自信を持つ方法
人間関係、恋愛やらビジネス
そこに苦悩があるときの心情とは
「自信がない」となる
自分がもっと才能があったら
自分がもっと金持ちだったら
自分がもっと美しかったら
と、そのように考えている
まあつまり、それらが「ない」から
あなたは理不尽を感じているわけだ
ルックスも生まれた家系も
あなたが選べるものではなかったのだからね
親がもっとまともな人間だったら
体がもっと健康だったら
言い出せばきりがない
だからいつもあなたは怯えている
窮地に立たされるとき
自ら窮地に立つとき
あなたは自信を失っている
今回はそんな話をしよう
自信
さて自信とはなんだろう
ある状況下で自身を見失わないこと?
心が弱くならないということ?
誰もが人生という壁にぶち当たる
その時、自分の弱さを知る
「なんと自分は非力なのだろう」
「なんと自分は小さい存在なのだろう」
「あの人はあんなに凄い」
「自分では歯が立たない」
そうして人は自分を磨く
知識や技術といったスキルを備える
資格やら役職やらの肩書きを求める
そうして自己のレベルアップを試みる
それは結構なことだ
人生が広がりを見せる
だが劣等感を払拭する為の「目的」ならば
あなたは一生、
その「自信」とやらを得ることはない
では自信が揺るがされる状況、
すなわち「窮地」をイメージしてみなさい
「世界の中にあなたがいる」ということだよ
明日はピアノの発表会としよう
練習はしてきた
だが発表会場を思うだけで体が震える
心臓が飛び出そうになる
そんなときのあなたの自信とは
- 練習を重ねた個人的な技量
- ポジティブシンキング
- 他の演奏者が下手だったときの優越
それらのカードが揃うとき
あなたは自信を手にするとしている
逆にいえば3つのどれかが欠ければ
あなたは自信喪失となる
くだらないと思わないかね
明日の発表会
まあオシャレさんばかりが集うカフェに
偶然入ってしまったときでもいい
さあどうやって打ち勝とう
どうやって己を確立しようか
くだらない
あなたに一体どれだけの力があるのかね?
自分 vs 世界
1 対 1000億以上(無限)
勝ち目があると思っているのかね
「自信」とは自分を信じるだって?
そんなペテンに騙されちゃいけないよ
覚えておきなさい
日本語で解釈するなら
自信の自とは「自分」のことじゃない
自信の自とは「自然」の自だ
自然、すなわち「世界」を信じること
それが自信となる
あなたが窮地にいる
なぜ足が震えるのかといえば
世界を相手に自分を立てようとしているからだ
そうじゃない
信じる先を誤っている
まったく逆だよ
自信に満ちた人を見なさい
彼らは世界の中でのちっぽけな自分自身なんか
信じちゃいない
そこにある料理
そこにある人々
そこにある噂話
そこにある気温
そこにあるネガティブ
そういうものを味わっている
そういうものを完璧に信じている
自分なんて見向きもせず
自分以外を全身全霊で味わっているのだ
どこかの王が釈迦に使いを出した
それは一刻を争う事態
王は釈尊を早急ならがも丁重にお迎えできるよう
最高の機動力を誇る白馬と
最高の乗り心地のキャビンを用意した
現代でいうところの
ファントムドロップヘッド
砂煙を上げてシルクロードを疾走する馬車
その光景を見た人々はいう
「釈尊の横顔を見た」
「なんとも自信に溢れた御尊顔だった!」
彼らは間違えている
釈迦は自分を信じているのではない
彼はロールスのシートの感触に
「実によろしい」
そう思っていただけだ
つまり世界を信じていたところ
その満足な横顔を「自信に満ちた顔」という
自分というものを世界から孤立させちゃいけない
勝ち目はない
そもそも自分なんていないのだ
そんなものを信じようとするから
自信喪失となる
いないものを信じていたのだから当たり前のこと
明日のピアノの発表会
信じるのはその光景だ
目の前のピアノ、その音色や鍵盤の感触
ステージ、スポットライト、そして観客
それらを味わいなさい
そこにあるものを受け入れなさい
あなたはいない
世界があなたなのだ
1000億 対 1
そんな分離なんて作る必要もない
あなたは「1000億1」というひとつの統合体
数を隔てるものじゃない
世界の中に自分をいさせてはならない
自分を作り出すとき
あなたは自信を失う
それはつまり世界が自分だったのに
そうじゃなくなったということだ
そりゃ怖い
そりゃ震える
オシャレさんが集うカフェに入ったら
ただその光景があるだけだ
なぜあなたは「自分は負けている」とするのかね
自分を作り出さないことだよ
そこには勝ちも負けもなく
自信を持つとかの次元もない
そこに世界だけがある
世界は自然に動いている
その動きだけを見ていればいい
それを味わえばいい
その自然現象を信じること
もはや当たり前過ぎて信じるもなにもない
あなたが日頃何気なく感じていること
それが「自信」だよ
Notes あなたの世界, 世界, 世界を変える, 充実感, 幸せになる, 生き方
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この世界では悪いことは起きないと信じたらいいということですか?
