使い捨てロボットが意志をもつとき-13

前回に続いて、現実や思考、そして心の仕組み、さらに現実を自在に創造していくという話を続けていこう。

同じ色を指さすのに?

あなたの知っている「赤色」は、私の知る「青色」かもしれない。たとえば、「この色」をあなたはいまそのようにみているだろう。あなたはこの色を「赤」だという名で覚えてきた。つまり「赤」という意味とは「この色」のイメージが浮かぶ。

だけども「この色」は私とあなたで違うのだ。それもまったく違うといえる。それこそ私の覚えてきた「青色」があなたの「この色」なのであり、つまりいくつかの色紙があって「赤い紙を指差せ」といわれたら、二人とも同じ色紙を指さすけども、その色紙そのものが各々のなかでどのようなイメージとしてみえているかが違うのである。

もちろん「色」だけではない。たとえばある動物に「猫」という名前がつけられている。だがあなたの知っている「猫」の姿は私の知る「鳩」かもしれない。だが「猫」を指させといわれたら、同じ動物を指さしているのだ。わかるかね、その「意味されているもの」が「どのようにイメージとして浮かんでいるか」は、比較のしようもなければ、議論のしようもないということである。

その現実の光景はあなただけのもの

これはこの現実世界が、同じに場所にいながら私とあなたでまったく違う見えかたにあるということを意味する。四角形という言葉、それは角が四つある図形のことだが、心で浮かぶ像は各々で違うのだ。もしあなたが私の心的世界を覗き見ることができたら、「え??どうしてこれが四角形なの??」と唖然とするだろう。それは私があなたの心的世界を覗き見ても同じである。

だから人間の姿すらまったく違う。手足が2本ずつあって頭がある、その「意味」は同じであるが、その意味の解釈のされかたは同じではない。空も大地もなにもかもが違う。あなたが誰かの心の世界に入れば、そこはカオスの世界であり、たちまち頭がおかしくなるだろう。だけどもお互いに「四角形はどれか」「人間はどれか」と指さすものは「同じ」なのである。

これは視覚だけでなく、聴覚や触覚といった五感を通ずるすべてがそうであり、よって現実世界とは完全に違うもの、すなわち、体感する現実世界とは心のなかで作り出されているものであることを理解しておこう。

しかし見え方が違うことが、幸せや不幸をわけているのではない。

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  1. anatahawatashi より:
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    • 涅槃の書-自分 より:
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