適応しようとしなければうまくいく
「何もしない」が神髄である
つまり「適応しようとしない」だ
たとえば売春婦という職業
どんな客が来ようとも
彼女は「素晴らしいもてなし」をしない
それが適応しようとしない、だ
自分の身体を売っているのは
それは幼き我が子のためであり
脂ぎった中年たちのためではない
淡々と仕事をやり過ごすだけ
そこに想いを持たず
ただ淡々と自分の体が動く様を眺めている
それがプロの売春婦だ
つまり観照である
素晴らしいもてなしをするプロ
いいかい「プロ」とは
外側から見た風景のことだ
「私はプロだから」と自覚しようとすれば
あなたはプロではなくなる
苦悩に満ちた世界となる
身の丈をそこに合わせようとすれば
あなたの身は引き千切られる
そこはどれだけ大きいのかわかるかね?
あなたの想像を絶するサイズだ
そこにあなたは身の丈を適応させようと
必死に引き延ばす
そして千切れてしまう
そもそも合わせる必要などないのだ
合わせなければならないという錯覚が
苦悩を生む
プロと言われる人たち
売春婦でも料理人でもいい
彼らは「そういうプライド」を
保持していないから素晴らしいもてなしができる
ぶっちゃけると
どうでもいいのだ
特に意識していない
ただその風景に溶けている
だから外部からみれば
最高の唯一なのだ
誰も勝てない
そもそも勝負という土俵にすら
立っていないからだ
完璧な光景、それそのもの、
それがプロだ
だから本人の自覚ではない
自らが風景であるのに
どうして自らを知ることができる?
郵便局員が
郵便局員であろうとする努力はいらない
ただ制服を来て
そこで淡々と仕事をしているだけで
誰がどう見ても
郵便局員だ
そこに努力はない
あなたが何かを成し遂げようと
その状況に自らを合わせていこうとする
例えばスキルアップ、努力などね
必ずあなたは打ち砕かれるだろう
なぜならば適応しようとしていることが
前提にあるから
適応しようとせずに努力をする
さてそれはできるかね?
努力とは適応しようとするから
生まれる苦悩のことだ
同じ行為をしているのに
あなたが適応を前提としなければ
それは努力にならない
ただ行為がそこにあるだけとなる
つまり
最も適さない者が
その世界に溶ける
これを覚えておきなさい
「それをどうにかしたい」と
思わない者ほど
その世界そのものとなる
あなたがある職人の世界に足を踏み入れたならば
最高の職人になろうと思わないことだ
その時点であなたは最高の職人になっている
弟子は師の最後のテストをクリアできない
なかなかできない
どうすれば師のようになれるのか
どうすれば師を超えることができるのか
簡単なことに気が付かない
つまり、なろうとしなければいいだけだ
最高の師とは
その状況に対して
特に何とも思っていない
あなたはどうしてそのレベルに達したのですか?
師に本当の答えを言わせれば
「いや、なんとなく‥」
弟子は愕然とするだろう
夢にまで追い続けた師が
今まで、ただ適当にやっていただけなんて
だけどもそれが神髄だ
あなたが売春婦なら
最高の安らぎをお客さんに味わってもらおうなんて
そんなこと思いながら従事したら地獄を見る
「誰も私をわかってくれない」
「私はなんのために生きているの?」
「みんな優しくない」
あなたがそこに適応しようとするとき
それは「何かをしている」のだよ
別にそれがうまくいこうが
どうなろうがどちらでも構わない
そこに理屈もなければ
意地もない
別の道があるからとかいう
余裕でもない
そのとき
あなたは世界に溶けている
1
するとあなたが「どうにかせねば」と
世界に適応しようと努力していたときよりも
遥かに単純で簡単な動きが起こりだす
あなたが世界そのものになっているからだ
ある商売を成功させようと
彼は躍起になる
こういう客が来た時のために
こういう設備を用意しておかなくてはならない
そうしてどんどん金をつぎ込んでいく
まだ開店していないのに
来てもいない客に
彼はどんどんもてなしをする
そうして破綻する
彼は不安なのだ
それは「どうしても成功させたい」から
成功させたいとか
そんな次元は捨て去りなさい
そうすれば
彼は、ただの単なるその商売の人となっている
彼の夢にまでみた「成功」
それは特に成功させようとしていないときに
完成される
あなたがその生活に意味を与えるほど
生活は傾きだす
すべては表裏一体
ならばどちらも意識しなければよい
意識しないということを意識する
それは本末転倒だ
あなたがたったいま
なんとも思っていないこと
呼吸とか脈とか
「ああ、そういえば、そうなってたな」
という無為のレベルでいいのだ
景気とか毎月の収支とか
そんなことを知らない無邪気な子供は
生活とは、ただそこにあるもの
そこにあるもの、とか生活とか
そういう認識すらない
そこを考える余地なんてあったの?
