悟りとは何か?という議論

悟りとは何か?
という議論が繰り広げられる

ではこのように記そう
あなたは「自分は誰か?」と問う
だが根本的な間違いがある
その正体を「個体」として求めることだ
人間は自らを個体としているから
どうしても観念を外せない
当たり前のベースとして、
それを前提に考えてしまう
だから見逃すのだよ
個体として求めないとき
「個体以外」が現れる
それはなにか?
繰り返すがあなたは個体ではない

つまりあなたの観ている日常、感覚、世界
それがあなただ
これはいつも言っていることだね
悟りという議論に意識を向けたら
「悟りという議論」があなたなのだよ
議論に答えが出ればそれもあなただ
答えが出なくても疑問そのものがあなただ
何であろうが、あなたの世界に生まれたもの
それそのものがあなたのだよ

あなたは自分自身をいつも見ているのだよ
世界が自分?
そう思うだろう
理解しにくいだろう
それは「個体」が正体だと
勘違いしているからだ

個体などない
あなたの正体はその生きている世界なのだ

あなたが認識するからその対象が存在を与えられる
前回も書いたが山道で見た一粒の砂だ
あなたが認識したから
その砂粒は砂粒として存在できるのだ
つまりあなたは無限の創造主であるのだよ

あなたが認識しなければ世界は存在を与えられない
逆説とすれば、世界を見る為にその肉体がある
世界とはあなた自身の結果、
認識しなければ結果は生まれない

このパラドックス
つまり、何もないのだよ

 

 

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  1. さばみりん より:

    すべてはあるとないを超えていて、ただわたしが認識した瞬間にどちらかに決まり存在するのですね。
    そしてゆえに、何も実在していない。

    わたしはわたしの中にたったいま限りあるから、問いと解釈すら無意味…。

    言葉で書くとややこしいし意味が不明となる。
    ただこれこそが本当なのですね。

    自然科学はそこに答えを見つけ出そうとしている以上どこにも到達できないのでしょうか。

    わたしはわたしの中を生きます。
    それを感じていきます。思考に仕事をさせ過ぎないように……。

    • -自分- 涅槃 より:

      さばみりんさん

      >答えを見つけ出そうとしている以上
      >どこにも到達できないのでしょうか。

      そう、問いや答えとは
      マインドのものであり
      真実とはまるで関係がない

      禅問答というものがあるが
      それはマインドが
      いかに制限されたものであるかを
      知らしめるためのものだ

      私たちはどんな些細な物事も
      瞬時に解釈し、算段してしまう
      常にマインドが活動している

      無限に広がる空間に存在していながら
      手のひらよりも小さい枠の中で
      四苦八苦して生きている

      つまり答えを探し出すために
      問いを作り続けているのだ

      問いは答えではなく、問いなのだ
      そこに問いなどなかったということ
      それを悟ることが
      あなたを解放へと導く鍵となる

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