涅槃の紙 vol.11

先日のことだが
妻と夕食の買い物の帰り道にいた

まだ通りが賑わう時間帯
歩道の信号が赤に染まり
私たちや他の通行人は足を停めた

その中には背中をくの字にして
手押し車に寄りかかる老婆もいた
荷台にはいくつかの買い物袋
同じスーパーのロゴが並んでいる

ところがまだ信号が変わっていないのに
老婆は進み出した

「婆さん、危ないよ」と
声を掛けようとしたそのとき

左手の下り坂を降りてきた自転車が
飛び出した老婆を避けようとして
縁石に乗り上げた

乗っていたのは
下校途中の女子学生だった

ゆっくり降りてきていたのだろう
さほどスピードは出ていなかったが
それでも自転車は軽々と宙に浮き
綺麗な一回転半を描いた後、
彼女は背中から地面に激突した

一瞬の出来事に誰もが唖然とするなか
私と妻は老婆と少女の側に駆け寄った

老婆は周囲の異変に気付いておらず
前を見ながらゆっくり進んでいる

そして空を仰ぎながら
地面に横たわる少女
目は開いている

何が起きたのかを
まだ理解できていないようだった

2度ほど瞼をパチパチさせた後
何かに気付いたように少女は言った

「ああ‥、ありがとう」

私はそれを逃さなかった
それは周囲の人々に贈った謝辞ではない
自分がここに生きていることへ述べたものだ

空気に
気温に
地面に
青空に
身体に
血液に
体温に
鼓動に
少女は「ありがとう」と言った

その瞳は穏やかで
とても安堵に満ちたものだった

不意の出来事の中で何を見たのかは
彼女にしかわからない
だが何かを見たはずだ

普段当たり前になりすぎて
見落としてしまっていること
忘れてしまっていること

それは何よりも大切なことであり
それを失うから
不安の中に人々は生きている

たとえば適切な大気
適切な温度
そして水や光があるから
あなたは生きている

逆にいえば
そうしたものがあるから
人間をはじめとした生物は
「自然発生している」ともいえる

しかし本質はもっと深いところにある

地球があるから生きていられるのか?
それとも地球という現象があるから
自分はただ単に発生しているだけなのか?

このように相互から探ってみれば
答えはどちらでもないことに辿り着く

それは
あなたと地球はひとつであるということだ

呟かれたその言葉は
とてもスピリチュアルだった
それは観照意識からのものだった
少女はエンライトした

すべてに感謝しよう
「ありがとう」

 

涅槃の紙.11

さて今回のメッセージは
あなたにマジックを備えるものだ
いつもながらシンプルだがね

そこにあるすべてが
自分を生かしていると気付くとき
あなたは何でもできるようになる

なぜなら大地や風、空、光
あらゆる力を借りることで
すべての可能性が生まれていたことを
悟るからだ

これまでもそうだったし
これからもそうなのだ

あなたは孤立した存在ではない
全体という「ひとり」なのだよ

 

 

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コメント・質疑応答

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  1. komatta より:

    素晴らしいお話だとも思いますが少女は無事だったのか…という気は残ります。カタルシスの話にでてくる聖人や悟り人は皆、悲惨な目にあってる。
    イエスも磔にされながらもイエスは悲壮感なぞ感じなかっだろうね。愛しか感じてなかったのような意見をよく見て、パンピーはマゾじゃないから、んなわけないだろ!という観念?本能?みたいなものしかでてこない。

    少女は普通は避けたいアクシデントの果てにカタルシスもしくは自らの体を動かしてる偉大な存在に触れたのかもしれないけれど…。アクシデントを避けたいに意識が向く。というより散歩や動物や植物、天候、優しい人と触れ合うことでは命や怪我の危険なくとも感じられないのだろうかと。

    私の世界があって周囲の皆さんが、観念によって姿を変える精霊のようなものなら…。正直に言うとカタルシスの為にアクシデントや肉体の苦痛を受け入れろ(というか肉体という概念、自体捨ててしまえ、純粋な精神体として行きなさい)と追い込まれてる気によくなりました。

