水路がなければ流れることができない

色々なことが過ぎていく

先日役所に手続きがあって、担当の人が丁寧に教えてくれた。とても親切な人で、妻は「良い人が担当で良かったね」と言っていた。ところで彼は一体何者だろうか。彼の日常は知らない。知らない限りそれは実在しない。ただ、いまここで”関わり”というポイントがあっただけだ。

私が「いま」に在るとき、それらは「ここに」現れては消えていく。そうやって眺めていると毎日無数のポイントがあることがわかる。日頃顔を合わせる人々、名も知らぬ通行人や店員たち。

あらゆる出来事の経験とは「ポイント」を通過したに過ぎない。だが間違えてはならないのは、動いているのは世界の方ではなく己の方なのだ。つまり過ぎているのは世界ではなく、あなたなのだよ。

 

一枚の絵の中

紙に長い直線を引いて、1センチおきに短い横線を入れる。それぞれが人生を描いているポイントであり、あなたは直線上をずっと目で追っている。速かったり遅かったり、意識が横線に引っ張られる度に、進行の速度は変わる。

だが紙や線は全く動いていない。つまり物事は過ぎているのではない。相対的に人々や出来事に時間が流れているように感じているだけで、世界は決して動いていない。壁に描かれた模様のようなものだ。

“すべては私が目で追っているもの”という自覚を持つとき、世界は静止していたことに気が付くだろう。するとあなたは「自分の進行」ですら錯覚だったと悟る。顔面に貼り付くぐらいの位置で見ていた状態から、床に置いてそれを見下ろしているようになる。一本の直線と無数のポイントが同時に存在していることに気が付くのだ。それは「人生が決定している」などという理屈ではなく、「未知ですら一枚の紙の上に過ぎない」という理解を意味する。

因縁生起を人間的な解釈にすれば、役所の彼は私のために生きており、そのタイミングを待っていたとなる。そして起こるべくして起きた。だが実際は、彼は私の前以外では生存すらしておらず、待っていたなんてこともない。彼から話を聞けば、またそういうポイントが創られるだけであり、すべては己の主観の世界なのだ。

 

これからの生き方は?

1分単位を意識して生きていくことだ。言葉にすれば忙しなく感じるが、時間に追われるのではなく、常に「その瞬間が私」であることを自覚するということだよ。現実とはその都度起こる箱庭の連続である。つまり枠を作ってその中で最大限に流れていくことが、充実した人生の条件となる。枠の外、つまりいまここにないものへの思考は全く必要がない。これまでの生き方と決別して、常に生まれたばかりという感覚を忘れてはならない。

現にそうなのだ。あなたはいまそこで生まれたばかりだ。記憶や過去は背負っているものではなく、生まれながらにそこにあるものなのだよ。1秒後にまたあなたは生まれ変わる。瞬間ごとにいつも生まれ変わっている。あなたが「数秒前の前世」のカルマを引き摺らない限り、常に自由だとは思わないかね?

紙を見下ろすことだ。世界はあなたをサポートするためにそこにある。あなたがやりたいこと、やれること、思ったりすること、そんなすべてを実現させてくれる。無限の空間にいるゆえに、人はすぐに居場所を見失ってしまう。水は水路がなければ流れることができない。水が自由に流れるには水路が必要なのだよ。

息が詰まる日常にいると錯覚して自由意志があるとかないとか、くだらないこだわりを捨てられないなら何もない荒野に行けばいい。そこで自問すれば良いだろう。「これって自由なのか?」とね。

だから枠を作って、そこに流れることだ。それが人間が持つ創造性、すなわち自由というやつなのだよ。そのマジックを最大限に生かしなさい。

 


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  1. 愉快 より:

