真実を垣間見る簡単な方法

真実を垣間見る簡単な方法を記そう

「表面の世界」

まずあなたの人生、
そして世界は「認識」である
それを理解しなさい

すべてあなたの「認識」だ
あなたが認識するから
それらがある

この「認識」という作用
これがあなたに幸や不幸を生む
すべての根源だ
美や儚さでもいい
カッコいいでもいいし
かわいいでもいい
美味しいもそうだ
悲しいも楽しいも
すべて認識

だから幸せも不幸も
あなたが作り出している
いま不幸と思うならば
幸せとすればいい
そのように認識するだけだ
外部的な何かを求める必要もなく
あなたの中で幸せとすればいい

赤いも青いも
冷たいも硬いも
強気も劣等感も
ポジティブもワクワクも
すべて認識だ

そこに人がいる
そこにパソコンがある
それも認識
未来を予想する
過去を振り返る
それらも認識だ

すべて認識
認識であなたのすべては構成される
認識とは五感で受信したもの
つまり姿形、匂い、雰囲気、印象
そういう表現ができるものすべてを生む
つまりマインドだ
あなたが花を見るとき
「ああ奇麗だ」「素敵だ」とかの以前に
「花だ」の時点で認識だ
すべてマインドと呼ばれるレベルの作用だ

認識、認識
すべて認識

目の前にストーブがある
それは鉄製のボディでグレー色で
50cmほどの高さで灯油を入れて温風が出る
そういうことを知っている
だから「ストーブ」を認識するということ
「鉄」「グレー」「50cm」「機能」
それらも瞬時に連想〜認識する

だが「鉄」などという概念を持たない動植物や
「色彩」を認識することのない虫たちは
どうだろう?

イエスは
「幼子のようになりなさい、扉は開かれる」
「何も知らない生き方をしなさい」などと説いた
これはどういうことか

ここまでが一次的な理解だ
すべてはあなたの認識で世界はできている
だがここで言われる「世界」とは
幸や不幸、喜び悲しみなど
感情に溢れた世界
だから表面世界とする

ここまでの世界は
あなたの認識ひとつで変容する
すべてがあなたの認識だからだ

認識世界がこの「生」と言われる世界だ
マインドを介して作られている

さて本題に入ろう

「世界」

眠りに落ちそうな微睡みのとき
目の焦点がぼやけているとき
そこに「何かがある」が
それが何かわからない状態
ただ「気配」だけがある
そんな状況をイメージしてみなさい

例えばボヤけた視界の先に
動くものがある
音を発している
声?
つまり人?
性別はわからない
男性?
顔も服装もわからない

この時点では
動く、音、を認識しているから
マインドの範疇だ

だが動いていることや
音を出していることすら
完全に察知できない場合

「そこに、ただ何かある」
ということになる

何かわからないが
何かがある

つまり認識をしているのではなく
気配だけを感じている
それが真理だ

だが知識だけでこの話を得ても
何の理解にも繋がらない
これは知っておきなさい
あなたが心から感じること
それを体験することで
この話は理解ができる

「幼子のようになりなさい、扉は開かれる」
「何も知らない生き方をしなさい」
赤ん坊は知識や概念が成長していない
だから世界に対する感じ方は
人間以外の生物と変わらない
人間だけが概念を持ち、連想を広げる

気配だけを感じる、
それはあなたは常に包まれている
ということだからだ

周りを見渡しなさい
常に何かがあるだろう
部屋にいるのならば
机やテレビがあるかもしれない
ゴミ箱や床、窓、壁紙の色まで
外から音も入り込んでいるかもしれない
外から光も入り込んでいるかもしれない

部屋の外へ出ても
家の外へ出ても
あなたがどこへ行こうが
常に何かがある
何かに包まれている

宇宙の果てに行こうが何かがある
そこに何かがあるから
そこが宇宙の果てと理解できるのだ
常にあなたの周りには
何かがあるのだ
真っ暗闇でも
「暗闇」がある

この逃れようのない事実
あなたは常に無数の何かに包まれている

だがその無数の「何か」を
あなたが知識から認識せずに
ただ感じていたらどうなるだろう

形容出来ない気配だけが
あなたを包み込んでいる
それは光のシャワーのようだ
あなたの「生」を象徴する無数の何か
五感を通せばそのひとつが「猫」だったり
「椅子」だったりと認識する
そのようにあなたが形成する
だが気配だけを察するとき
あなたはただただ「在る」という中にいる

近所の嫌いなおばさんも
悲痛な出来事も
幸福なラッキーも
それらは表面的な見解だ

中身は「在る」だ
それがあなただ

あなたはあなたの中にいる
あなたは常に満たされている
常に至福の絶頂にいる

目は思考だ
だからそれを崩すことが
真実の一片を知る簡単な方法である

目を寄り目にして(焦点をずらして)
その世界を眺めなさい
対象が何かわからないほど
あなたの知る「知るもの」はなく
表面の幻想が剥がれ落ちた「それ」が現れる
あなたは満ち溢れた何かに
包まれていたのだよ

見聞きすることよりも
察知する感覚を磨きなさい
それが生きるということ
それが肉体を俯瞰するということだ

 

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