我ながら陳腐な質問ですが
>>罪悪感さん
よろしい
その質問はあなたの言うとおり、
とても陳腐だ
「悪いことは起きない」とするのは誰だい?
その誰かさんがいなければ
悪いことなど最初からないのではないかね?
悪いことと言われるものを作るのがエゴ?
>>罪悪感さん
違う
そのように疑問したり質問したりするものがエゴだ
疑問の中身ではないよ
スピリチュアルを信望する人々は
ある壁に必ず当たるようになる
それは
「エゴを考えているのもエゴならばどこに解決があるのだろう」
その堂々巡りにはまってしまう
いいかい
それは疑問の内容を捉えているからだ
そうじゃなく
「エゴを考えているのもエゴならばどこに解決があるのだろう」が
そこに「起こっている」のだよ
エゴとはそこに置いてあるものだ
中に入るものではない
世界を信じる・・・
昨日、今に在れたおかげで未然に防げた事があったのですが
小2の娘がいつも遊んでる子にソフトなかつあげをされかかってたんですけど
微かな小銭の音に気付けたので出掛ける前になんとかなったんですが
なんだか・・・世界から試された感があって
「気付けたらセーフだよ?」的な?
(・・・気のせいでしょうけどw)
そんなわけで今はちょっと世界を信じる気分になれないんですが
でも、
相手のお宅に話に行ったり、戻ってからは注意して貯金箱を没収したりで
娘にとっては思いもよらない展開だったんでしょう
泣いてしまって「頭がすごく重い」と言ってたんですが
そのうち「ママ、音に気付いたんだね」と、そのことに関心を持ちだして
「忍者のアニメでもそういうのあった、天井裏の音に気付いたから助かってた」
とのことで
しばらく一緒に忍者ごっこw(周囲の音を聞く)をしたのですが、
「なにこれ、すごく頭が軽くなってスッキリしてきた!」と喜んでいました
いつも何か面白いこと言って友達を喜ばせないと、と
学校に行っても常に頭が忙しかったそうです
これからも周囲の音を聞く、と言っています
あと私に、「私はいつも被害にあう」という観念があるから、こういうことが起こってくるのかな、と気付けましたし
うーん、結果的には良かったのな・・・
でも、今に在ることに興味を持ち始めた娘の様子も、壁の落書きなんですよね?
あ、ダメだ、また訳がわからなくなって・・・
戻ります 笑
遅い時間に変な報告ですみません
いつもありがとうございます
>>りおさん
いいかい、
世界はただ流れている
だから昨日のその出来事
そして娘さん
さらにその相手の子、親
それぞれはひとつの流れの中にいる
こう書けば違和感が起こるだろうが
娘さんも、その相手の子も
1つの同じ存在なのだよ
忍者ごっこもそう
その遊びと娘さんも同じ存在だ
ただひとつの「それ」があり
あなたが見る限りは
「我が子」「相手の子」「忍者ごっこ」「相手の親」
「事件」「貯金箱」などに分かれている
もしあなたが全く知らない街の
全く知らない親子とその知人との間でなにやら出来事あったら
すべてをひとつのものとして見るはずだ
なぜならばそこに個別の思い入れがないからだよ
個別の思い入れを生まないとき
抽象的な概念となる
つまりあなたは自分の子への思いが前提にある
そのおかげでどんどんフォーカスされていき
細かな要素が具体性を生み出していく
だから悩むところも多くなる
娘さんの気持ち
今後の対策
相手の子に対する感情
その親とのやりとり
だが視点をひとつ上昇させれば
何も事件は起こっていないこととなる
あなたの体内では毎秒数千万もの細胞が死に
そして同等の数が生まれている
そこに意識を向ければ大変な光景となる
だが日頃そんなことに目は向けない
あなたは普通に行動し暮らしている
それがひとつ上の次元、
つまりひとつ上の視点となる
そこでは毎秒数千万の死滅など
起こっていない
あなたが意識をフォーカスさせない限り
それは起こっていないのだよ
今回の事件
あなたは我が子の話だから当然心配になった
だから起こした行動は正しい
そしてそれは過ぎていった
だから「もう終わったこと」だと認識しなさい
「冷凍庫のアイスはもう食べた
だからいまはない」
それと同じこと
だが「もしかしたらアイスはあるかもしれない」と
思い続ける限り
あなたはその思いに苦しむことになる
アイスは食べたからもうないのだ
昨夜の事件は終わった
もう、ないものだ
事件を引き摺ってはならない
目の前にない出来事を妄想するとき
それは巨大に膨れあがっていく
子育ての基本は
いかに自分を持たないか、だ
自分以外のすべて
つまり子を含めたその世界を
流れるがままにさせる
あなたが自分の主張を固持するほど
世界は流れなくなる
だからといって