    もし自分の世界なら家族かぎらずリアルな会社や学校でも、そうなはずですがエゴが作り出した他人は、ちゃんと心配してくれるのですね。怪我をしないようにと。

    ソクラテスも千利休も自らの心を守り
    後悔なく最高の満足を感じながら逝ったのかもしれないですが…。
    それは3次元の普通人にとれば肉体感覚
    が超えられない限り、常に恐怖とワンセットです。
    イエスの磔が愛と受け取れずスケープゴーとにしか見えなくとも周囲の人らには、その感覚は普通に受け入れられるので。そこまで見えなくてもいいかなと。いう感覚もありありと…。残ってて解るのだけど、素直にありがとうと出てこないが…。本音です。

    • komatta より:

      これだけシンクロが続けば最初は理屈と、なんとなく…でしたが360度フルスクリーンの私の脳の世界、夢の世界までは実感できました。原理やシステムは解れないけど。

      たとえ妄想であったとしても子供の頃、大好きだった銀河鉄道999はコード666を反転させテーマは道と銀河と冒険であるし、メーテルは若者の青春の幻影。
      鉄郎は機械の身体に憧れ無料で手に入れる星を目指すが、結局、それは全体の一部になる大切な部品の一部、ネジだった。

      この前までは「ムー」か「矢追純一の水曜スペシャル」のようなメディアな話がイデオロギーあまり含めない日本経済新聞やら、日刊工業新聞など一般新聞で銀河鉄道999のような話をまともに語ってるから困る。松本氏自体、物理詳しいからリアリティも含まれる。最近はメーテルリンクの青い鳥ほか、ワーグナーやワレキューレも含めて漫画書いてるみたいですね。

      だけどそれが妄想であろうと、そこから派生する陰謀論であろうと、どれだけリアリティもって信頼できる情報誌から流れてても私の脳内の現象。私の脳内だから自らの脳内からも出れず、映るものは皆、心の映像を映してるんだなと実感するだけ。

      ですが、本当に映画の外側からポテトとジュース飲みながら心地よい空調の元で観れるなら…。それも可能ですがバーチャルであろうと、もしSFが本当でマトリックスみたいな空間で実は幻想だと気付けないだけにしても、五感はきちんと感じるし、バーチャル映像は現実のものと捕えられるようなシステムまで真我は揃えてくれてる。

      本当、マトリックスだなとか思いました。エージェントスミスは、どこにでもあらわれ、そのときぞきで誰かの姿をとり脳のミームとして色んな観念振りまいて、映像みせてくれるなら。攻殻機動隊でゴーストってつけられるのも解るかもとか笑)

      平凡で変わりなく生活感ありありの日常も、空間の重さからの歪みによるブラックホールの映画のような話も、どちらも脳内映像に変わりないが5感をもって体験させられるのも観照者も入るから。仮に70億人の中でたったひとり、私だけが自覚を持ってたとしても。
      そして自我ではチャンネルを変えられない。

      サスペンス映像が花畑に映像が変わるわけではなくサスペンス映画をラブロマンスや感動ストーリーと感受性とイメージで受け取るというのは。かなり困難で。

      そんな時に微笑ましてクしてくれて安心感感じさせてくれるのは、うちのペットです。寄り添ってくれて温かくて感性を変えなくともストレートに安心感じる。
      その重要性も外していかないといけないと思うと。
      今のところは、まだ雁字搦めです…。

  2. komatta より:

    ムーミンパパの下りは、ほわっと笑いも浮かんでとても解りやすかったです。ありがとうございます。
    後、反応についても…。まだ完全、実感は無理ですが
    (何よりその強烈な安堵感を感じさせてくれる投影機?真我?)の存在が感じ取れない。ペットを抱いた時のような安堵感。ほわん…というのは解るけど真我を感じ取れない今のところは理屈での理解が安心する。

    そして全ては私の脳内映像と前提したうえでの質問なのですが…。何でもご存知な自分さんという師のような人物を私が創り出してるまでは納得いけます。
    だけど、私が一人で脳内現象なのに「人類」は同じ過ちを繰り返してきてるとは?? あえて私に他人がいると錯覚させたいから辻褄合わせに「人類」という言葉がでるのでしょうか?

