使い捨てロボットが意志をもつとき-15

無限の空間がある。それはエネルギーで満たされている。私たちがその空間のある部分をみれば、そこになにかが見えてくる。それが豊かさである。そのようにしてこの現実は現象している。

だが空間の同じポイントばかりにこだわるあまりに、溢れかえっている豊かさに気づいていない。知ったとしてもそれは自分には無関係であるとか、そんなものは到底手にすることはできないだとかで諦めてしまう。

確かに数億円もするような豪邸なんかはほいほいと買えるものではないだろう。だが本当に欲しいのはその豪邸なのだろうか。その数億円の品という高嶺の花が見えていること自体が、すでにいま自分のこだわっているポイントを通じてみえているものなのだ。つまりやはり同じ箇所から離れずにこだわりつづけているのである。

ではどのようにして自分の「こだわり」を解除して、他に点在する「部分」を現実に関連づけていくことが可能になるのだろうか。

そもそも「有」とはなんであるのか?

ところで豊かさとはなんだろう? 豪邸、お金、恋人、気の合う仲間、満足する仕事、充実した趣味・・まあいろいろ出てくるだろうが、いつも話しているようにそれらを手にしたところで、それら自体が満たしてくれることはない。なぜなら、幸せとは不幸の反動によるものにすぎないからだ。つまりいまそれがないから、それが「豊かそうにみえる」だけであり、その傾向のままだと一生「豊かそうにみえるもの」を追い続けることになる。

あなたは言うだろう。

「でもあのお金持ちのひとはいつも幸せそうだ。自分もあのようになりたい」「あのカップルが羨ましい。自分もあのように愛する人と一緒に生きていきたい」

それはそうだろう。確かに彼らは幸せに包まれている。だが彼らが幸せにみえるには、あなたが不幸であるからだ。そのような見方をしていることを「不幸」というのである。ゆえに繰り返しとなるが、あなたが金持ちになっても恋人ができても、やはり迷いのなかをさまよい続けることになる。

自分を縛る法則に捨てられてしまう

では自分が彼らのように満たされるにはどうすればよいのだろう。

そもそも彼らはどうして満たされているのだろうか。もしかすると自分が勝手に思っているだけで、彼らも迷いのなかにいるのだろうか。

もしあなたがそのように考えはじめたら注意なければならない。なぜならそれは自分のポイントを通じて、他の豊かさを見ているからだ。つまりそれは豊かなものではなくなっている。

たとえばたまたま書店で手にした本にとても興奮して迷わずに購入したとしよう。自分のなかから溢れ出る何かを感じて、この衝動をなにかに活かしたいし、また誰かに伝えたい。気分は最高度にまで高められているわけだ。だがあとでアマゾンのレビューをみてみると、酷評ばかりがされていることを知る。そうしてあなたはその本に幻滅する。

なにか大事なことを見失っていないかね。大事なのは他者の意見だろうか、もっといえば、その本の内容だったのだろうか。

解放されたゴリラの雄叫び

そうではない。あなたが新しい何かを知ったときに感じたフロー、それが大事なのだ。確かにその本はよくよく読んでみればどこか欠陥があるかもしれない。だが完璧なものなどこの世に存在はしない。

世界一の美女を連れているからとか、超大金持ちの男性と一緒になれたから、恋愛や暮らしが満たされるわけではない。それらはやはり完璧ではないからだ。またそうした相手でなくても最高に満たされている人もする。それはどういうことだろう。

つまり書店で一読したときのあの躍動感はなんだったのか。

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