精霊たちの恩返し

昔話や童話でよく語られるのは

助けた動物や蝶が
その後に人の姿となって現れ
自分の支えになってくれたり

せっせと献身してくれていた人が
実は人間ではなかったりなど

そんな現実を超えた話にある

当然それらについて
社会生活に追われている大人のあなたは
子ども向けの情操を養うものとして
つまり”現実的な世界のうちのひとつ”として
認識している

まさに現実的な話だね

だがここで思い起こしておくべきは
日頃あなたが深刻に向き合っている
この時代的な”現実話”ができたのは
せいぜい数十年程度のものであり

ところが”非現実話”のほうは
数千年のものもあったりして
遥かに歴史が古いということだ

 

なぜ己は死なずにいるのか

ではどちらが現実なのか

もちろんそう問われたところで
「助けた動物が人になるなんて
どうしてそれが現実的なんですか」となるね

あなたの現実では
動物が人に姿を変えたりしないからだ

しかしそれは単にあなたが
気づいていないだけじゃないのかな

たとえばこの宇宙に放り出されるようにして
なにも持たずに生まれてきたあなたに
食事や薬を与えてくれる人がいた

読み書きを教えてくれる学校があった

人生の行き先を迷うあなたに
手を差し伸べてくれるテレビや漫画があった

また毎日のお供のように
毎朝太陽は降り注ぎ
雀たちの姿や草花がいつも視界にあったわけだが

しかしそれらはなぜあるのだろう?

どうしてあなたは
野垂れ死ななかったのだろう?

そもそもなぜいま
己はここに生きてるのだろうか

もちろん社会的な現実を
うまくやっていくためだというだろうけども

もし人生のすべてがあなたを支えていたと知ったなら
生きることの目的は変わってくるはずだ

 

互いに支えあってる世界

みえていたものは
その姿のとおりではなかった

つまりそれは親ではなかったし
学校の先生でもなかった

それは動物でも鳥でも草花でもなく
テレビ番組でも漫画のページでもなかった

雨風をしのぐ家でもなければ
それはベッドや靴でもない

しかしそれらは
“あなたには”そのようにみえていた
そしてそれらはあなたを支えてくれた

だからあなたが思い出や物を大切にしたり
感謝をちゃんと伝えたり
目にした風景や光景に
素敵だとか美しいなあと感じたり

そうやって”その恩”に
なんらかのお返しができるならば

まさに生きとし生けるものが
互いに助け合ってる様子がここにあることになる

だけども”そのような光景”があるのは
すべてが仮の姿でここに現れていること
あなた自身それに気づいているということなんだ

 

精霊たちがいる

さてこの”巨大な渦”のなかで
あなたは見殺しにされなかったわけだが

すると「なぜ生かされたのか」という疑問が残る

それはいまそうして疑問するあなた自体が
“現実的な仮の姿”であるからそう捉えるのであって
実は生かされて当然だったんだ

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