    思考が問題を作り出そうとしていることに気づいてこのブログを開いたら、

    >無限の空間にいるゆえに、人はすぐに居場所を見失ってしまう

    とあったので笑ってしまいました。

    以前「枠を作りなさい」を読んでとりあえずなんでもいいから仕事を探したときは、ただ溝を流れている水のような感じだったのかもしれません。

    そして、平穏を目の前にしてみたら「はて、何をしていいかわからないぞ。なにか探さないと」という思考に引っ張られてわざわざ役を演じようとしていました。しかもよりによって「問題を抱えた自分」という役をわざわざ探すのです。探してもそれらしい役は見当たらないのに、こじつけてでも探し出そうとする。諦めの悪い子だねぇと、その思考を眺めていました。

    先日ここで、意識には慣性の法則のようなものが働くと読んだ覚えがあります。まさにそうでした。

    静止した意識、周囲に溶けているとき、なんの不安もなく自由でした。流れる様子を見ているだけです。そこにわたしは存在しませんでした。

    何もない荒野に立っても全然自由じゃないです。

    まだコントをやってるのかー、と笑うしかないのですが、気づくたびに舞台からおろして抱きしめてあげようと思います。

    • 愉快 より:

      そういえば自分さんが以前、「いずれあなたの世界からこの書は消える」という意味のお返事をくださいました。

      その時は意味がわからなかったのでわからないままにしておきました。

      いま、突然に理解しました。

      何をどう理解したのかは説明できませんが。アッと。

      わたしはなにかに固執しているみたいです。問題を作り出さないと長年慣れ親しんだ「不幸な自分」と離れ離れになってしまう気がして名残惜しいのかもしれません。

      不幸にさえも執着して手放すまいとするのですね。
      なんというか、不思議です。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      それで良いのだよ

      幸福も不幸もね
      すべてあなたのことなのだ
      だからどちらかを選ぼうとすると
      心にヒビが入る

      さあどうやったら
      そのどちらも抱きしめることができる?

      出来の良い子と
      出来の悪い子

      2人はあなたの子ども

      どうやったら
      2人を抱きしめてあげられるのかね

      ところで「出来」って何かな?

    • 愉快 より:

      こんにちは。

      >出来の良い子と
      >出来の悪い子
      >2人はあなたの子ども
      >どうやったら
      >2人を抱きしめてあげられるのかね

      右の乳房と左の乳房、どちらにブラジャーをつけるのか?という連想が浮かびました。片方だけにつけることは不可能だし、脱げばただ脱いでいます。

      そして、「二人の子ども」の具体的な像を浮かべてみたら、二人じゃないじゃん、二人だけど。という思考が始まりました。

      >ところで「出来」って何かな?

      ここを読んで「でき?」と一瞬ポカーンとしたあと、笑ってしまいました。なんで可笑しかったのかはよくわかりません。

      以前コメントで「面白くてたまらない時があります。」と書いた覚えがあります。
      いまも面白いです。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      良い洞察だね
      この世界はあらゆるものが
      対の関係にある

      だがそのシーソーの視点、
      つまりバランスを司るとき
      二者はひとつとなる

      良いもの
      悪いもの

      その意味づけを捨て去るとき
      すべてがあなたに溶けていくのだよ

      目の前に広がる光景を片っ端から
      「意味」を外してみなさい
      つまり言葉を捨てるということだ

      言葉を捨てるとき
      体で感じることだけが残る

      それはずっとリアルタイムだった
      だが思考の雲に隠されていた

      言葉を捨てて
      体を感じなさい

      光や音、感触、重さ
      世界の真実に触れてみよう

    • 愉快 より:

