涅槃の紙 vo.12

手放しという言葉があるね

みんな手放すために
大変な努力をしているように見える

憎いあの人を忘れなきゃ、
許さなきゃ、
そんな具合にしっかり掴んでいる

お金が欲しい?
「金儲けという頭を離さないとだめだ」
「そうないと成功できない」

完全に間違えている
そういう事ではないのだよ

求めないとか
期待しないとか
何もしないとか

それはどういうかといえば
意識をここに置くということだ

今朝の記事でも書いたがね
「自分のことをやる」というのも同じ

意識の置き場はあちら側ではない
あなたの側だということだ
どこで何をしようが
誰と関わろうが
心は常にホームグラウンドにあること
それが手放しだよ

あなたがそうやって
自分自身を取り戻したら
いくらでもぶっ飛べる
いくらでもクレイジーになれる
リスキーな人生を心から楽しめるようになる

一切の恐れは消滅し
新しい世界が目まぐるしく起こるようになる

あなたはいつも無人の城だった
生という無限の可能性を
ずっと見過ごしてきた
チャンスを逃し続けてきた

だからいいかい
意識の置き場はここ

何かの用事で意識を外に持ち出したら
ちゃんと元の場所に戻す癖をつけなさい

対人スキルも自己啓発もいらない
ポジティブメソッドも必要ない

いつもここに置いておけばいいのだよ

 

 

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  1. A より:

    自分さんお返事ありがとうございました。

    心は常にホームグラウンドにあること
    それが手放しだよ

    なんかヒントになりました。そうですね、ホームに居たためしがありませんでしたからしばらくトライします。
    意識の方向を内奥に向けるのですね。

    一文ですが唯識見るまでピンと来てませんでしたが一文なのですね。この方向をベースポジション?に癖つければ良いって感じでしょうか。
    困った時は内側見なさいよ、じゃなくて内側方向が基本ラインですよって感じ。

    ダイエット脳にするって感じで。腹を満たすんじゃなくて頭を満たせばそんなに食べなくて済む。質、雰囲気、食器等。満たす先のベースは頭。狙いは頭。
    だから、外を見るんじゃなくて内奥に意識が向いているスタンスがベース。狙いは内奥。

    独自の文面ですいません。レシピの覚え書き的な感覚で書いてしまいました。ご指摘あればお願い致します。

    • -自分- 涅槃 より:

      Aさん

      表現はそれぞれだから、あなたなりの理解があればオーケーだ。

      人生を最高のものにする方法とは、至ってシンプルなのだよ。心の向きが「外か、内か」だけのことだ。

      恋も仕事も、趣味も冒険も、あちらに気が取られていては楽しめないし、ただ相手に合わせるだけの作業となってしまう。

      だからと言って自己中やワガママになれという話じゃない。それもまた外側への反応なのだ。

      あなたの内から流れ出る気流に乗るだけでいい。この表現に理解が難しければ、とにかく意識を内に置いておくことだ。誰と話をしていても食器洗いをしていても、常にあなたの「ここ」に意識を置いておきなさい。

      やがて内側からの流れに乗っかっていることに気が付くだろう。あなたは誰の影響も受けないし、分け隔てなく世界に対応することができるようになる。

  2. mhayata より:

    「ここに置く」となるとどこかの場所を探す方が多いと思いますがあえて言うなら自分の身体で良いのでしょうか?

    例えば手足、心臓の鼓動、呼吸、鼓膜、眼球など直接体験していることを「観る」ということでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      mhayataさん

      「ここ」とは座標でいえばゼロのことだ。つまりあなたの見ているすべての現実は、その肉体を含めて、ゼロから見た相対的な関係にある。ゆえに肉体そのものではなく、肉体を”感じている側”となる。

      誰かと話をしているとき、相手や相手の会話内容ではなく「聞いているあなた」に意識を置きなさい。食器を洗っているなら食器や洗剤ではなく、手の感触を「感じているあなた」に意識を置く。

      そのように常に内側に在ることだ。これは習慣化が可能だから、いますぐにでも始めてみると良いだろう。

    • mhayata より:

      鼓動を感じる瞑想、眼球を観る瞑想等ありますが、それらとは違ったアプローチになるのでしょうか?

