「つまらない人生」をやめる

「自分はあの人よりもたくさんの楽しみを知っている。いろんな娯楽も持っているし趣味も多い。だから私はあの人のような”つまらない人生“ではない。私のほうが人生は充実してるのは間違いないのだから」

と考えているなら、それは大きく間違えている。

人間の傾向として、いろいろ出来てしまうほど何も手につかなくなってしまうからだ。そこから虚無感につながり、人生の意義を見失うだけでなく、たとえば夫婦仲なんかも冷え切ったままとなる。

だから知識や持ち物が少ない人が貧しいのではなく、むしろ多くを持つ人ほど生は輝きを失ってしまうことになる。

与えられた世界

「楽しみをたくさん知るあなた」の頭のなかといえば、いつも混沌としているだろう。

特にいまの時代は至る所から情報が流れ込んでくるゆえ、常に他のことが気になっている。そのため取り組んでいることにいつも実感が伴なわない。まして何かを最後までやり遂げるなんてことは滅多にない。

これだと思うものをみつけたとしてもその高ぶりは最初だけで、いまいち深く潜り込めず、情熱を燃やすまでには至らないわけだ。

たしかに「さあどうぞ、これで楽しんでください!」と社会は手を広げていくらでも差し出してくる。

だが楽しめといわれて楽しむことほど難しいものはないんだ。そうして楽しんでいる己はひとつの演技に力を貸しているのであって、本当はただ疲れ果てているだけなのだよ。

そんな調子で月日だけが流れていく。来月も来年の今頃も何も実ることなく、いまと同じように苦悶していることになる。

つまり溢れかえるほどに”持ち物”が多いと「その表面をなぞっているだけ」となってしまうわけだね。

何を手にしても、どのような恋人が現れても、虚しさと疲れに襲われるばかりで、しかしそれを失ったときは後悔や物惜しさに打ちのめされることになる。

「書かれていないもの」をみつける

ではそのような「つまらない人生」を送らないためには、どう向き合えばよいのだろうか。

全文をお読みいただくにはご入会後にログインしてください。数千本の記事を自由にご覧いただけます。→ . またご入会や入会の詳しい内容はこちらから確認できます→ ご入会はこちらから


Notes , , , , ,

コメント・質疑応答

  関連記事

流れるように生きる
神が姿を現すとき
フィクションの世界(2)
やつらがやって来る
循環の法則
良いところは悪いところの後ろに隠れてる
アセンション
謹賀新年
-->