と言われて初めて気が付くレベル
それが最高のマスターだ
「いや、なんとなく‥」
言われて初めて
自分がそうなっていたことに気が付く
「言われてみれば、ああそうだな」
「そんなこと忘れていたよ」
「ああ、私はそういう仕事してるんだっけ」
努力と言われるものの
正反対にそれがある
そこに溶けるとき
あなたは最高の動きをしていたことに
自分では気が付かない
郵便局員が郵便の仕事をしていた
これは驚きのことだ
そうして体が勝手に動いていない
常にマインドでコントロールしている人は
努力家だ
非常に疲れる毎日となる
そして最後にはすべてを失う
2
ある苦労人がいるとしよう
「私はみんなのためだけに生きてきた」
「私の人生は結局誰かのためだった」
「私は何一つ自分のことをしたことがない」
確かにその人は
多大な貢献をしてきた
自分ひとり生きていくだけでも
精一杯の時代なのに
彼に助けられた人は多くいた
よくそこまでできたねと賞賛されるほどだ
それを本人も自覚している
「自覚している」からこそ苦悩している
だが本当のところ彼は
自分のことしか考えていなかったのだよ
だから”平気で”他人のことができたのだ
他人に何かをしていたなんてこと
彼にはまるで見えていなかった
他人に何かをしているが
「他人への真心の奉仕」なんて
まったく意識していない
常に自分だけに意識が向いている
「ああ、また『問題』だ」
「どうにかしないと」
「なんで私にそれを頼むのか」
自分しか見えていない
その世界と格闘を続けた結果
彼の後に道ができていた
気が付いたらそうなっていたのだ
気が付けば多くの人の役に立っていたのだ
本人は苦悩だけの人生だがね
苦悩は一見「他人に振り回された」と見る
だが彼こそ自分のことしか考えていなかったのだ
他人のことなど
意識していなかったからこそ
最高のもてなしをしていたのだ
恵まれない人々の救済を目的とする慈善団体すら
そこまでの達成はできない
だが彼はやってのけた
知らないうちにやってしまっていたのだ
無論、救済なんて意識していないからだ
「自分は周りに振り回されてきた」
そういう人ほど自分のことしか考えていない
だから周りに対応できるのだ
後になって
「考えてみれば私の人生は他人のためだった」と
そのように自覚をしてしまえば
それはプロの売春婦が自らをプロであると
自覚するのと同じ苦悩パターンに陥る
まあそれを
「他人に振り回された」と暴言すれば
他人も良い迷惑だ
賞賛の意味は
「あなたは自分のことしか見えてなかったけど
そのお陰で多くの人が助かったのよ」
そういうことなのだ
だが彼はそれが理解できない
自分が「どういう風景」だったかを
見ることができない
当たり前だ
ダイヤは自らの輝きを知ることはできない
彼は自分の人生のすべてを失った
誰がどうみても
彼は何も失っていないのに
彼はすべてを失ったのだ
これが「失う」ということだ
だからあなたが風景に溶けているとき
あなたは自覚できない
だがそれこそが最高のもてなし
世界そのもの
それがプロフェッショナルということなのだよ
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最初の文章はなんとなく分かりましたが、”私は周りに振り回されてきた”のくだりが分からず自分で驚きました。
私は努力家と言われ、我慢強いと言われ続け、周りに振り回される気がします。人生がジェットコースターのようでした。なんで私に頼むのーー今日思ったばかりで笑えます。近々で二度思った上にここでも出てきた。イライラを見てるんだな〜私は〜とやってみたらすぐに違う感情を見てる自分を見て楽でした。ここ2.3年で努力家をやめました。我慢もしないようにしてます。自分しか考えてないのくだりをもう少し教えて頂けたら幸いです。自分を大事にしていなかったのは自分だと気づけた2.3年でしたので気になりました。
Mさん
少し話をしよう
少年がいた
彼はモテたかった
街で通り過ぎる女の子を
いつも意識していた
どんな髪型で
どんなファッションをすれば
受け入れてもらえるのか
どうすればかっこいいと
思ってもらえるのか
そんなとき
ある男の人を見た
少年よりも少し年上で
人生経験も自分よりもあるようだった
その人には
少年が求めているものが備わっていた
いつも多くの女の子と歩いていた
わいわい会話をしていた
すべてが自然だった
彼の廻りの空気はキラキラしていて
楽しそうだった
完全に憧れの的となった
目標とするべき対象
少年は努力をした
彼のようになりたい
必死で追いつこうとした
そうして
髪型、ファッションなど
彼と同じ価値観を得た
言動も真似るようにした