我慢してこらえるというのは違う
それはストレスが溜まるだけだ
そうではなく
子宮に子が宿ったときのように
ただ自然に起こるがままを眺めていなさい
すべては神秘だ
子を宿すことも
昨日の事件も
すべてが不思議なことばかりなのだよ
お返事ありがとうございます
正直なところ、「流れをせき止める自分の主張」というのがどれになるのか自分でもよくわからずにいたのですが、
「あーめんどくさい、何でこんなことになるの?」←これだ、と気付けました
GWに入る前日の出来事だったので間があきましたが、
担任の先生に報告して終わらせたいと思います
私の両親も「学校に言わないとダメだ」と言っていますし、
家庭訪問の時に担任の先生から「〇〇ちゃんは優しくて面倒見がよい子なので、心配な子(相手の子の名前が出ました)のお世話をお願いしているんですよ」
と言われたので、それはもう無理なので断らないといけません
自分さんが仰るとおり悩みどころが多くて、学校に報告となると気分が重いのですが、これも流れのうちのようなので行ってきます
またまたフォーカスしまくってすみません
後は静かに眺めたいと思います
ありがとうございました
>>りおさん
もしその一連の現実から
「あなた」がいなければどうなっているかな?
もちろんその視界はある
その光景はある
だが「思考するあなた」がいない、としてみなさい
ただ流れるままを見ているだけとなる
そこに「面倒だ」とか「気が重い」だとかは消える
自分自身という幻想を見破る法は無数にあるが
あなたなりのものを見つけることが大事だよ
まあ人生に於ける「面倒事」とは
後になれば笑い話だ
何事も気楽に捉えなさい
すべてあなたの中のお話なのでね
たまたまこの視点を使って観ているだけ?
ともすれば見たいものが見えないという禅問答のような問いにも納得が行く気がします
微睡んでいる状態ですみません
ここにいる皆がわかる時と僕がわかる時は一緒のような気がします。
>>ボンベロさん
>ここにいる皆がわかる時と僕がわかる時は
>一緒のような気がします。
その深い洞察をこれからも大切にしなさい
その通りだよ
こう言う仕事がしたいとかこう言う生活がしたいと言うのが前提にあるのですが、それが世界を流れさせなくしている苦しみの元なんでしょうか?
>>鯤さん
逆に捉えれば良い
「私はなぜ、こういう生活や仕事をしたいのだろう?」
それは現状を受け入れていないからだ
つまり世界とあなたが
水と油の関係になっている
互いに反発し合う
だからあなたは「こういう生活がしてみたいな」と思うようになる
じゃあその「こういう生活」とはどんなものだろう?
それはとても気楽で、楽しく、軽く、負担や不安のないもの、
そうではないかね?
それは世界に溶けているということだ
自分というエゴが消えているということだよ
つまり求めて得るものではなく
あなた自身がどうあるか、だけのことだ
今すぐそこでできるのではないかね?
自分さんの文章を読んでアドラー心理学を思い出しました。マインドが優位になってしまいますが。
アドラー心理学も、自分よりも世界(共同体感覚)を優先せよと言う教えだったかと思います。
一方、私は、職場で、自分のことばかり考えています。
アドラー心理学や涅槃の書がよぎりますが、仕事中は、ああ早く家に帰って一人になりたいと思っています。
とにかく、人から離れて、一人で思索したり、物を作ったり、本を読んだりしている時に幸福を感じます。
かといって人嫌いでも無いのですが、集団での作業に苦しみを感じます。
世界を信じるの中には、このような己のあり方も、出来事として淡々と受け入れていくと言うことも含まれるのではないかと思います。
マインドが考える己は外交的で社交的な人なのですが、実際、そこにいるのは内向的な性格の人で、全然周りが見えてない。
善い悪い抜きに、どういう因縁で成立したかはさておき、そのようなキャラが眼前にある。
>>鯤さん
>そのようなキャラが眼前にある。
よろしい
あなたは「自分自身」というキャラクターを
知っているようだ
多くの人はそれすらも見えていない
あなたの場合
その自分というキャラを知っているはいいが
じゃあ「どういう別のキャラを立てればいいのか」という
疑問に陥っているのだろう
そうではないよ
キャラクターは必要ない
その世界が起こるがままに認めればいいのだ
そこにあなたの出番はない
仕事中、それはあなたの中で「自分自身」がいるから
疲れてしまう
それを捨てなさい
別の自分を作る必要もない
ただ世の中が流れるがままでいいのだ
そこにあなたの幸福がある
あなたが人から離れているとき
そこで一体何が起こっている?
