使い捨てロボットが意志をもつとき-2

前章の最後で話したダイナマイトに入る前に、もう少し人間世界についての理解を深めておこう。大事なのは、いかに社会の要求に適応していくかではなく、現実なるものがいかにして成り立っているのかを理解することにある。自在に生きるというのは、暗闇を照らすライトを強力にしようとすることではなく、その暗闇の世界全体を己のなかにおさめることにあるからだ。

さて「3の法則」の二つ目の法則でも話したが、あなたが見ているAさんと、その横で私が見ている同じAさんは違う人物である。この原理は、たとえば私とあなたが向き合って話をしているとき、互いに「別の何か」に向かって話していることを意味する。

仮面が語り合っている世界

外国人が日本人を理解できないというものに「本音と建前」がある。私たちは「よそ行き顔」を持つ。だがそれは嘘をついているわけではない。「嘘」とは本心を隠したり事実ではないことを伝えることであり、「建前」とは伝えるべき事実を述べつつも、他人も自分も傷つかずに両者が円滑に接するためのテクニックとして用いるものとされている。

つまり「本音(事実)」の言い回しをソフトに変えて伝えたり、あえて見せるべきではない情報を素早く察知したり、そうした余計なことは伏せたり、相手に同調したり、そうした流れのなかにうまく自分の意見(本音)を忍び込ませていく。つまり相手の気分を害さないことで(建前)、自分も害されることのない(本音)、要するに「自己防衛のテクニック」であるといえる。

もちろん西洋人にもそういう傾向がないわけではない。だがそれは、よく西洋の物語に出てくるような、豪華な社交界に潜り込んで貴族の男性に自分をアピールして接近する、そんな女狐的な女性に感じられるクレバーな理知さである。見下されたような悪い意味でのものだということだ。

だから日本人同士ならば、己も建前のなかで生きているから相手の建前を理解することができるけども、だが建前を理解しない者からすれば「一体ひとりでなにと駆け引きしているつもりでいるのだろうか」という見え方になる。

今回はこの「建前という仮面」が重要なキーワードとなるので覚えておこう。日本の社会は、仮面同士が交流しているのだ。そこで交わされる「本音」とは、実際はそのテクニックの成果物として現されたものでしかない。その仮面の下にある素顔(真なる本音)は、光を見ることなく常に塞がれているのである。

よって誰もが、息苦しさ、ぎこちなさのなかで暮らしている。言いたいことを言っているはずなのに、まったく裸になれない。会社でもそうだし家庭でもそう、また外で買い物するときや通りすがりとすれ違うときだってそうだ。私たちは何者かを演じている。演技は演者を乗っ取り、やがては絞め殺してしまう。その絶命の声がいつも心の中で響いているのだ。

だが、その殺されている素顔は本当に存在していたのだろうか。あなたは本当にその素顔を見たことがあるのだろうか。山小屋で得体の知れない叫び声が夜な夜な外から聞こえているような、そんな状態にあるけども、その声の主を見たことは一度もないのだ。

利用された武士道

第二次大戦中、日本軍の特攻隊員は遺書を書いてから戦地に赴いた。私の親族もそう、享年17歳だ。だがいったい「誰」が片道分の燃料だけの戦闘機に乗っていたのだろうか。「誰」が人間魚雷に乗り込んでいたのだろうか。いったいなんのために? いったいなぜ人は殺しあうのだろうか? こうした人間の世界に時折起こる巨大かつ奇妙な現象の背景には、戦争という大義名分を糧に、無意識のネットワークが全体主義を生み出し、そしてその統制が完全に個々の人格を支配していた様子がみえてくるのである。

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