宇宙を駆け抜ける

空を焦がして飛んでいく火の玉
そのようになりなさい
飛行しているそのもの
あなたがそのものにあるとき
常に飛んでいる状態となる
墜落はしない

というよりも
墜落という不安が生まれることはない
次はどうなるかなんて
そんな思考はそこにはない

宇宙を駆け抜ける彗星の如く
彼は常に「いまその状態だけ」がある
それしか持ち得ない

あなた以外の人から見れば
墜落しているようにも見えるときがある
あなたはそう思っている
だがそれは「そのように見えている」
だけであり
そもそも「他人の視点」など存在しない

 

自分の視点で生きる

あなたはいつも「他人の視点」で己を見る
「私は墜落している」
「私は不幸なのだ」
それは一体どういうことかね

「他人の視点」とやら
それを見せてみなさい
そんなものありもしない

だからあなたがそのものであるとき
どこに墜落があり
どこに不幸があるのだろう

時空を刻む針だ
その針先から物事を捉えるようにしなさい

ターンテーブルの針
動いているのは針ではなく
レコードの方だ

変化しているのはあなたではなく世界の側

ジェットコースターのシートに座るあなたは
刺激的な周囲の変化を楽しむだろう
だがコースターの中は何も変わらない
固定されたシートに
あなたが座っているだけ
それが「常にいま」だ
そこに変化という概念はない
つまり時間という概念はないのだ
コースターの外側がいつも変化しているだけ

人間的な解釈にすれば
「これも過ぎ去る」となる

「どんな面倒なことも
いまとなればすべて過ぎていった
喜びも悲しみも
始まっては終わっていく」

だからいまの目の前のことを
十分に感じることだけが
人生の楽しみといえる

歩いているとき
足の裏が大地に吸い付く感覚
肌に触れる空気
聞こえてくる音
そういったものに包まれなさい

彗星になるのだ
それを見ている人になってはいけない
つまり「他人の視点」を作らない
彗星そのものになるのだよ

自分のことは捨て去りなさい
それを見ようとする限り
あなたは自分を生み出す
それが幻影
不幸の種
自分を見ないだけでいい
彗星を見る人にはならない

あなたが彗星そのものになるとき
そこに彗星はいない
ジェットコースターが疾走するとき
あなたが風景を楽しむように
ダイナミックに変化していく光景だけが
いまという針先を通過していく

いわゆるランナーズハイだ
それまで向けていた自分という意識が消え
駆け抜ける光景だけに溶けていく

あなたが人生で見ていたものは
自分自身ではなく
変化する世界だけだったのだと気がつく
一体何を悩んでいたのだろうかと
あなたは思うだろう

「常にいまの状態であること」
そこから入りなさい

 


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