なにも特殊なことではなく
そもそもの人間の特質であり
もう幼少の頃からそれは現れている
たとえば物心ついた子どもたちは
ママゴトで遊びはじめる
「あなたはパパで仕事から帰ってきたのよ」と
幼なじみに伝える
動物の物真似をしてみたり
両手を広げて飛行機の真似をしたりもする
このように”真似事”をして遊ぶわけだが
実際それは大人になってからも同じで
すべては砂場の延長にあるわけだ
つまり私たちはいまも変わらず
砂場のなかのママゴトを続けているのである
「役柄」を変えるには
ところで「役柄のチェンジ(人生の変化)」は
どのようにして行われるのだろう
それには2つの方法がある
ひとつは
いまある役柄を十全に演じるきることで
シナリオ的に変化していくことだ
たとえば不幸な人になりたくなくて
不幸を演じきれないからこそ
“本当に”不幸になるわけで
その役柄を演じきらない限りは
そこに留まり続けてしまう
だが不幸の役を”十全”に演じていると
必ず展開が起こりはじめる
そうしていつの間にか
別の役柄を演じている己に気づくことになる
不幸を演じきるといっても
恨みつらみや妬みで
一杯になれということじゃない
それは不幸の役を演じているのではなく
不幸の役を拒絶して演じていないんだ
あなたが舞台監督で
ある人に不幸の役を任命したとき
あくまでそれは全体構造のバランスとして
配置されているわけであって
つまり着ぐるみのようなものにすぎない
ところがその人は
「嫌だ嫌だ」と言いながら
その不幸の着ぐるみを脱ごうとばかりする
当然舞台は進行せず
つまりその人は
“本当に”不幸になり続けることになる
だから役柄を受け入れて
まずはそれを”完璧”に演じきること
人間舞台(全体の構造)は
必ず調和の流れに従うのであって
だから「その都度ごとの役柄」を
十全に演ずるとき
調和の流れ(全体の変化)に乗っていけるわけだ
あと留意しておくべきは
役を演じきるというのは
演じている自分を冷静にみているわけで
むしろ役を演じきれていないときほど
その演技に染まり切って”盲目になる”という
パラドクスにある
この盲目性とはシナリオの行く先(=調和)を
見失っているということだ
だからひとつめの役柄チェンジの方法とは
役柄を全うするとき
台本の流れによって起こるということ
つまり「世界の方」から
自ずと新しい役が与えられるようになる
そのときわかることだが
すべては”経過”としてあり
不幸など実はありはしなかったのだとなる
「飛躍的に」役柄を変える
次にもうひとつの方法だが
こちらはよりスピリチュアルな方法となる
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