あの人のためにこんなにやってきたのに

身近な人間関係で
理不尽な思いを感じるときといえば

自分はこれだけのことをしてるのに
相手はなにもしてくれないどころか
感謝すらない

まして相手は身勝手なことばかりする
いったい私のことを
なんだと思ってるのだろう?

みたいなのがよくあるパターンだね

特にこのときの
「自分はこれだけのことをしてる」とは
目に見えたようなサプライズなどではなく

その相手が不自由なくやっていけるような
先回りの配慮だったりするはずだ

たとえばその人の持ち物や衣類を
使いやすいように整頓してあげたり

その人の健康を考えて
食材や日用品に気を使ってみたり

その人の明るい将来のために
積立の預金をしていたり

日頃は口にしない心の態度にしてもそう
その人への感謝を怠らない

つまりそのような目に見えないことを
やっているのだけども
ところがその人からは自分と同じような
目に見えない配慮が感じられないわけだ

 

幸運は姿をもたない

こんな不公平な関係なら
いっそ何もせず放ってやろうかとも
たびたび考えるだろう

そうして何もしなければ
相手は自分の有り難さに気づくかもしれない
そんな期待があるからだが
ここに今回の話の重要なポイントがあってね

つまりあなたはその人が
何不自由なく歩いていけるように
いつも先回りをして
道に転がる岩や瓦礫を取り払ってきたのだけども

その人がそこを通りかかるとき
当然そこには何もない

何もないから
あなたの努力に気づかないばかりか

気づくべき何かがあるのだという発想さえ
浮かばない

たしかにその意味では
あなたがいなくなれば
岩や瓦礫だらけとなるのだから
これまでのあなたの支えに気づくかもしれないが

逆にこれまで自分が幸運ゆえ何もなかったんだと
あなたのことなど過ぎりもしないかもしれない

実際それが”幸運”というものだが

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