“非現実”へ

人生に意味をみつけたいけど
なにをしていいのかわからない

そんな相談がいくつか重なっているので
こちらで答えておくよ
のちほど個別にも返しておく

さて、これは少し前にも話しているのだけども
人生の意味を探そうとして
世の中に溢れるいろんな意味を
みてまわるわけだがどれもしっくりこない

よってなにをしていいのかわからないわけだが
そうじゃないよ

すでに存在している意味の数々に
うんざりしてるからこそ
あなたは人生に意味をみつけたいんだ

だからある逆説を通過しなければならない

それは意味あるものに意味をみるのではなく
無意味に思えるものに意味を見出すことにある

 

“非現実”へ

あなたもこれまで
「はじめての体験」があっただろう

なんでもいいけども
たとえば友人に「これいいよ」と
聴かされた音楽に衝撃を受けたとしようか

「何て言えばいいのかわからないけど
本当にすっごくいい!」

なぜ衝撃を受けたのだろう?
どうして何も言えなかったのだろう?

似たようなケースなら
友人誘われて
はじめてライブハウスに入ってみたとしよう
(コロナは置いておく)

開演前のそこは異質な空間であり
いろんな人がいるけども
あなたの知らないことを知ってる人たちの
集まりのように思える

そんな人々の熱気や会話が立ち込めるなかで
突然ふっと照明が落ちて
ステージにバンドが現れる

一斉に演奏がはじまり
その中心で妖艶なシンガーが歌いはじめた

ゆったりした曲なのに
その凄まじい存在感に
誰もが釘付けになっている

もちろんあなたもそうだ
目の前で起きている光景に圧倒されて
なにも言葉が出ない

そして同時に
この非現実感はなんだろう?と思いながら
いろんな想像がかき立てられる

たとえば歌ってるあの綺麗な女性は
どんなお洒落な暮らしをしてるのだろうとか
毎日が創作や芸術に溢れていて素敵だなとか
まるで映画みたいな人生じゃないかとか

つまりそんないろんな”空想”や
そして多様な人々が同じ場所に集まっているという
この異様な光景も含めて
あなたは大きな衝撃を受けているわけだ

 

「かっこいい」の本質

さてなぜ衝撃を受けたのか
なぜ言葉が出てこなかったのか

いいかい
それはその目の前の出来事が
なんの意味もないからだ

つまり”現実的”ではない

これは音楽だけでなくファッションや物
そして人の生き方でもそうだけども
「かっこいい」とか「素敵」の本質にあるのは
独自に作りだした約束事を貫き通していることにある

高級ブランド品の独創的な部分や
個性的な人生を歩んでる人もそうだが
たとえばバンドの楽曲のなかで
いわゆる「キメ」や「ブレイク」と
呼ばれる部分がある

全員の演奏が一瞬的にストップしたり
同じフレーズで合わせたりする箇所のことだが
ところがそれは
絶対にそうしなければならない必要などないんだ

つまり規定の意味はなく
単にバンドが「よしここではこうしよう」と
意味のない”意味”を取り決めただけにある

ところがまさにその無意味さこそが
はじめて聴く者に衝撃を与えるわけで
なんだかわからないがすごい」となるわけで

それが転じてかっこいいとか素敵となる

もちろんそうした感想は
視聴者の主観的なものであり
また必然的にそうした”無意味さ”は
世間一般に流通している意味に対立するものだから
「ださい」とか「なんか変」となる可能性も当然ある

つまり批判を恐れると
無意味さに意味を見出すことができないが
しかし人類の歴史において
新しい文化や新しい思想や表現、ビジネスにしても
それまで意味がなかったところ
意味が見出されたからこそ生まれたものだ

ジャンルや分野として定着したものは
すべてこの無意味→有意味への変化を遂げてきた

話しているような”新しい経験”もそう

だから批判者の立場、すなわち
すでにある意味の固まっている世間に流されるとき
あらゆるものは合理的な一般化に塗りつぶされて
人生はなんだかつまらないものになる

この批判者とは
古い考えや価値観の自分を
握りしめている己のことでもある

たとえば
はじめの頃は好きな相手の欠点が
魅力的な個性にみえていたのに

ときめきが薄れるにつれて
一般化の目でみるようになり
やがてその個性はただの汚点にしかみえないのと同じ

ところがその汚点にしかみえないところに
あなたは惹かれていたんだ

だからこそ
「どうしてあんなにこの人を好きだったのか
全然わからない」となる

 

宝石があちこちに埋まってる

というわけで
無意味なことにこそ
輝く意味が生まれてくるのであって

つまりこの世というのは
輝く宝石がいくらでも埋まっている発掘場にある
といえる

ライブハウスでみた
圧倒的なオーラに包まれた綺麗な人の
“意味のわからない”あの素晴らしさ

それはあなたがこの世で
宝石を掘り当てた瞬間であって
そうして素晴らしいと思った時点で
人生には”新しい意味”が生まれている

それは停滞していた”流れ”が
再び流れはじめる刺激でもある

それゆえにその人に対する
いろんな空想が”創造”されていくわけで
あなたもそうなりたいと思うかもしれないし
この人をもっと知りたいと思うかも知れない

それはあなたの毎日に新しい息吹を吹き込むだろう
髪型を変えてみたりライフスタイルを見直してみたり

そうして”新しい文化”が
あなたの人生に作られたのであり
繰り返すようにそれは
まったく無意味だったもの
意味を見出したからにある

つまり”あなた”がそれに命を与えたんだ

あなたが命を与えたからこそ
“あなたの世界”はまたひとつ豊かになった

あなたの光を待っているものが
“無意味”という日陰に隠れて
ずっと待っているのであって
それをみつけるときあなたは人生に喜びをみる

だけどもそれは
あなた自身の光をあなたが思い出したからにある

そう、宝石の輝きとはあなたの輝きだったんだ

 

素敵な”あの人”

あと大事なのは
すでにできている意味のなかにいる限り
光を見失い続けることになるということだ

家庭で職場でも趣味でも
人生の過ごし方そのものが

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