感謝という本質を頭ではなく肉体から探ってみる

「すべてに感謝をする」という
教えがあるが感謝とは言葉の範疇だ

実際感謝とは何なのか
それはわからない
言葉ではいくらでも説明はできる

だが感謝にしろ、喜びにしろ、
怒りも苦しみも
色で表現したらこんな感じとか
感触で表現したらこうだとか
何かを代役に立てて
イメージで表現することしかできない

では一切の表現手法を捨て去った状態で
感謝というものを体で感じてみよう

色でもなく波形でもない
当然言葉でもない
「誰々へ」という対象もない

これまでにあなたが知っている「感謝」を
何となくで良いから体の中で感じ取ってみる

これといったイメージもないのに
「感謝」を感じ取れたならば
それが感謝だ

そこには比較もエゴもない
恐れもない
ただ感謝と呼ばれる何かが
発生したのだよ

私たちは言葉に制限されてしまう

「感謝をしなさい」と言われれば
表面上の感謝を演じてしまうのだ
それは単なる表現だ

言葉とは思考であり
思考から全体性は見えてこない

そして馬鹿げたことに
表面上の感謝は恐れながら演じている

「感謝ってこうだろうか?」
「感謝がちゃんと伝わってるだろうか?」
とね

大切なのは体で感じるということ
何かを考えなければならないときも
体全体で感じるように思考すれば
恐れが生まれない

ただあるがままの「何か」が
あなたの体の中から生まれ起こるのだ

頭で生きるのをやめて
全身で笑い、泣き、思考し、聞く
そうするだけで
「今に在る」ことができるようになる

不安になったり、悩み込んだり
それは頭で考えているというサインだ

あなたが「体で生きている」とき
未来も過去もないから
一切のネガティブは抹消される

肉体という何かがただ活動をしているのだ
思考が感謝を生み出しているのでは
なかったのだ

なぜ人はストレスを感じると
過食症になったり、その逆だったり
セックス依存になったりするのかといえば
体に意識が向くことで
「頭」から離れられるからだ

だけども外から得る行為は永続ができない
だから終わればまた「頭」に戻ってしまう
そうして度重なる過剰な行為にて依存となる

いくらスポーツで体を動かしていても
いつも頭の中があれこれ
彷徨っているようではダメだ

デスクワークでも
全身で思考するのならばオーケーだ

 

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