反対同士ではないもの

人の温もりが感じられるのは
あなたが世間の冷たさを知ってるからだ

だからあまりに”冷え”すぎて
たとえば買い物に寄ったお店で
そこの店員のちょっとした心遣いに
涙が出そうになったりとか
そんな覚えがあるかもしれないね

私は山ほどあるよ

だが世間の冷たさとは
自らが創り出しているのだと気づいてからは
それまで温もりと思えていたものが
嬉しさや喜びへと変化した

「この世がある」ということへのね

 

現実は反対同士でできてる

さてそこに今回のテーマがあるのだけども

冷たいものがあるから
温かいものがある

この対極同士の関係は
互いに行ったり来たりする

つまり人の温もりが感じられるほど
人の冷たさも感じやすく傷つきやすい

別の例なら
いろんなことに楽ばかりしてると
いろんなことが苦となるのも同じ

そうしていろんなことが苦だからこそ
楽をしたくなるわけで
この両極を行き来してる限りは
そこから抜け出せることはない

「楽ができた」と満悦してるのは
結局は苦しみの人生なんだ

人の温もりがたくさん感じられるのは
もちろん素敵なことだけども
それもやはり寂しい人生だからこそでもある

孤独な人が
素晴らしい詩や絵画を残すのは
まさにそうであるからで

その人は辛い人生だからこそ
幸せは「とても大きなもの」だった

そう、幸せと不幸もまた
表裏一体の関係にあるわけだね

 

反対同士ではないもの

だから温もりや幸せや安楽を
私たちは求めるが
しかしそれを求めるだけ
その反対のものに足をつけていることになる

じゃあ上で話したように
温もりとして感じていたものが
私のなかで嬉しさや喜びに変わったというのは

その反対のもの
つまり退屈やつまらなさに
取り囲まれてるのかといえばそれは違うんだ

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