      おはようございます。

      昨晩、なぜ昼間の自分はわざわざブラジャーに喩えたんだろう。ズボン履いたら右足も左足も両方履いてる、とか別の言葉もあったのに。

      などと笑っていました。

      ここにコメントを書くときは思いついたことをパッと書いて躊躇せずに送信ボタンを押すことが多いのです。

      「ここ」という場所があるわけでもないのになぜかここにいる感じ。

      どなたかが、涅槃の書が自分の世界から消えてしまうのは寂しい、というようなことを書いていらっしゃったのを読みました。

      それを、自分の声のように感じました。それと同時に、コース料理かなにかをただ運ばれているとおりに美味しく食べているような気分にもなりました。

      わたしの世界で起こること、見えること、フルコースを味わうつもりになったらどの料理も楽しみでなりません。

      ブラジャーとか書いちゃったよヤダもう、と思っていた昨日は、食前酒かも。それともデザートかしら? 何にせよ、今日も愉快です。

      ありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      >思いついたことをパッと書いて躊躇せずに
      >送信ボタンを押すことが多いのです。

      私も同じだよ
      思考が起こるのは
      いつも送信した後だ

      多くの人達も同じだろう
      小説一冊分のようなメールも頂くが
      彼は書き流している時点で
      「それ」に触れている
      本書と関わると
      そういう流れが起きやすいようだね

      あなたの「流しきる」という
      姿勢も素晴らしい
      何事もそうであるべきだよ
      忘れてはならない

      マインドは後で恥や悔いを浮かべるが
      世界はそんなあなたを歓迎している
      それこそがフローであり
      人が幸せに生きている姿そのものである

      あなたの明朗さは
      内側のものか
      外側のものかはわからないが
      ここでのあなたという存在は
      多くの人々の自己の投影であり
      すべてが繋がった「ひとつ」の一面なのだ

      つまりあなたがグイグイと生きてくことで
      世界全体が幸福になっていくのだよ

      いつもありがとう

    • 愉快 より:

      こんばんは!

      >マインドは後で恥や悔いを浮かべるが
      >世界はそんなあなたを歓迎している

      これが、今日の昼間起こりました。
      いま返信を読んでそういえばそうだったと思い出した事です。

      混雑したバスに乗る時に Suicaがうまく反応しませんでした。ERRORと表示されたのを見て、その時のわたしは「うわぁ!」みたいな声を出して、3度目ぐらいに他のICカードと重なっているからなのかと思い出して、パスケースから Suicaを取り出し、無事タッチして、何故か一個だけ空いていた席に座りました。

      こういう時、前だったら照れ隠しみたいにテヘヘッという顔をするとか、何も気にしていない風を装うか、後ろの人に申し訳なかったからスミマセンという顔をするとか、開き直ってムスッとするとか、何かしら言い訳めいた思考と振る舞いをしていた気がします。

      だけど、その時のわたしは。

      なんだったか思いだせないけれど、何も思わなかったのです。

      例えば一人でいる時にギャグ漫画を読んで笑い声が出ても恥ずかしくないです。でも、それが電車の中なら恥ずかしい。

      という事になっている。

      そういう思考がないまま、また役所やら病院やら、いろんなところに行きましたが、「わたし」を主張するわたしの出番がほとんどないのです。

      そして、今まで忌避していたネガティブ (だと自分の中でジャッジしていた) ことに対して、ありのままの反応をしました。

      言葉は発しているけれどそれは必要なときに必要に応じて使うのであって頭の中でいちいち誰かの容姿や態度や振る舞いを批評しているような思考が激減していました。

      まるでこの場所に初めてきていろんなものを見聞した、という気分が何度も起こりました。

      家に帰ってきても、少しその余韻かあって、それが消えそうになった時に涅槃の書のことを思い出すのです。

      つまり、昼間は涅槃の書が消えていた?

      不思議です。

    • 愉快 より:

      >あなたの明朗さは
      >内側のものか
      >外側のものかはわからないが

      わたしにもわかりません。

      ただ、ここにいます。

      説明できないなにかが。

      ありがとうございます!

