水面の変化

あなたは自分の「何もない暮らし」のなかに、どこかから突然恋人となる異性が訪ねてきたり、たまたまのキッカケでお金や良い話が舞い込んできたり、そのように「外から何かが与えられる」というふうな感覚で人生が変わると捉えているかもしれないけども、そうじゃない。

そのように期待してもずっと待ちぼうけとなってしまうだろう。

たとえばこういうことだ。

お寺なんかで池の水面をみていると、ポコポコと泡が発生したり、一部が変色してきたり、それが広がったり消えたり、水面という全体のなかでそうした変化が起き続ける。

いまあなたが知覚している世界とは、その水面のようなものである。

つまり恋人との出会いや良い話が舞い込むというのは、水面の外からやってくるのではなく、「最初からある水面そのもの」が変化しているということにある。あなたが常に直観しているそのヴィジョンの刻々とした変化が、日々の出来事であるのだ。

1.

呼び鈴が鳴ったので出てみれば、数日前にネットで注文した商品を運送会社が届けにきたとしよう。あなたは「ああ忘れてた」と声をあげる。

これはあなたの意識の外から、想定不能の外側からやってきたのではなく、池の水面が徐々に変色するように、あなたの知覚している世界のなかに変化が生じたにすぎない。

言い換えれば「変化の総合」があなたの知覚している全体であり、ひとつの全体的な領域を形成しているのである。

ゆえにその様々な変化の統合が、あなたという意識、すなわち「自分」なのである。ここが重要だ。

つまりあなたは運送会社に対応している者ではなく、彼の存在や出来事があなたであるということだ。

2.

たとえば私はいまコーヒーショップでこれを書いている。少し観察してみよう。

何かが見える、それは色や形をもっている。またそれは動いている。音もどこかから聴こえてくる。気温が肌に伝わる。コーヒーの香りや味を感じる。

意識はそれらのバラバラな対象に分散されるが、それらの多様性はひとつの意識として集合する。その集合が「私」という自己意識の正体なのである。

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