世界をただ認めているのではないのかね
そもそも、なぜこの自分なのでしょう。 なぜ白人ではなく日本人に生まれたのか? なぜ女性ではなく男として生まれたのか?
生まれ落ちた時には自分などいなかったはずが 、名前とか容姿とか環境とか他者のすり込みとかにより見事なまでに幻の自分(エゴ)を作りあげます。
世界に全託していたはずが、いつの間にかエゴが世界を支配し始めます
、そうしていつの間にかエゴに翻弄され始めます。
エゴは単に人生の方向付け程度に思えれば良いのではないでしょうか。
ラーマ クリシュナの言葉で“世界は神、自分は神のエレメント”という言葉がありますが真にそう思えるなら
この自分など
>>Mさん
あなたは大いなる勘違いをしている
どこに、
白人ではなく日本人で、女性ではなく男のあなたがいるのだろう?
あなたが思い込んでいるだけだよ
あなたはいない
その世界で唯一、存在しないのは
あなただ
なぜならば
すべての他者、すべての物事、
それらはあなたの中にあるものであり
あなたは誰かが前を向いて話していることを
「自分に話しかけている」とする
眠っているときの夢が良い例となる
夢は自分が登場しない
あるのは「光景」だけだ
昼間も同じだよ
すいません書きかけで送信してしまいました。
全ては神と思えるなら、この自分など何処かに消え去ってしまうのです
。
全てに満たされたどうでも良い世界をただ眺めているだけになるのではないでしょうか。
>>Mさん
神はあなたなのだから
当然、ありもしない「自分」は消える
「どうでも良い」とは概念だ
あなたが世界そのものに戻るとき
すべての概念は失われる
つまり、何かが「猛烈に沸き起こる状態」だけがある
世界が逆転する前(目の前の世界がオリジナル、つまり眼球への刺激と理解する前)は、なぜこの自分?と考える事でエゴを浮き彫りにする事ができました。
自分があるという視点から自分などいないという気づきに至るまでは、
どうしてもエゴの正体を掴まなければなりませんでした。
どうでも良い世界とは全てがオッケーという事、絶対の安心の中での
何が起きても、右でも左でもどちらでも良いという事です。
いろいろ言葉足らずですいません。
ありがとうございました。
>>Mさん
あなたの話していることは
すべてその通りだ
だが最後にひとつ
この涅槃の書の著者である、私は実在するのかね?
あなたは誰に礼を言うのだろう
それはあなた自身なのだよ
ありがとうございます、今はもう気持ちが楽です
>あなたなりのものを見つけることが大事だよ
ありがとうございます
本当にいつも見透かされてるみたいです
思考と感情を見つめるっていうのが出来るようになってきて
でも音を聞くのもいいし
身体を意識するのでもいいし
どうしようかな、と思ってたところです
ハッキリした思考でも、見つめてたら途中で千切れるように消えるので面白いですね
でもまたすぐにポコポコ出てくるのでモグラ叩きみたいになりますが
ありがとうございました
>>りおさん
思考はね
そこに置いてある雑誌と同じだよ
あなたはその雑誌を読んでいる
その内容を自分のことだと思っている
あなたがそれを「内容」とせず
「雑誌」として受け取るとき
思考に惑わされることはない
雑誌ですか
それ、すごく怖いです
学校に行ってきましたが、心配していたようなことにはなりませんでした
相手の子も身体を90度曲げて娘に謝ってきたそうです
とりあえず落ち着きました、お騒がせしてすみませんでした
早く悟らないといけない、と、焦りが出てきたのを見つめています
ありがとうございました
>>りおさん
その場に漂ってくる思考のうち、
あなたがどれを選ぼうとも
流れは流れのままに起きていく
あなたが思考や感情、
その場の何かなど
何にしても「同化」をしない限りは
すべてはクリーンに流れていく
だから同化をしないことだ
同化とは「自分という存在」の出現のことだよ
ラメッシ・バルセカールの本を読んでました。「全てはあなたの精神肉体機構から起こるべくして、起きていることなのだ。」
と言う一文が印象的です。仕事があるのに、全く眠れない。これも運命なのかなと観念することにしました。