      その瞑想たちも「ここ」を感じる癖を付ける手段になるのでしょうか?

    • mhayata より:

      聞いている内容に注目するのでは無く聞いているものを探すような感じで早速実践してきました。

      勘違いかもしれませんが、そのまま聞き流す感じで「内容」に反応してないような気がします。
      今までのように一喜一憂せずに済んでいるような・・・

      しばらく続けてみます。

    • -自分- 涅槃 より:

      mhayataさん

      そうすべては内側に意識を向けるためのものだ。つまり外側を現実(リアル)にしないことだよ。

      現実はいくらでもリアリティを持たせることができる。つまり観ている側のさじ加減なのだよ。

      思考に掴まれると意識はどんどんそこに投入される。ガソリンの垂れ流し状態だ。やがてガス欠となるが、それは生命エネルギーの欠乏を意味する。それが日々の疲労感や空虚、惨めさ、絶望感などそういったダークネスの原因だ。

      >勘違いかもしれませんが、そのまま聞き流す感じで「内容」に反応してないような気がします。今までのように一喜一憂せずに済んでいるような・・・

      表現はそれぞれだから、あなたなりのものでいい。勘違いではないよ。目の前にいる人は実在しない。あなたが自分の中で作り上げた人物をそこに観ているのだ。ガス欠には注意しなさい。それだけでどこまでも自由に旅を進めることができる。

    • mhayata より:

      ありがとうございました。

      最後に質問です。

      五感を司るのは脳であると言われるので脳が見たり聞いたりするたまに思ってしまいます。

      見たり聞いたりするのは脳ではない理由を聞かせていただければと思います。

    • -自分- 涅槃 より:

      mhayataさん

      まず理由を求める時点で意味付けの世界から抜け出すことはできない。観念の枠の中だということだ。それを理解できるよう努めなさい。

      私から何かを聞いたり、何かの本を読んだりして得た「ああそうなのか」という納得は外側の蓄積でしかない。どんなことを知ったところで現状のレベルのままだということだよ。

      例えば野球ゲームの中で、新しい変化球を開発しようが、新素材のバットを使おうが、野球という手段に過ぎない。つまり野球を超えることはできない。あなたは知識を得るたびに「新しい瞑想法だ」「これで人生が変わる」と喜ぶかもしれないが、その「得ること」のお陰で、自分がずっと野球場の中にいるということに気付くことはできない。

      時折あなたは球場から青空を見上げて思う。「なんで何をやっても苦しい(野球)のだろう?」「なんだかおかしい。まるで苦しむため(野球をするため)に生まれてきたみたいだ」とね。

      私に「水が蒸発する仕組みを教えてくれ」と質問すれば、私はどこかで得てきた「水が蒸発する仕組み」をあなたに答えるだろう。「宇宙の法則について教えてくれ」と言われれば、私はどこかで得てきた「宇宙の法則」を答えるだろう。

      だがそれが一体なんだというのだろう? それが稚拙なことでも、どんなに崇高に思えることであろうとも、表面的なただのお遊びでしかない。

      だからいいかい、あなたは野球場を見下ろす視野が必要となる。その青空は野球場の一部ではないのだ。あなたが掴もうとしている「何か」はあなたの観念の外にあるのだ。

      それに気付くためには、自分が野球場(観念)に立っていることを知る必要がある。海で泳ぐ魚は海を知らない。知ることはできないのだ。最初からそこにいるからだ。彼らが海を知るときとは、それは海から離れたときなのだよ。

      いまあなたは私に質問をしている。そのことだけがいま起きている。それは事実だろう?

