涅槃の紙 vol.7

あなたがなぜ人間関係に疲れたり
うまく行かなかったりするのか、
それは他者に対する「気遣い」の意味を
取り違えているからだ

考えてみればすぐにわかる
その「他者への配慮」は
本当に他者のためにやっているのかね?

自己保身のため
あなたは偽善者となっている

なぜ人と言い争うのか
なぜ理不尽を感じるのか
すべて自己保身がベースにあるからだ

「いい人」を演じるとき
あなたの内側は空っぽになっている
それは深い闇となる
外を飛び交ういろいろな思念が
いくらでも入り込んでくる

だからいいかい

「”いい人”であらなければならない」
という誤った観念を捨て去ることだ

あなたがいい人であろうとするほど
その顔は醜く歪んでいる
不自然なその様子に
どんどん疲れが増していく

覚えておくことだ
自己保身とは自己否定のことだよ
自分自身を否定するゆえ
すべてを見失う

だがあなたはやめない
1+1は2だと常に提示し
自分は正しい人間だと表明を続ける

だから衝突が起こる
それはあなたが「正しい」からだ

意識は完全に外向きとなり
いつも他人の顔色を窺っている
社会の答えと自分の答えの相違点から
また理不尽を作り出す
そんなことだから
まったく人生が楽しくない
どこにも「自分自身」がいないのだからね

何が正しいとか間違っているだとか
答えはこうだとか
そういうことを考えるのはやめなさい

その真逆であることだ
自己保身はあなたは身構えさせる
いつも弱気にさせる

オドオドしたその弱さは
あなた固有の性格ではない
顔を隠すベールのようなものだ
だからそれを取り払うだけでいい

常に強気でありなさい

あなたが自分から生きていくとき
その内側はとても明るく灯される

自分勝手な人々がこれまでなぜ
「自分勝手に見えていたのか」
その理由がわかるようになる

あなたが自分自身でなかったからだ
気を遣うような生き方をするから
人々が”そのように見えていた”だけのだよ

だが、
「他人を傷付てもいい」
「自己中に生きていい」
なんて話じゃない

そんなことを意識している時点で
あなたの中は他者でいっぱいだ
つまり何も変わっていない

単にあなたが強くあればいいのだよ
要は他者などを基準とせず
自分自身がそこにあればいいのだ

他者はみんな自分らしくやってる
草花も野良猫も
みんな自分らしくやってる

あとはあなただけだ

その顔を覆うベールを投げ捨てなさい
誰かのために何かをやるなら
強気の姿勢でそれをやりなさい
それが「見失わないコツ」だ

 

 

 

 

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  1. ONEPOINT より:

    今回の涅槃の紙はまさに私にうってつけです。
    しかし強気の姿勢というとどうしても相手を打ち負かすという発想になってしまいます。
    ベールをもっと脱ぎ捨てる必要があるのかもしれません。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      相手を意識してはならないよ。そこに誰がいようとも自己の存在を貫くことだ。地面にめり込むほどに、そして天に突き上がるほどに、そこに存在しなさい。

      その到達はすぐに体感できる。視界からモヤが落ちた感じが起こる。そして光景はとても明るくなるだろう。

  2. Aslan より:

    だけど、涅槃さんは、この上なく「いい人」だよね。やさしいしね。
    でも口調は命令調だね。
    リアルでも、そんな感じなんですか?

    • -自分- 涅槃 より:

      Aslanさん

      あなたの中での私がどういう存在であるかは、私は知ることができない。そしてそれは私ではない。

      このコメントを「あなたが読んでいる」のだよ。私が書いているのではない。

  3. パイナップル より:

    なんだ、これだけはいつもできてるわ。
    いい人なんて演じない。だって嘘だから。
    いい人を演じたら他人に好かれるけと、自分自身が嫌いになる。自分さんも書いていたけど嘘だからだ。

    • -自分- 涅槃 より:

      パイナップルさん

      無論、偽りの自分をやめることが苦悩を消滅させる。だが取り違えてはならないよ。

      他者を払いのけるために「いい人をやめる」のではない。他者を無抵抗に受け入れるために、いい人であろうとしないことだ。つまり他者を意識から外し、完全に独立した存在になりなさい。

      そのとき、あなたは他者が自分と同等の存在であることに気付くだろう。無論他者はおらず、すべて自分だからだよ。

  4. komatta より:

    偽善者は認めるけど、善悪っていうより感受性から動かされてる気がするし、かなりあつかましい面あるので今回は当てはまりませんね。

    1+1=2は最近は2進数計算のほうが多かったから
    1+1=2というより「0」や「10」のほうが浮かぶ方が多くなりました。

    唯識にも3つの私が登場する。三位一体、父と子と精霊と、キリスト教にも。9識いがいに6神一体や
    9神一体など。3大宗教も皆同じようなことを。
    私は在るは真我もヤハ○ェも。牛頭天皇。牛も。
    宗教よりエジプト神話が面白い
    http://www.nexyzbb.ne.jp/~aya_suke_ka/mi-ra/mi-myth.htm

    深く考えすぎというより皆、同じこといってて固有名詞変えてるだけで中身同じじゃんとか。
    自分さんは相反することを語る。アイディティティを守れと言ったり壊せと言ったり。
    限りなく優しく感じられたと思うと、絶望しか浮かばないような恐ろしい事もたまに語る。
    そう見えてるだけとしても。
    だからたまに神様っぽく見えてしまいます。
    その時の内容より雰囲気から。
    だから予想もせず全く違うこと考えてても、
    たまらなく怖い時があります。

    • komatta より:

      唯識と釈迦とハーバードとマサチューセッツ工科大学が繋がった時はもう笑うしかなかった。
      投げやりな感覚さえある。

  5. komatta より:

    馬鹿やアホって言葉に反応することはなくなった。幼稚と自らをわざわざ上にすることもなくノイズのように聞き流せるようになった。

    だけど重力は先に理論で重力を教育されて重力に縛られるようになったわけではない。子供の頃、何でもできると思って飛ぼうとしてこけて怪我したという経験から後に重力というものを習った。

    善悪じゃなく赤ん坊でも、事故で落としてしまったら、火が付いたように泣き叫ぶ。それはもう生まれ持った感覚で火は熱いと同じでしょうから。危険を避けたり善悪でなく怖いものは怖いから身構えるは自然ではないのでしょうか。
    もし人に気を遣ういい人仮面の人がいても性格的に争うのが好きじゃないんだろうなくらいで善悪の為とか、好かれるためにやってるのかなあと…。そういう性格の人なのだで終わらせたらダメなのですかね。

    反論というより常に「疑問」なのですが解消しないほうがいいということは、もやもやしたまま、気分がかわるような出来事が起こるまで沈黙して待ってればいいというお話なのか。
    真理に近づくほど「死」の話が多くなる。
    死を超える。死を連れて歩くなど。
    常に天国も冥界もそこに連れ歩いてると。
    だからこそ深いけど、だからこそ怖すぎて構えすぎてしまう面もあります。

コメント・質疑応答

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