    そしてエロい事も考えても、お見通し?。人間だから自然にしてたらイラっとすることや、たまにはずるい事やエロい事も考えますよね。そういう下心的なのをネタにするからコメディーや漫才も成り立つ。

    それに友人と刺激的なホラー映画みたくなったりもしますよね?
    同性の友人と映画見に行くのも、異性といくのも少し刺激的なサスペンスやSFが多かったです。
    子供とならドラゴンボールくらいだろうけど…。
    だからといって怖い映画を見て脳内にその映像が残ってたからと言って友人と喧嘩したわけでもなければ、楽しくお茶飲んでケーキ食べて楽しく家庭の雑談など聞いたり。
    ホラー映画見て脳内に微かに残ってたからといって、その都度、大事故が起こってたらたまったもんではない。何が現実化してしないのかよく解れない。
    また、何か危険な事象の予測にヒヤっとしたり心配症から、事故の映像が一瞬浮かんだりする時もあります。今のところはそれは現実化されてない。というか心配するたび、ネガティブな事象や大事故起これば
    それもたまったもんでない。なのでコントロールが出来ないならESPと錯覚するような脳内現象は起こらないでと思います。

    外に映る映像は内へのアクセスで、どこまでコントロールできるのでしょうか。あんまり内側の投影力が高まって、ちょっと心配したことでも現象化されるなら、たとえ映像でも悲しくて仕方ない。ポジティブな面だけ現象化できるって出来るのでしょうか…。

  3. komatta より:

    5、6年前かな…。
    映画『ラバー』っていうコメディホラー借りて後悔したことあります。怖いとかでなく意味解らなくてくだらなすぎて。この世界の事も何も知らず、他人と普通の日常があるのが当たり前で。般若心経も思い出すことなければ墓参りはちゃんと家族で行ってたが仏壇にも、そのころ手を合わさないくらい不信心者だった。

    タイヤ(車でなくタイヤ一輪)が理由もなく殺人をする話。意味がないだけでなく、途中、いきなり監督がでて「はい!カット!」など登場人物に言うんですね。多少、血なまぐさいシーンもあるけれど、あんまりの意味の解らなさと軽快な音楽と、途中で全然、関係ない人物の濡れ場とかもでてストーリーがまったく見えない。最後のほうはタイヤが超能力もって殺人するとか。ホラーコメディーと名をうってるのだから、何かの笑いを誘おうとしたとしても、笑うツボがない。アメリカンジョークでさえない。タイヤが意思もって人を襲うならば、まだ物語性もてるけど、いきなり監督が映画撮影班がカットなどいってタイヤに文句いったり。何が伝えたいかも怖がらせたいか笑わせたいかもわからない。
    http://gigazine.net/news/20110203_rubber/

    ただ、いきなりタイヤが自らを知るために旅に出て超能力で人を殺せると知った。いたるところにでるキーは「無意味」理由などないのさ。が、テーマっぽく。
    途中ででてくる映画撮影隊と監督はなんの関わりで?
    その理由さえない。
    シガーより、今の、この映してる世界を表してると思いました。それは今になって思う。よくあんなくだらない映画覚えてたなと思って。500円返せとか言ってから。脳内映像で落ち着かせば何かと辻褄は合わせられるけれども…。そこには別に肉体の痛みとか気怠さや疲労感は感じてないから…。

    にたような意味の記憶の現象がタイムラグ得て上がってきても、意識もせず、望んでない事象ならば嬉しくないし、またタイムラグあるなら、脳内だけで終わらせられて現実には投影されないからと思えてたからこそ思えてた地球崩壊妄想もある。腹が立った時、もう地球割れたらいいねん!とか小学生が思う程度のレベル。(当然、ありえないからこそ思える)。
    こんなのタイムラグ得て叶うの嫌だから。
    回避の術がしりたいのです。このさい妄想であっても。

    • -自分- 涅槃 より:

      komattaさん

      ああ、少女は無事だよ。妻が介抱した後、近くの病院まで一緒に向かうことになった。

      ところであなたは文章がうまくなってきたね。とても読みやすくなった。

      そういえば以前ケガをしたと書いていたが、それは「ケガをした」のだよ。そこから離れようとしないことだ。

      「私はケガをした」

      シンプルに正面に立つことだ。それが真の回避(幻想からの回避)となる。

コメント・質疑応答

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