そうして態度そのものが
彼のようになった
鏡に映るその姿は
もはや「彼」だった
少年は意気揚々と街を歩いた
だが呆然としてしまう
ショーウインドウのガラスに映る姿は
確かに「彼」のようだが
映っていないときは
以前と変わらない自分に戻っている
何かが足りない
「彼」にある、何かが足りない
このままじゃ同じだ
どうやったらモテるのか
まったくわからなくなった
何度も何度もトライした
だが一向に見えないその何かを
つかみ取ることはできなかった
そうして髪型をやめた
服を捨てた
もうどうでもよくなった
それが何の力も持たないことに
気が付いたのだ
このばからしさを忘れないように
この黒い石の指輪だけはとっておこう
そうして「彼」は
自然であるよう心掛けて日々を送ることにした
それから数年後
とある中学生の坊主が
街で見かけたカッコイイ兄ちゃんに
憧れの眼差しを持った
女の子たちに囲まれ
なんだか楽しそうだ
自分もああなりたい
女の子と関わるときは
いつも意識してしまう
でもその兄ちゃんはごく自然に関わっていた
自分もいつかああなりたい
引き込まれそうな
兄ちゃんの指に光る黒い石
坊主は完全に魅了された
すべてがクールだった
この話であなたが掴むべきところは
自分と世界の在り方だ
誰もが間違える
自分が世界を生きていると錯覚する
その観念がある限り
いつも追い続け
そして何も得ることはない
世界に理不尽を受け
そして不幸に染まる
だが自然という境地に溶けるとき
あなたは消える
そこに残るもの
それだ
返信ありがとうございます。自然って難しいですね。なんかこのブログを読むようになって楽に感じられる時間が作れるようになりました。今日思い立って夕方4時から海に向かってみました。海が好きだから。なんとなく頭に浮かんだから。それに従ってみた。これが自然ということ?都内から近い。私は確かに自然じゃなかった。いつも頑張っちゃって。
でも海を見ながら1人でご飯を食べてたら返信に気がついて、ただ海に来た事はすごく良かったと思いました。ただ、頂いたコメントは難しい。
Mさん
何かを望む限り
満たされることはない
これまでの人生を振り返ってみなさい
そして
いまなぜそのようになっているのかを
考えみることだ
どこかで何かを
錯覚しているのだよ
そもそもここは
あなただけのオープンワールドだった
何をしてもいいし
好きなやり方をやれる
それはいまも同じはずだ
だがハートが違う
この世に生を受けたときと
いまは同じ状況にあるはずなのに
その自由が
あなたにとって迷いの種となっている
あなたは安心がほしい
確固たる道がほしい
自由なその世界で
あなたは鎖を求めている
何かを望む限り満たされることはない。確かにそんな気がします。出来る分野と望みの捨て方が分からなくなる分野があります。捨てよう、諦めようとしてしまいます。大きな出来事がないと本当の意味で諦めて来なかった。だからジェットコースターになってしまうのでしょうか。良い時は望んでる状態じゃなかったのでしょうか。違いが掴めません。諦める前に起こる出来事がキツ過ぎます。もう出来事の前に諦める事ができたらと思います。
振り返ってみても、諦めた時から楽になっていく。
友人に今までの悩みが大き過ぎて、ハタから見たら良い状態でも悩みが無い状態が分からなくなっていると言われました。確かに今は大きな悩みじゃない。なのに停滞してるように感じて打破しようとしてる。停滞しててもいいやと思う事にしてみたり、打破したくてもがいてる自分が居たり。自由な世界で私は鎖を求めているとは、私は自由の中に悩みを求めていた?今まで自然じゃなさ過ぎて自然な状態が思い出せない。なんか書いてて同じ事言ってる気がしてきました。支離滅裂ですみません。
最近、すごくコメントが多いですね。
他の方のコメントもそれに対する自分さんのお返事も気付きの助けになるので大変ありがたいです。
涅槃の書の一番の上に書いてある
「あなたはあなたの中で生きている」
という一文
いつもは納得したつもりでスルーしていたのですが、やっと少し理解しました。
自分は自分の中で生きているから見るものが見られるもの。今見ているもので言うと、電気の光、布団の手触り、蛙の大合唱、扇風機の風の涼しさ、それらに包まれる心地よさが自分。視覚聴覚触覚で感じているもの、そこから生まれた心地よいという印象が自分。感じている自分がいる訳ではないということかと。
>自然という境地に溶けるとき
あなたは消える
そこに残るもの
それだ
じゃあ、マインドって何なんでしょうか。自分の中で自分を見ているのに自分が世界を生きていると思っている。マインドの存在だけが浮いているように感じます。