ヴァニシング

朝起きていつもの部屋の光景がある
顔を洗って歯を磨いて
キッチンで朝食を作ったりと支度をする

街を歩く
今日も多くの人々が行き交っている
信号が青や赤にかわり
車や自転車が横切っていく
春の匂いに乗って今年一番目の蝶を見た

あなたが体験している日々の事実がある
そこには「あなた」と「体験」がある

人は自我というものを
いつの間にやら備えてしまう
そうして大きな勘違いが起こる

私が街を歩いているのだ、とね

そうじゃないよ
「あなた」とは街の方だ
朝や部屋があなただ
洗うこと、歯、キッチン、
それらが正真正銘のあなたななのだよ

こういう話を聞くと
あなたは疑問が溢れてくる

「私以外が『私』ならば、
通行人も蝶もそうなるよね?」

「そんなの私が自在にコントロール
できないじゃないか」

その通り

だがあなたが自分だと思っているその肉体
血液の流れや心臓、髪や爪
それすらもコントロールできない
指の動きですら
あなたがいくら念じても動かない

あなたはただ見ているだけなのだ

その思考ですら
あなたが考案しているものでもなく
ただどこからか流れてきたもの
それをあなたは眺めている

ずっと眺めている

何が?
あなたがだよ

あなたとは何だっけ?

眺められているものだ

 


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