この世を理解するということ
煩悩がなくなるとか
光明や悟りが開くという言葉に
どこか「世捨て人」みたいなイメージを
持っていたりしないかな
たとえば
世俗で普通に暮らしてるようではならず
まるで感情がないような
不動の存在でなければならない
そのようになれてはじめて
自分は苦を捨てられるのだとね
だがそれはまったく誤っていることになる
むしろそのような
「悟りとはこうでなければならない」といった
先入観が自分や他人を採点づけてしまうことになり
結局はますます”煩悩の深み”に
はまり込んでいくことになる
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いいかい、煩悩を脱するとは
別にベジタリアンでなければならないとか
高級な持ち物を所有してはいけないとか
さらにいえば江戸までの日本仏教のように
女性は悟れないとか
男性は妻帯者であってはならないとか
そういうことじゃないんだ
(そもそも女人五障は釈迦の教えではない)
好きなことをやってればいいし
ほしいものを手にすればいい
家族と喧嘩をしてもいいし
物事がうまくいったときは
抱き合いながら喜んでもいいんだ
ただしひとつだけ心に留めておくことがある
それはなにかといえば
現世を信じ込んでいるかぎり
この現世そのものを理解することはできない
ということだ
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Notes あなたの世界, 世界, 奇跡, 悟り, 生きる意味, 真実, 苦悩, 観念
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