幻想のポイントを超える

あなたは「真実」や「悟り」について
沢山の知識を得ただろう
だがあなたの思う「境地」というものには
今一歩入り込めないだろう

いつも記している通り
あなたのその生きている世界で
実際に意識を持っているのはあなたしかいない
思考したり、感情を持っているのも
あなたのみだ
つまりあなたしか生きていない

他者は自然現象そのものだ
風が吹いたり物が落下したり、
他者とはそれと同じである

あなたが思考するから、
他人も同じように思考する
そう錯覚しているだろう
あなたが何かをしたり話したり
そうするときは大抵思考から始める
だから他人が話したり行動したりするのを見て
彼らも思考したり自らの意思が働いていると
あなたは思う
いいかい
他者とは太陽や雲、水の流れと同じ
大自然のものだ
そこに思考というプロセスはないのだよ

他者について深く囚われるから
あなたには比較が生まれる評価が生まれる
他者を意識するとは、
社会に生きているということだ

では思い込みでいいから
あなたしかいない世界を
イメージしてみるといい
地球上にあなたひとりだ

例えば恋愛
そこに幸や不幸はあるかね
恋愛も出会いも
あなたしかいないから
求めることもないし
苦しむこともない
最初からそうなのだから
恋愛や出会いという概念もない

だけども実際のあなたは
街行くカップルを見たり話を聞くなりして
自分もそうなりたいと望む
なぜならば自分はそうではないからだ
これは経済の問題も同じである

あなたのその世界で生きているのは
ただひとり、あなただけだ
他のすべては自然現象だ
他人が何かを話しても
それはそのような現象があっただけで
あなたは別に「こう思われてるんじゃないか」など
考える必要もない
(後述するがすべての自然現象はあなただ)
すべては自然現象であり
一定のサイクル通りに循環している
まずこういうことを理解することが
臨界点を超える一つ目のポイントとなる

では次
あなたのその肉体、それも自然の現象だ
あなたは肉体を基準として生きている
視界を得るには目を使うし
聴覚を得るには耳を使う
だから肉体基準であなたは当然のように生きている
だがその肉体はあなたではない

「視界を得ている目」を感じているもの、
それがあなただ
これはどういうことか
よく禅問答で難しいとされるテーマだ

まず「視界を得ている目」とは何か
視界、つまり対象を見ている目となるが
その「目」が目であるためには
対象となる世界があってこそ、
その事実が立証される
つまり「視界を得ている目」とは
見られている世界のことだ

そして「視界を得ている目」を感じているもの、
その正体とは、見られているもの、となる
では「見られているもの」とは何か
それはあなたが意識を向けたものだ
つまり見ているものも見られているものも
どちらもその瞬間に生まれただけであり
ただ「向けた意識」がそこにあったのだ

端的に言えば仮にあなたが
ただポテトチップスだけを食べる一生を続け、
そして終えたとき
あなたは「ポテトチップスを食べた人生」ではなく
ポテトチップスがあなただったのだ
もっと踏み込んで言えば
ポテトチップスに向けた意識があなただ
それはポテトチップスそのものだったとも言える

ただしこれらは事実ではない
臨界点を超えるためのステップだ
このステップで理解しなければならないのは
あなたが意識を向けたものが
いわば意識を「向けられた」ものが
必ずそこにある、ということだ
そして肉体はあなたではないから
あなたが「見た」のではなく
あなたに「見えた」のだ
どれだけ頭で念じても指は動かない
だが実際に指が動くとき
あなたは見ているしかない

ここまでの話をまとめながら
ステップ3だ
まず世界で生きているのはあなただけだ
他人は自然現象である
他者の発言も「そのような音が聴こえただけ」であり
あなたのように他者に思考の渦などは存在しない
ただ起こった後の風景を
あなたはただ見ているだけ
そして、あなたが自らとしている肉体も自然の現象だ
その肉体が動いている様をあなたは見ている
どこから見ているのか
それは見られている対象が「見られている」のだ
つまり見ているのではなく
見られているのだ
何が何を?
あなたがあなたに見られているのだよ
その関係性の果てはゼロだ
発生を消化する
発生する前にそれはあったか?
消化の後にそれはあるのか
あなたはポテトチップスであり
それをポテトチップスと認識する
だが最初にポテトチップスを生みだす必要がある
それが意識だ
それは向けた意識があることで
ポテトチップスが存在する
いずれも、いつも、「何もなく」
ただ変化がある
あなたは変化を感じ取っているのだ

思考も感情も肉体の自然現象だ
それらはあなたではない
あなたは個体のものではない
あなたはすべてを発生させ
それを消化するすべての現象、
つまりあなた自体が自然なのだ
どこかのタイミングで
その変化という現象を知るだけであり
あなたの見るもの聞くもの
すべてがあなただ

あなたは自然から発生し、そして還る
それは「個体」ではない
だがひとつの総体である「個」なのだ
だからすべてがあなたであり
あなたの自由だけがある

何らかの観念から逃れたりする自由ではなく
ただの自由だ
ただの自然だ
それは境地というものではない

あなたがこの記事であり
そしてあなたが読んでいる
その発生と消化の因果の前提にあるもの、
そこに溶けなさい

すべて大自然だ
だから「自然」でありなさい

水が沸点を超え気化するように
「それ」へ還るのだ

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