      いまあなたはこの文章を読んでいる、そのことだけがいま起きている。それは事実だろう?

      その「起きていること」だけをあなたが受け取るとき、すべてに理由や内容などなかったことを悟る。五感、脳、思考、それらはそこで漂っているものだ。それはあなたではない。

      あなたとは「そこで起きていること」なのだ。なぜならそれだけが事実だからだ。

      メールやコメント欄には毎日のように質問がくる。彼らは答えを求めてやってくる。だがいずれはそれを超えなければならない。問いは問いのままにあるということに気が付かなくてはならない。

      誰が問うているのか、なぜ問いがあるのか、それは「問いがそこにあるから」なのだ。それが究極なのだよ。

  3. OK より:

     ・・・ということは、つまり、「肉体や思考を観照しているもの、を鑑賞する」、ということなのでしょうか。

    「内に灯火を灯す」も、内なる「無意識」を観照して照らす、ということですよね。

    つまりは、まっさらなジブ自身であれば、それでいいと・・・そういうことなのでしょうか。

    ご教示お願いいたします。

    • -自分- 涅槃 より:

      OKさん

      あまり難しく捉えないことだ。

      目を閉じなさい。視界はないが「視界がない」ということを知っている何かがいるだろう?それが「ここ」だよ。

  4. 色即みっちゃん より:

    君は君のままで良いのだよ…。

    君は君のままでないと…。

    君を手放せない…。

    何かにかわる必要はないのだよ…。

    苦しみの元凶は君が君を変化しようとすることだよ…。

    君は君のままで君を手放すのだよ…。

    • -自分- 涅槃 より:

      色即みっちゃんさん

      >君は君のままで君を手放すのだよ

      そう、「自分を手放すと自分に戻る」のだ。最初からそれはそこにあった。だが人はそこに多くのものを積み上げていく。そうして本当の姿を見失う。

      湧き起こるハピネスや至高の自由とは、何かを重ね上げて手が届くものではない。逆なのだ。すべてを崩していくだけで良かったのだよ。

  5. 色即みっちゃん より:

    ベットに横たわり…。

    目を閉じる…。

    呼吸に意識を合わせて無思考に入る…。

    両手は胸にあわせる…。

    後で自分の生存を確かめる為に…。

    横たわりながら呼吸を意識して目を閉じる…。

    胸においた手ではなく背中に心臓の鼓動を感じる…。

    足の先まで神経の躍動を感じる…。

    延々と呼吸を意識しながら無思考を続ける…。

    自分が消える恐怖が出ても容赦なしに…。

    無思考を続けていると脳内で瞬きの連続になる…。

    恐怖に負けずに無思考を続ける…。

    脳内の瞬きが終了すると…。

    思考を越えた世界に居る…。

    胸に合わせた手は自分の生存を確かめる為だ…。

    これが僕の瞑想の現時点の限界…。

    僕には臨死体験があり…。

    五感の全てが閉じて思考も閉じても…。

    自分の存在だけは感じている感覚があるのを知っている…。

    僕達は意識だけの存在だよ…。

    怪談話しみたいに色物みたいな話になるから、
    投稿できない体験もあるんだよ…。

    死んでも魂は個性としてちゃんとあるよ…。

    • -自分- 涅槃 より:

      色即みっちゃんさん

      あなたはあなた自身に語る
      それは受け入れていないものが
      まだたくさんあるからだ

      あなたに語るのは誰だろう?
      彼は何をあなたに伝えているのだろう?

      いいかい
      それは教えられているのではない
      与えられているのだ

      大切なのは
      頭で理解することではない

      生というものを把握すること
      全体としての動きに「在る」ということだ

      雨は川となり海へ辿り着く
      そして雲からまた雨へと続く

      水は失われることはない
      飲料水となり工業用水となり
      排水されても
      またやってくる

      何も消え去らないのだよ

      だからゆったりと
      「流れのまま」にありなさい

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