2つの望み
当時はなんでもなかったことが
いま思い返せば
それがとても幸せだったと思ったりするね
だけども大体において
私たちはいまが幸せだとは思えていない
いつかこうなれたら幸せだろうとか
いま抱えていることが解消したら幸せだとか
いつもそう思ってる
ところがそう思ってるいまこそが
実は幸せだったわけだ
自分が憧れている世界
さてこの話のポイントは
そうして後になって幸せだったと思えるのは
すでに望みが叶っていたのだと気づくからにある
あの頃は望みが叶っていたと気づくからこそ
幸せだったと思うのであって
言いかえれば
そうして望みの実現した世界に
常に”自分”は憧れている様子にある
だから奇妙な二重関係があることになる
自分は幸せになりたくて
「いつかこうなれたら」とか
「いま抱えていることが解消したら」とか
未来の幸せばかりをみているわけだが
それはなぜかといえば
心を焦らせたりすることのない
あの「なんでもない感じ」を知っているからだ
ところがその「なんでもない感じ」は
後になってわかるように
実はずっといまここにあり続けていた
ゆえにひとつのパラドクスが起こる
つまりそのことを見失うとき
“自分という焦り”が生まれるんだ
どうにかなるさ
まさに”自分”がいる限り
その自分が求めているものには到達できない
過ぎ去った日に思い馳せるのは
もうそこには自分がおらず
ただありのままの光景があるからだ
もしいまだ不幸に思える過去があるならば
それはその光景のなかに
まだ自分がいるということだね
もちろんあなたは
晴れやかに過去が解放されたことについて
「そりゃその後どうなったか知ってるからですよ」と
いうだろうけども
それはその通りであって
その後どうなったかを知ってるからこそ
もうそこに未来ばかりをみる“自分”はいないんだ
しかし自分を消滅させる方法は
「どうにかなった」という結果からだけでなく
「どうにかなるさ」という
いま抱えている執着の手放しからでも
可能ではないかな
これまでの結果のみではなく
“これから”への原因として
日々を解放することができる
たしかに手放したところで
“自分”にとっては相変わらず
不都合な展開は居残り続けるかもしれない
だがそれがなんだというのだろう?
いずれあなたは
自分のいない”この日々”を
とても満たされていたとみているのだから
2つの望み
というわけで
あなたの人生には2つの望みがあるのだと
覚えておこう
どちらもあなたの望みだけども
そのひとつは
すでに実現しているこの日々のことだ
引き寄せや願望実現は
このすでに実現している望みにおいて”実現”する
変な言い回しに思えるだろうけども
どうして”変”に感じるのか
それはある固定的なものの見方に縛られているからだ
つまりこの”変”への理解と確信こそが
閉じられた現実を開放する鍵となる
すでに実現している望みにおいて実現する、
言いかえれば
「気づいたらそうなっていた」ことになる
たとえばいまの住まいや職業
友達、現在置かれている状況など
あなたは”自分”が選んだつもりでいるが
本当はそうじゃない
Notes あなたの世界, 不幸をやめる, 創造, 幻想, 引き寄せ, 悟り, 生き方, 自分, 苦悩, 豊かさ, 願望実現
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