パラドックス

自我の限界が簡単にわかる方法がある
パラドックスと言われる現象だ

では始めてみようか
この手の話でよく参考に上がるが
例えば「私は嘘しか言わない」と書けば
このブログの記述はすべて「嘘」となる
だが「私は嘘しか言わない」ということも嘘だ
つまり嘘ということが嘘だだがそれも嘘だ
これがパラドックスだ
なぜこのようなことが起こるのか
これは真実に導いてくれる重要なキーなので
よく理解しなさい

金持ちは金持ちには決してなれず
貧乏人は貧乏人に決してなれない
幸せにもなれないし
不幸にもなれない

「これはどっちだ?」とか
「どうすれば?」と思考にはまるほど
あなたは答えは見えない
それがパラドックス、つまりマインドだ

つまりコインの表と裏
あなたは物事に対して言葉や認識から
必ず表か裏をみる傾向にある

幸福か不幸か
裕福か貧乏か
勝利か敗北か
得たか失ったか
好きか嫌いか

これらは人間の認識が起こす作用だ
その作用はパラドックスとして
必ず壁に当たるようになっている
つまりパラドックスとは
二元性は幻想だということを示している
あなたの幸福や不幸、未来や過去、
あなたの認識するすべては
あなたの思考が生みだした妄想であるということ
今とても困窮した暮らしでも
数年後その何倍も困窮したら
数年前は困窮していなかったのだ
そして現在も困窮していない
なぜならば「困窮」という答えはないからだ

だがあなたが
「私は嘘しか言わない」と言った、
その「現象」だけをみているとき
あなたは表でも裏でもなく
コインそのものを見ている

つまり「1+1=」を2ではなく
1+1=として見る、簡単に言えば
そういうことだ

だがそれも認識である
私が「コインそのものを見る」と伝えて
「ふむふむ、そうか
そのように捉えれば答えが見つかるんだな!」と
あなたがそこに何かの期待を持つならば
それもコインの表か裏だ

そうじゃない
答えなどないのだよ

文字を文字として認識せず
模様としても認識せず
ただ世界が在る、そのように捉えたとき
あなたはやっとパラドックスから抜け出せる

そこには何がある?

では今日はもうひとつ進めようか
瞑想などで思考を介さずに世界を見る
そこには自分の中で浮かんでいる思考すらも
別の視点から眺めることになるだろう
あなたの思考を通り抜けたその先、
そこが別の視点だ
それが仮にあなたの背後とするならば
背後からあなたを貫いたひとつの視線がある
そういうイメージだ

世界を、あなたを通り抜けた背後から見る

ではその「あなたを通り抜けたその背後」には
一体何があるのだろう
仏陀は空と伝えている
空とは無だだが何もないというエリアではない
すべてある、というエリアだ

あなたを通り抜けたその背後には
あなたが日頃見ている世界があるのだよ

この解にあなたは拍子抜けするだろう
まだ理解できなければその通りだろう

通りに散歩をする人々がいて猫がいる
朝陽が降り注ぐ、暖かい風が吹く
八百屋の店主は今日も怒鳴っている
注文していた本を店に取りにいく
今月はもうお金が少ない仕事増やそうかな
病気の友人はどうしてるかな

これが世界だとすれば
あなたの背後には全く同じものがある
空であり無だ
そして完璧
世界が世界として在る
すべての体験はまさにゼロだ

「あなたの思考」が
世界を遮っているのだ
あなたが消えればいい
そうすれば世界は世界としてあるのだ
あなたというフィルターを一切通さずに
世界が世界としてある
つまり我々は世界そのものだった
ということである

これがパラドックスの向こう側
あなたがパラドックスなのだよ

 

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