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      >まるでこの場所に初めてきていろんなものを見聞した、
      >という気分が何度も起こりました。

      それはひとつの到達にある
      あなたが「何も知らない」という在り方のとき
      世界は真実を見せている

      霧が晴れる、つまり自分が消えた世界
      見えるものでもなく
      聞こえるものでもない

      時間は止まり
      ただ感じるだけの空間が
      闇に照らしたランプのように
      あなたの周囲に広がっている

      あなたがバスに乗ったこと
      Suicaが反応しなかったこと

      それはあなただけの体験ではなく
      そのコメントを読んでいる私や
      すべての人の体験なのだ

      ひとつはすべての一面であり
      すべてはその一面を支えている

      あなたがその自覚を持つとき
      あらゆるものを突き抜けるだろう

    • 愉快 より:

      >それはあなただけの体験ではなく
      >そのコメントを読んでいる私や
      >すべての人の体験なのだ
      >ひとつはすべての一面であり
      >すべてはその一面を支えている

      ああ、ひとつはすべての一面。そうでした。

      わたしはいない。としたとき、わたしはいるのです。
      この意味がさっぱりわからなかった筈なのにそれをいま実感していて。

      他の方々のコメントも、日常に起こる出来事も、ここで更新される手記も、わたしの体験になりました。

      わたしはいました。
      いないのに。

      >あなたがその自覚を持つとき
      >あらゆるものを突き抜けるだろう

      何を突き抜けるのかわからないけど起こるままに任せていたら会員登録終わっていました。

      いま気づいたのですが、ログアウトしてコメントすれば今まで通り、会員でない方にも見えるようにコメントを残せるのですね。

      自由自在だ。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      先程システム面についてメールを送ったので
      確認してみてほしい

      >いま気づいたのですが、ログアウトしてコメントすれば今まで通り、
      >会員でない方にも見えるようにコメントを残せるのですね。

      記事自体がロックされているので
      そのコメント自体も(記事に関する内容になるゆえ)
      同様にロックされる

      これは自由に設定できるものではなく
      そういうもののようだ

      だが、最新コメント一覧ではコメント内容が可能となる
      (投稿写真欄のひとつ下段)

      そのあたりは、会員マニュアルに載せておくよ
      いつもありがとう

    • 愉快 より:

      >記事自体がロック

      マニュアル諸々、読んでみて画面を確認したらようやく仕組みがわかってきました。

      ありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      後からわかってきたことや
      多くの方からアドバイスを貰ったりして
      少々、ツギハギのようになっているね

      ありがとう

      もう少し様子を見たら
      洗練させていくよ

  2. 色即みっちゃん より:

    涅槃さんこんばんは。

    僕はまだ40代ですけど只今終活中です。

    一人暮らしなので僕が万が一の時に僕の保険金やら貯蓄やら退職金やらなどを誰に一任するか親兄弟と話しています。

    不思議なことに終活を始めたら、今迄に僕が背負っていた肩の荷物が軽くなった感じがします。

    過去を引きずらない、こんな楽しいことはないです。

    • 色即みっちゃん より:

      自分の身内に何が有っても動じない…。

      それが現時点での僕の到達点です。

      無論、僕の目前で僕に助けを求めたら全力で向かい合います。

      僕の人生の輪廻に気が付いてます。

      相手の嘘や隠し事に翻弄されて、掛けずりまわる…。

      僕がいる…。

      でも目前に助けを求めた人に真心があるならば、

      僕は火中に飛び込みます。

      それが俺だもん…。

       

    • -自分- 涅槃 より:

      色即みっちゃんさん

      もし関わる人がひとりもいないとき
      自分はどう在りたいのかを考えてみる

      ちょっとやってみなさい

      家族も周囲の人もいない
      あなたひとりだけだ

      金もあって
      食べ物も寝床もある
      働く必要もない

      そんな状況だとしたら
      あなたはどのように生きていたい?

      あなたの現実は
      心とどう向き合っているかで決まる
      ポリシーもあるだろうが
      それは外的な要素によるものだ

      「あなた発」の何かを見つけてみなさい
      そこには義理や責任感がなく
      ただ自由な世界がある

      それを見つけるのだよ

コメント・質疑応答

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