光の洪水2 -我々の本当の姿

前回からの続き

いつも記しているように
出来事と体験がワンセットで起こる
つまりその関係性、
発信と受信が「交信」するように
出来事も体験も実はなく
関係性だけが在る

関係性とは感情、
もっとわかりやすく言えば
知覚のことだ

察知する感覚、
歩いたときの足の感じ
体が風を切る肌の感じ
体重の重みの感じ
移り変わる視界の感じ
歩くだけで様々な知覚が起こる

繁華街などを歩けば
多くの賑わう様子を察知する
人々、騒音、気温、
それらもすべて「知覚」の賜物だ

あなたはその風景があり
それを知覚していると思っている
これがそもそもの誤りなのだ

風景はなく
知覚だけがある
知覚が先にあり
認識が風景を創り出しているのだ

風景とは
「そのように見えている」に過ぎない

実のところあなたは一歩も動いていないし
動作をしたこともない
ただ知覚という光が
生まれは消え
訪れて過ぎ去る様子を
ただ眺めているだけ
ただ感じ取っているだけなのだ

世界がただ在るとは
光の洪水がただ在るということだ
光の渦の中
言葉を捨てたとき
つまり見えているものに
観念を与えないとき
そこに何が見えている?
ただ「何か」が渦巻いている

さらに言及すれば
その光の洪水を察知しているのではない
光のひとつひとつ自体があなたなのだ

関係性があるのみ
つまりゼロだ
主体も客体もなくゼロ
ないということがワンネスだ

古来の教えでは
大いなる意識は「知」であると説いている
知は確かに全知だ
だけども辞書のようなものとすれば語弊がある
そうなると限界があるからだ
「知る対象」ではない
知とは、存在する知識のことではなく
知覚、それがただあるのだ
何もないところに発生する知覚、
だから無限
知る対象も知る者もなく
ただ知覚がある

その知覚が光、その洪水が真実だ
無数の光で溢れている
通常あなたはそれを認識しない
あなたという自己も無数の光のひとつだからだ
だが何かの光に意識を向けるとき
そこで初めて 光→認識→幻想へと繋がる
マインドという光が幻想を生む

コンピューターの言語と同じ
何かの記述があり
それをコンピューターが翻訳し表現する
HTMLならば
#FF0000を赤とする
それがマインドの働きだ
だが実際は何もないスクリーンに
#FF0000という光があるだけなのだ

その光は至福
人間のあなたが知るすべて
どんなものでも生み出すことができる

ただマインドが「赤」とするばかりに
「これは赤だ!」と確固たるものと記憶し
あなたは「現実という制限」を感じることになる
ブラウザのキャッシュが溜まれば
誤作動の原因となるように
マインドの記憶が蓄積されれば
「赤は不幸」などと勝手に理由を付ける

銀行預金が減っている
支払いができない
それはマインドの理由付けだ
スクリーンに意識を向けてみなさい

銀行、預金、数字、支払う
そういう単一な要素の構成があり
もっと深く意識を向ければ
それらが何の意味も持たないことに気付く
何の意味もないことがわかったとき
あなたは至福なのだ
すべて何の意味もない
すべてどうでも良いことなのだよ
真の自由がそこにあり
あなたは常に満たされていた

だから無限の喜びで溢れている
ただ光の洪水がある
知覚=光だ
光の総体があなたである
その光の中のひとつを
自分自身としてしまっている
つまりその肉体、思考のあなたのことだ
目の前の赤とんぼを見て
あなたは赤とんぼだと認識する
それと同じように
あなたはあなたを認識してしまっている
だからそれはあなたではない

繰り返すが
泣く、笑う、幸せ、不幸といった「感情」は
幻想なのだ
その根源には何がある?
あなたがある光を知覚し
「これは幸せというものだ!」
「これは悲しいというものだ!」
とマインド変換をした結果が感情だ

つまり
ポジティブだろうがネガティブだろうが
それは変換結果であり
最初に到来した「何か」は
ただ満たされた光だったのだよ

そこだ
そこを感じ取れるようにしなさい

見ている風景
聴こえる音
それらすべてが「変換後」だ

変換前に何がある?
あなたは一体どこにいるのだ?
「すべて」とは何だ?

さあ、もう少しだよ

 

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コメント・質疑応答

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  1. 愉快 より:

    お!

    コメントしたらこの記事が目について読んでいたら心臓と背中と腕、がドクドクして、胃と腸の音を聞きました。グルグル。と。

    グルグル。

    あら、さっきグルグル。と変換した時は思考のグルグルだったのにこんどはおなかのグルグルだわ。

    指先に冷たさを感じたり、内臓が動いているのを感じたり、って身体の中をみている感じがします。

    触れているってこういうことなのでしょうか。

    これを感じている、見ているわたしはどこにいるんだろう。不思議だ。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      すべてはあなたの中に起きている。だから「観る位置」を少し変えるだけでいいのだよ。自分の感情も思考も、あらゆるものが「観える」ようになる。

      日頃は思考などと同じ場所にいるから、それがわからないだけだ。上空から見下ろせば「しこう」という人文字だったことがわかるのだよ。

      観ているあなたは、そのすべてを取り巻いている巨大な空間そのものとなる。

コメント・質疑応答

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